thinking & feeling

わたしの幸せ

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倒れたルドベキアに蝶が



旦那さんが定年になったら田舎に住むことにしたという友だちに訊いてみた。

「周りに知っている人がいなくて寂しくないの?」

「海外に行けばいつもそうだから」と友だちは言う。

「それにね、わたしは窓辺に座って、ぼーっと外を見ているのがいちばん幸せ。
 窓から空とか緑とか見えて小鳥の声なんか聞こえてきたら最高」

わたしはどうだろう?



田舎に行くたびに、父母がわたしたちにそばにきてほしいと思っているのが伝わってくる。
ふたりとももうすぐ80。
身体のあちこちに問題を抱えながら今でも現役で農業をしてはいるが、
いつまでも続けられるわけではないだろう。
後継ぎは弟に決まっているが同居はしていないし、弟たちに子どもはいない。
だから父は不安なのだろう。
それはよくわかるけど、わたしには夫がいるし孫たちには孫たちの人生がある。

夫が定年になっても、わたしの仕事には定年がない。
でも収入はわずかだし家計を支えているわけではないのでいつでも辞めようと思えば辞められる。
でもやろうと思えば、元気である限りいつまででもできる。
それにわたしには仕事が必要だ。
わたしの代わりはいくらでもいるけれど、少しは誰かの役に立っている(かもしれない)、
そう思えることがわたしにはどうしても必要なのだ。


東京に何十年住んでもいつまでも田舎者でちっとも洗練されないわたし。
都会と田舎とどちらが好きかと訊かれれば「田舎!」と即答するだろう。

だけど故郷に行ったら友だちがいなくなる。仕事もできなくなる(だって免許がない)

好きなことは大抵ひとりでできることばかりだから、そういう意味では全く問題ないけど
仕事も友だちもないのはわたしには耐えがたい気がする。
(まあ、万が一そうなったら何か探すけど)


わたしの幸せはなんだろう?と考えてみて改めて思う。
わたしの幸せは、人との関わりの中にあるのかもしれない、と。



あなたの幸せは何ですか。

子育ての結果

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友だちが言う。

この間ね、あるお母さんが言っていたんだけど
子育てがうまくいったかは、歳とって子どもが親をどう介護してくれるかでわかるんだって。

そうなんだ・・。

息子さんたちに「ふたりでお母さんの面倒見てね」と事あるごとに言っているという友だちは、
その話にいたく共感した様子。
わたしの目標は、できるだけ夫と一緒に元気でいて子どもの世話にはならないこと、
万が一ひとりになってもなんとか生き抜くこと(自信はないけど)
だけど、人間、何があるかわからない。気をつけていてもどうにもならないこともあるだろう。その時は・・。


末っ子はまだ未知数だが、成人した長男と次男を見て、
わたしたちの子育てもまあまあ上手くいったかも、わたしが母にしては上出来じゃないの?と思っていたけれど
どうも、そう結論づけるのは早計すぎるようだ。

子育ての結果がわかるのは老後だなんて、ずいぶん気の長い話だ。
でも、成人になるまで育てたら、もう親のすることはほとんど終わり。
あとは子どもたちに委ねるしかない。そして老後に子育ての収穫をするのだ。
結果が悪くてもそれは自分が蒔いた種だから甘んじて受けるしかない。

あああ、厳しいのね、人生は。

でも、待てよ、子育ては終わっても、まだできることがあるかも。
もし子どもたちが結婚できたら、奥さんを我が子のように可愛がってあげよう。
子どもを奥さんにとられると考えるより、家族が増えると考える方がずっと楽しいし老後も豊かになるだろう。
もし息子たちのところに来てくれる人がいたら、の話だけど。
(娘が3人できたら、3人を分け隔てなく愛するという課題ができるわけだ、
 修業は生きる限り続くのね・・)

きれいごと?

あまりにも暑いのでスキンを換えてみました。
魔女はちょっと・・だけど、少し涼しい気持ちになるでしょ?


この間図書館のヤングアダルトのコーナーで田口ランディさんの
『ひかりのメリーゴーラウンド』(理論社)という本を見つけ借りて読んだ。
いい本だった。ちょっとスピリチュアルで、なんだかばななさんの本を読んでいるみたいだった。
(これ、ほんとにランディさんの本だよね?って確認したくらい 笑)

読み終わってから、久?しぶりにランディさんのブログに行ってみた。
当たり前だけど、ランディさんはやっぱりランディさんで、ほっとした。
でもお父さま、亡くなられたのね・・ほんとにご苦労さまでした。

一番最近書かれた「楽しいことがいっぱい」という記事を読んで・・
わたしは「宗教家」ではないけれど、わたしの書くことは「きれいごと」かもしれないと思った。
でも、わたしは書かない(書けない)ことは多いけど、思っていないことは書かない。嘘は書いていないつもりだ。


クソ真面目で面白みがなくて協調性欠如で記憶力が乏しく
興味のあることしか目がいかないから異常に「引き出し」が少なくて
一般常識に欠けていて、何考えているかわからなくて
そのくせはっきりと「自分」があって・・。
だから(自分で言うのも変だけど)みんなが友だちになりたいと思うような楽しい人間ではない。

だけど、それがわたしなのだから仕方ない。
それに、欠点は長所の裏返しというから、↑に書いたことのいくつかは長所につながっているかも?

扉はいつも開いていたいけど、わたしは自分のポリシーを貫こう、と改めて思った。
こんなわたしにしか書けないこともきっとあるはずだから。

そして「a step further」・・もっと奥へ。


ん?・・ランディさんの記事と何の関係もない独り言になっちゃいました。ごめんなさい。

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これから

友だちとの会話。

「あのね、長男がいなくなったでしょ、それで、インコを飼ったのよ、
だからあんまり長居できないの、餌をやらなくちゃならないから」

「え? Y君がいなくなったからって・・他に話し相手はいないわけ?」

普段はほとんどいないよ、仕事先の人とちょっと話すくらい。あと夫、かな。
インコを飼ったのは、話し相手が欲しいからというより小鳥が好きだからなんだけど、
子どもたちが大きくなっちゃったから、何か可愛がるものが欲しくなったんだね。

想いがまとまらなかったから、友だちには苦笑しただけ。
友だちはそんなわたしのことは気にせず、しゃべりつづける。
だから、楽(笑)

友だちは、仕事やサークルや仲間との付き合いで充実している。
家には、話を聞いてもらいたいお嬢さんや晩酌の相手をしてほしい旦那さんもいる。

わたしは、今ちょっと時間があるだけで、充実していないわけでも、したいことがないわけでもない。
友だちが羨ましいのでもない(彼女の家族とわたしの家族は違うのだし、彼女とは性格も違うのだ)、
けれど、去年自分の大事な居場所をひとつ失い、子育ての先も見えてきたから、わたしはまた考えはじめたのだ。

「わたしは自分をちゃんと生かしているだろうか? わたしにもまだ何かできることがあるのでは? しなくちゃならないことが?」

このまま終わっても悔いはないけど、ね。


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赤ちゃんじゃなくなっちゃった。でもまだ食べさせなくちゃ駄目みたい。


KY or AKY?

「KYってどう思う?」

最近気になっていることを友だちに訊いてみたら、友だちが教えてくれた。

「AKY(敢えて空気を読まない)っていうのもあるんだってね」

そうなんだ・・知らなかった。
早速ネットで検索すると、「日本俗語辞書」(←クリック)にこう書かれていた。


AKYとは「あえて空気読まない」の略で、「空気読めない」を意味するKYの派生語にあたる。
KY(空気読めない)が注目され、集団生活や仕事において空気が読めることの重要性が叫ばれる中、
あえて空気を読まない=周囲の雰囲気や状況を気にしない、振り回されないといった姿勢がAKYである。



KYは、流行りはじめてからなんとなく気になっていた言葉だ。

わたしは子どもの頃からKYな人だったと思う。
そういえば、数年前、子どもたちや夫によく言われた。

「母さん、空気読んでよ」

「何にも考えないでしゃべるんだから?」

よく考えずしゃべって長男を怒らせたことも数知れず。
夫からは「(長男と)何年付き合っているんだ?」と呆れられた。
その時は反省してもまた同じことを繰り返す。
(長男は怒りっぽいけど、根に持たない。だから喧嘩相手としてはとても良い 笑)

わたしが空気を読まないでもやってこれたのは、運動部に属したことがなく、ずっと単独行動だったからかもしれない。
振り返ってみれば結構変わっていたわたしが人の顔色を気にせずにいられたということは
恵まれた子ども時代を送った証拠だろう。

そんなわたしが「場の雰囲気」を意識するようになったのは、子どもが幼稚園に入り、
他の母たちと交流するようになってからだ。

少しずつわたしは気がついていった。
ある人たちと話す場合、子どもや夫の愚痴を言わなかったり
他の人の噂話や悪口に合わせたりしないと、場の雰囲気が白けることに。
けれど、わたしは思ってもいないことを言うことはできなかったから
自然に話を聴く側に回るようになった。
女性は話したい人ばかりだからそれでも何の支障もなかったし、
友だちが少ないのには慣れていたから、平気だった。


昨年ある場所で「場の空気」の恐ろしさを体験した。
それが最初は明らかに変なものであっても、強力であったり巧妙であったりすると、全体を支配することさえある。
そしていったん支配されてしまえば、その原因や経緯を問おうとする人は
「後ろ向きで順応性も寛容さもなく不寛容で強情な人」と思われ、排除される。
「日の丸・君が代」問題の場合がそうであるように。


話が逸れた。

上手く読んでいるかどうかはともかく、わたしは今は(家以外では)周りの空気を読んで自分が浮いていることを自覚しているから、
集団の中に身を置きたくない、できればひとりでいたいと感じるのだと思う。

空気を読むことはある意味大事。
読んだ上で、その空気に合わせ、流されるか、それとも敢えて違う発言や行動をするかは
ケース・バイ・ケースで、それぞれが選び取っていかなくてはならないことだろう。
そうしないと、大切な自分も自分の信条も失くし、気がついたら下流に流されてしまっていて、
もう海に流れ込むしか選択の余地はない、ということだってあるだろう。


今日のタイトルに戻ると、わたしはAKYってことかしら。
AKYという造語があるということは、同志もいる!ということだろう。
少ないかもしれないけどね。

桃源郷あるいは故郷

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満開の枝垂桜を見ながら友だちが言う。

「綺麗! 桃源郷みたい」

ああ・・・。

わたしは実家のキッチンにかけられているカレンダーの写真を思い出す。
満開の桜の下に菜の花が鮮やかに咲いている田園の風景を。

多くの人の心にある桃源郷は、そこに生まれ育ったかどうかは関係なく、どこか懐かしい日本の‘故郷’の春の風景なのかもしれない。


故郷といえば・・先週実家に帰って父母の話を聞きながら思っていた。
わたしは、成人する前に故郷を離れたから、心のうちにいつまでも‘故郷’を宿していることができるのかもしれない、と。

周りがどんどん変わってゆく様を見、小さい頃優しいと思っていた近所や親戚のおじちゃん・おばちゃんの真実の姿に気づいてゆき、
時々会って一緒にただ楽しく遊んでいたいとこたちの紆余曲折を目のあたりにし、
それでも、昔と変わらぬ‘故郷’の思い出を持っていることは、不可能ではないにしても、きっと難しいことだろうから。

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実家の遠い親戚で、やはり若い頃に上京し、東京に住みついたおじさんがいる。
数年前、二番目の息子さんを跡継ぎのいない実家に養子に出した。
実家の兄嫁(お兄さんは二年前に亡くなった)が、自分が具合が悪くなったらすぐ飛んできて面倒をみてほしいというので
実家の敷地内のアパートを壊して新しい家を建て、その息子さんが一家で引っ越してくることになり、息子さんはそのためにいろいろ段取りをしていた。

それが、その実家の兄嫁の突然のひらめきでふいになった。

アパートを改築したら昔のようにたくさん人が入るかもしれない、
そうだ、アパートを壊すのはやめにしよう、そうすればお金がもうかる、
養子一家といっても自分と血はつながっていないし、小さな男の子がいるから煩くなる、
自分は70代でもまだまだ元気なのだから、そばに来てもらうのは自分が動けなくなってからでも遅くない。

とでも思ったかどうかはわからないが、アパートを壊す話は白紙に戻したいと言ってきた。

当然のことながら、職場もかえる心積もりをしていた息子さんはカンカンで、
養子縁組はご破算だ!と怒っていたそうだが、おじさんに宥められたらしい。

おじさんは、息子たちが実家に住んでくれれば、気難しい兄嫁に気兼ねせずいつでも故郷を訪ねられる
と楽しみにしていたのだ、その気持ちはよくわかる、と母は言った。

そういうものだろうか? 

定年を大分前に迎えたおじさんが生まれ育った故郷を懐かしく想う気持ちはよくわかる。
けれど、わたしは、自分が生まれ育った場所に帰りたいとは思わない。

故郷は場所ではない。故郷は、心の中にある。
だから、どこにだって故郷はある。
わたしはその故郷を大事にしていたい。

そしていつかほんとうの故郷に帰るのだ。

人間関係

人間関係の一番の敵は、
「無理する」ことだと思います。
無理して他人に合わせると
絶対に良くないと思います。

他人なんて他人だし、
あなたのことをそんなに
真剣に考えてないですから。

by 宮藤官九郎さん


そうなのだ、と思う。
人は所詮他人。
信頼するのは良いけれど
期待してはいけない。
期待せず無理せず合わせられる程度なら
構わないが
合わせすぎてはいけない。
無理して自分を殺し合わせていたら
いつかつけが回ってくる。
合わせているうちに
自分が何者かもわからなくなる。

***

友だちが言う。

「いつも、この人は人にしゃべっちゃう人かどうか判断しながら話してるんだけどね、
 Sさんの場合は間違えて痛い目にあった。
 私だから話してくれてるのかと思ったら、そうじゃなかったし。
 やっぱり人に知られてまずいことはしゃべっちゃだめだね。」

そう言いながら、「人に知られてまずいこと」を友だちはしゃべってくれる。
友だちの信頼が嬉しい。

***

Mさんは、「Tさん、どうしてあんなこと言うのかしら?」と言う。
MさんにはTさんの言ったことが‘悪口’に聞こえるらしい。

Tさんが感情を吐露しながら話してくれたのは
わたしたちを信頼してくれたからだし、わたしはそれを光栄に思っていた。
Mさんに‘悪口’のように聞こえたことも、相手を嫌いだから言っていた訳ではなく、
Tさんがそれだけ戸惑い傷ついたからなのだし、
Tさんは、誰に対しても同じように話すわけではなく、
わたしたちだから心を許して話してくれたのだから。

でもMさんにはそれがわからない。「内々」ということがわからない。
だから「内々」の話はMさんにはできないと思った。
「内々」でないところで、Tさんから聞いた話をしてしまうかもしれないと思った。
そんなことがあってから、Mさんとは以前より距離を置いている。

***

人との関係はほんとうに難しい。
だけど、人は人なしでは生きられない。
人はいつも人の温かさを求めている。
心を閉ざさず、人と歩いていきたい。

feel

昨日のつづき。


だけど、誰かと友だちになるときに
相手を理解しようなんて思う必要はない。

ただ相手を感じて、
一緒にいたい、会いたい、話したい
と思うだけでいい。

ふたりの間に育つものを見守っていればいい。


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急がずに

「人間をよく理解する方法は、
 たった一つしかない。
 それは、彼らを判断するのを
 決して急がないことである。」

by サント・ブーヴ


そもそも、人をほんとうに理解することなんてできるんだろうか。
自分でも自分がわからないことが多いのに。

でも思うのだ、相手を理解したいという気持ちを持つだけで
ずいぶん違ってくるのではないか、と。

けれど、相手を理解しようと思っている人はとても少ない。
理解してほしいと思う人はあふれているのに。


「判断するのを」急いではいけないけれど、ひらめきとか勘みたいなものはあると思う。
それは歳とともに鋭くなってくるような気がする。
とするなら、真の友ができる可能性は大人になるほど高くなるのかも?

現にわたしが今「生涯の友」と思っている人たちはほとんど
子どもが生まれてから知り合った人たちだ。
(大部分が子どもたちを通して知り合った人たちだから、勘で得た友だちとは言えないけれど、
 近づいたのは、お互いの勘みたいなものでだったのかもしれない)

ネットでも互いの何かに引き寄せられてできた友だちが何人かいる。
その中には、長くお付き合いさせてもらえる人もいるだろう。


粘着質で糞真面目で世間知らずなわたしの性格と
急速に親密になりやすいというネットの性格が相まって
これまで失敗を繰り返してきた。

わたしは相手を知るのを急ぎすぎたのだと思う。
知ってもらうのを急ぎすぎたのだと思う、
いや、見つけてもらいたい、知ってもらいたいと思いすぎたのかもしれない。

これからはもっとゆっくり・・。


気がついたら、
あそこにもここにも
訪ねていける人ができていた、
会ったことはなくても、
気心の知れた相手が増えていた、というのが今は理想かも。

年賀状(2)

ほとんど年賀状だけの付き合いの友だちから、今年も年賀状をもらった。
印刷された文字の一行に目が吸い寄せられた。

「HPを始めました」

ああ、とうとう。

きっとそんな日が来る気がして、密かに待っていたのだ。
早速わたしのHPにリンクさせてもらい、報告のメールを出す。

これからはきっとそんなリアルの友人・知人が少しずつ増えてくるのだろう。
楽しみにしていようと思う。


* 友だちのサイト「写真館道草」にはわたしのHP(←クリック)のお知らせからどうぞ。


***


年賀状といえば、メール世代の若者は年賀状というものを書くのだろうか。
数年前まではうちの下の子たちも毎年数枚は年賀状を書いていたのだが、
去年か一昨年ぐらいから全く出さなくなった。もらった年賀状1、2枚にだけ返信をしている。

メールのなかった頃は、環境が変わって会えなくなった人と連絡を取り続けようと思えば
手紙を書くか電話をするしか手段がなかった。だが、今はメールがある、SNSもある、
言葉を換えれば、つながっていたいと思いさえすれば、別れる必要はない。
そう、つながっていたいと思いさえすれば。

ある人たちにとっては、昔よりはるかに緊密であるかもしれないけれど、
ずっとわずらわしく、気遣いもしなくてはならない、
ある意味ではとても難しい交友関係じゃないかな
と思ってしまうのは、わたしが若くないからだろうか。

あ、年賀状のことから話が変な方向に・・。

言いたいのは、年賀状だけの緩いつながりも捨てがたいものだよ、
メールもいいけど、わたしは手紙や葉書を併用するのが好き、ということ。
要するに、これは好みの問題なのかも。今はたくさんの選択肢があるのだから、
ひとりひとりが自分に合った方法を選んでいけばいい。

個人的に言えば、年賀状はずっとなくならないでほしいけど。

年賀状(1)

今年は少し減らそうと思って住所録をチェックしてゆく。
去年の元旦にはこの人からは来なかったな、と思う人を省く。
「こうして人との縁を切っているのだな」と寂しく思いながら、
作業が終わると、ちょっとすっきり整理できた気がしてほっとする。
だが、元旦になって、自分宛てに届いた一枚一枚を見て懐かしさが湧く。
出していなかった人にはいそいそとお返事を書いてポストに入れる。
そして気がつくと、整理できたのはほんの数人ということになる。
(そしてその数人に対して感慨に浸る)

そんなふうに、年賀状について悲喜こもごもの思いを抱くのはわたしばかりではないらしく
元上司からいただいた年賀状には、こんなことが書かれていた。

年賀状の時期になると、もう年をとったし、
やめようかなと思ったりする。だが、
互いの消息を確かめることも大事、
生かされていることの証明にもなると思い
ほとんどすれ違いの年賀状を書くことにした。


この元上司や元同僚とも、中学・高校・大学時代の同級生とも
年賀状がなければ、とっくに関係は切れている。言葉を換えれば、
年賀状のやりとりを続けていれば、いつかまた会える可能性もある。

そう考えると、年賀状のやりとりも馬鹿にはできない気がする。

わたしが送るのはいつも愛想のない年賀状だが、
友だちからは様々な年賀状が送られてくる。
嬉しいのは、友だちの近況が書かれているものや
わたし個人宛てのメッセージが書かれたもの。
それはわかっているのだが、同じように書くのは難しい。

元上司からの年賀状にあった、「ほとんどすれ違いの年賀状」という言葉が心に残った。
そうだ、心に残る文章や質問の書いてある年賀状にはお返事を書こう。

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ありがとう。

今年もありがとう。

先日ラジオでやっていた番組に倣って「喜怒哀楽でまとめると今年はこんな年」
と今年をまとめたかったのだが、「喜怒」が浮かばず断念。
代わりに今年を漢字で表してみると、
「悲」「驚」「呆」「話」「哀」「諦」「委」「引」「戻」等が思い浮かぶ。
合間合間に「嬉」もたくさんあったけれど。

3月22日に教会の牧師先生が亡くなり(こちらにまとめてあります)
その後、様々なことが起こり、わたしの心の中には嵐が吹き荒れた。
嵐が収まってきたのはつい最近のことだ。

ネットでもいろいろあり、言葉だけで人とやりとりすることの難しさを痛感し、
今年はいつもにも増して引きこもりブログになってしまった。
だが、「誰かのために毎日書かなくては」という気持ちから開放され、
わたしはやっと気負わずに更新できるようになってきたようだ。
ふと思い立って3ヶ月ほど前に始めたメールマガジン「風にささやく」(サイドバーをご覧ください)
もなんとか軌道に乗ってきた。
(ここでは数行の言葉を「毎日書く」というノルマを自分に課しているが、
 単調な暮らしをしているわたしにとってはこれも必要なことだと思っている)


みなさん、今年も来てくださってありがとうございました。
来年も良かったら気ままにお付き合いくださいね。

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昨日の朝焼けと

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夕焼けと

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日没後の空


年の終わりに空っぽな心で空を見上げ感動できることに感謝。


少数派

「人間関係でまた大変なの、聴いてくれる?」

友だちから電話がかかってきた。
一部始終聴いてから友だちに言った。

「あなたは間違っていないから大丈夫」

友だちが訊く。

「その確信はどこから来るの?
 周りの人がみんな同じ意見で自分だけ違っているときに
 どうやって自分が正しいと判断するの?」

う?ん・・・しばらく考え込んでから
「わたしの規範は聖書だから・・」と説明を始めてみた。

そのこたえに、友だちは納得してくれたが(この友だちもクリスチャンなのです)、
考えてみたら、そういうことでもないかもと思い当たった。

「わたしは子どもの頃からいつも周りとは違っていたから、
 わたしにとって、人と違うのは当たり前なの。
 わたしは(何かするとき)自分が正しいか間違っているかなんて、考えないみたい。 
 ただ、他の人は違うかもしれないけど、わたしはこうするよ、こう感じるよ、
 わたしのやり方はこうだよ、と言うだけ」

「・・なるほど」


正しいかどうかなんて誰にもわからない。
ただ自分が何を選択するか、ということなのだ。

だが、自分の意見をもち、それを大切にし、流されないということは
日本社会の中では「浮く」ということだし、少数派であり続けるということだ。

だから、たぶんそれは難しいことなのだろう、と最近改めて感じている。


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感受性の話

先日、谷川さんのお話の後に質問の時間があったが、60代の婦人の質問への答えが面白かった。
婦人の質問はこうだ。

「自分は俳句をやっているのですが、 歳をとってくると感受性は鈍くなるものでしょうか」

谷川さんは訊かれた。

「誰がそう言うんですか」

「いえ、友だちとよくそんな話をするんです」

「そう思えばそうなります」

谷川さんは歳とともに自分は良くなってきていると思うのだそうだ。

ふたりの話を聴いていて、茨木のり子さんの有名な詩を思い出した。


自分の感受性くらい

               茨木 のり子

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
何もかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ


この詩に出会ったのはネットを始めてしばらくしてからだった。
深く共感した。
自分の鈍いのを何かのせいにしてはいけない。
自分は自分で育てなければ。

わたしは喜怒哀楽は激しくないし、繊細とは程遠いし、涙もろくもない。
自分は鈍感だとずっと思ってきた。
だからネットに書くようになって、時折「あつこさんの感性が好き」
と言われるのが不思議でならなかった。

そもそも、感性って何だろう?

辞書には、「感性」は「外界の刺激に応じて、知覚・感覚を生ずる感覚器官の感受能力」、
「感受性」は「外界からの刺激を深く感じ取り、心に受けとめる能力」と書かれていた。

なるほど。
だとしたら、鈍い人のほうが敏感な人より時間をかけて
「深く感じ」、「受けとめ」ているということだってあるかも?(笑)


歳をとってきたからといって腐らず諦めず、
夢に届かないからといって投げ出さず、
他の人が思うような反応をしないからといって嘆かず、
明日に向かってゆっくり歩いていこう。

11月18日

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11月18日


あなたとあなたのことを想っています

あなたとあなたに出会えた不思議を


生まれてきてくれてありがとう

あなたでいてくれてありがとう


末永くどうぞよろしく




言葉を宿す

先日、児童文学者の松居直さんのお話を聴く機会があった。
ルカの福音書10章に登場する姉妹マルタとマリアの話から
聴くことの大切さを松居さんは語られた。

松居さんの話の中で非常に印象的な言葉があった。
松居さんは、以前大学で教えておられたことがあるのだが
同じ話をしているのに、どうして学生に理解の差が出るのだろう
と、とても不思議だったという。
最初松居さんは自分の話し方が悪いのだろうかと思っていたが、
次第に、聴く学生のうちに言葉が豊かにあるかどうかで
理解にものすごい差が出るとわかったという。

それを聴いて思い当たったことがある。

最近知り合った方でとても前向きな方がおられる。
その方はもう70歳を過ぎているが、
脳梗塞のためにほとんど立つこともできないご主人の介護を
ひとりで献身的にしておられる。
ベッドから椅子に移乗したりオムツを替えたり着替えさせたりと
考えただけでもとても大変なはずなのに
その方は朝早く起きて40分ほどウォーキングをし、
ご主人をデイサービスに送り出してからもデレーッと休んだりせず
水泳に行ったり体操をしたり友だちとおしゃべりしたり
あれこれ雑用をしたりする、そしてご主人が帰ってこられてからは
ずっとご主人のそばについて世話を焼いておられる。

それでいて、介護の合間に本をたくさん読んでおられるのだ。
「私は乱読よ」と言われるとおり、あらゆる作家のものを。
「でもすぐ忘れちゃうの」と言っておられたが、松居さんの話を聴いて思った。
たとえ忘れてしまっても、読書はその方の前向きな生き方・ポジティブな物事の捉え方に
大きく貢献しているのではないか。


「本が友だち」という、人から見たらかなり寂しい人生を送ってきたわたしも
そう考えると、ちょっと救われる気がする(笑)

最後まで残るものを

「やさしいことは つよいのよ」

by 宮城まり子さん



「人と人は・・」のつづきです。


人と人がわかりあうのはほんとうに難しい。
もしかしたら、誰ともわかりあうことなんてできないのかもしれない。
どんなに親しい相手であっても、「わかる」と思った時点で、
もう何か違ってしまっているのかもしれない。
いや、むしろ、親しい相手であればあるほど、十分気をつけなくてはならないのだろう。
そしてお互いに心地よい距離を上手くとっていかなくては。相手を失わないために。

「人と人とは・・」に書いた失敗から学んだことがある。
この失敗は、メールだからこそ起こったこと。
メールでなければ、自分の素直な(マイナスの)気持ちなど伝えようと思わなかっただろうから。
会って話していれば、あるいは電話ならば、相手の表情や声から相手の反応が読み取れて
ある時点で、これ以上話すのはやめにしようと思っただろうから。
面と向かって話せないことを気軽にメールに書いてはならない。
(プラスのことだったら良いかもしれないけれど)

***

人と人はほんとうの意味でわかりあうことなんてできないのかもしれない。
何かあったとき、価値観の違う相手に自分の気持ちを理解してもらうことはできないかもしれない。

けれどもわたしは信じている。
誰にも通用するものはあると。それは見えないものだけど、最後まで残るものだ。
それをわたしは追い求めていきたい。

***

関係ないけど、最近ネットの友だちがわたしのことを「hot & cool」と表現してくれて
わたしはそれが気に入っている。わたしのことをよく見ていてくれてありがとう。


チューリップ


実は10日ほど前、「風にささやく」というメールマガジンを始めました。
前にHPのbbsで書いていたみたいな短いつぶやきを書いています。
始めてはみたものの、これからどんなものが書けるかわかりませんが、
何でも始めたらやめられないわたしなので、たぶん書ける限り書いていくんだろうと思います。

毎晩8時頃送信しています。こちらをご覧くださいね・・→「風にささやく」


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話すのは苦手?

たまに「しゃべるのは苦手だから」言うと、それを聞いた人は大抵「そ?ぉ?」と意外そうな顔をする。
そうだよね、あなたとこんなにしゃべってるのに、しゃべるのは苦手なんて言ったら戸惑うだけだろう。

だけど、わたしはほんとにしゃべるのが苦手。
誰とでもすぐ友だちになってしまって、話すのに困ったことがない(ように見える)
夫のそばにいるから余計そう感じるのかもしれない。

なぜ苦手だと思うのかについてちょっと考えてみたら、いくつか理由があることに気づいた。

一般常識(&教養)が欠如している、雑学に乏しい、興味のあることが限られている、
欲(良い意味でも)があまりない、自分や家族に関して話したいことがほとんどない
(あったとしても、相手が聞きたいことだとは思えない)。

要するにわたしは‘ないないづくし’なのだ。

しゃべるのは苦手だけれど、人と話すのが嫌いなわけではない。
どちらかというと、好きな方だと思う。人の話を聴くのが好きなのだ。
だから話すのがいちばん楽な相手は、しゃべるのが好きで聴いてほしい人。
女性はほとんどそんな人ばかりだから、わたし自身はしゃべるのが苦手であっても、
日常話すのに困ることはない。
(家族は男ばかりだが、普段はお互い黙っていても、気詰まりと思うことはない
 父や弟もそうだし、毎週お会いする方々もそう)

けれども、いつもそんなふうに聴き役だったり、
相手には興味がないだろうと思って話さなかったりするから、
たまってくるものもある。
だからわたしは書きたいのかもしれない。


わたしの聴いてほしいのは、ほんの些細なこと。

朝、窓から吹いてくる風が気持ちよかったとか、
昼、見上げた空に面白い雲が浮かんでいたとか、
見て、ベランダに蝶々が来ているよとか、
道ですれ違ったベビーカーの赤ちゃんが可愛かったとか、
夜風が涼しくなってきた、虫の声がやけにうるさいねとか、
ふとこんな考えがひらめいたんだけどとか、
素敵な言葉(詩)を見つけたよとか、
この曲を聴いていたらジーンとしちゃったとか・・・。


いつも聴いてくれて、ありがとう。

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ひとり言

空が凝視(み)ている

                八木重吉


空が凝視ている
ああ おほぞらが わたしを みつめてゐる
おそろしく むねおどるかなしい 瞳
ひとみ! ひとみ!
ひろやかな ひとみ、ふかぶかと
かぎりない ひとみのうなばら
ああ、その つよさ
まさびしき さやけさ



実家の本棚で八木重吉さんの本を見つけて読みながら、どれだけでもいい、この人に近づきたいと思っていた。

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絡みに絡んだ糸を見ていると、絶望的な気持ちになってくる。

こんなふうになる前に、誰かがどうにかすることはできなかったのか?
 
   気がついている人たちも、見ていることしかできなかった。

こうなってしまっては、糸をほぐすのではなく、糸を何箇所か切ることしかできないのか?

   ・・・たぶん、人間にはそれしかできない。

わたしができることは?

   笑顔で踏ん張ることだね。納得がいくまで。いま逃げてしまったら、後で後悔するよ。

コタエはいつも自分の中にあるのだね。どこまで踏ん張ればいいか、心が教えてくれるだろう。

人には不可能でも、神さまがおられる。

神さまの御業を見守っているだけでいい、わたしはわたしのすべきことだけしていれば。

それしかないものね・・。

メールと電話

一昨日、11月のバザーのことについて友だちから電話があった。

電話を終えてから、あることが気になってしまい、夜、メールを出した。
昨日の朝メールチェックをしたらお返事が来ていた。
文面から、わたしが伝えたかったことが伝わらなかったと思い返信したら、
しばらくして電話がかかってきた。

「ちょっといい?」

出かける間際だったので、その旨を伝えたが、友だちは「わかった」と言いながら話しはじめる。

「ごめん、ほんとに出かけなくちゃならないから」と電話を切る。

帰ってきたら、メールが来ていた。返信する。

少ししてメールがあった。

「いま話せますか」

「はい」

すぐに電話がかかってきた。
ちょっと長めに話す。

友だちは落ち着いた模様。
わたしも、彼女のことやこれからのことを心配し考えすぎていたことがわかった。
(ひとりで考えはじめると考えすぎて熱くなるのが悪い癖。
 カーッとするとわたしの場合、言葉はやたら丁寧にそしてクールになる。変?)

なんだか、とても疲れた。
と同時に、メールだけで意思疎通することの難しさを実感する。

一緒にバザーの準備をしている別の友だち(の携帯)にそのことをメールで伝えたら、
すぐお返事が来た(それが携帯メールの良さ。携帯を持っていないわたしが言うのもおかしいけれど)

自分も最近メールで余計ややこしくなる経験をした、その時はやはり電話で話して誤解が解けた、と。

そんなことがあってふと、携帯を使いこなしている若い人ってすごいんじゃないかと思った。
文字だけのやり取りで関係が複雑になったり不味くなったりすることはないんだろうか。
それとも、若い人って、思っているより密な付き合いをしているんだろうか。
関係が密ならば、つまり親しい間柄なら、メールで気持ちが行き違ったり誤解しあったり
ということは少ない気がするから(それとも、電話?直に話すの?とメールをちゃんと使い分けている?)


そういえば、「さんまのからくりTV」で、若い女の子たちが中年の男性に
携帯メールの打ち方を指導しているコーナーがあったっけ。

携帯メールには想いを効果的に伝える‘技’があるのだと女の子たちは言う。

女の子たちの指導を受けて出したメールに、願っていたとおりの返事が来る
(大体の場合お嬢さんから)
男性たちは、こちらまで嬉しくなるくらい手放しで喜ぶ(男の人ってかわいいと思う瞬間)

メールに関しては、若い人たちから学ぶこと、たくさんありそうだ。



みなさんは、メールと電話、どう使い分けていますか。

子どもの頃の自分に

「子どもの頃に戻りたい」という友だちの言葉を聞いて反射的に思った。

わたしは戻りたくない、今の方がいい。

そう思ってしまってから、自分はどうしてそう思うのかしら?と考えていた。
いくつかの理由が思い浮かんだ。

わたしは子どもの頃の自分が(今にもまして)好きではないのだろうということ、
子どもの頃より今の方がずっと(精神的に)楽だということ、
子どもの頃、意識してはいなかったけれど、わたしは寂しかったのかもしれないということ、
わたしがいま大好きな人たちはほとんど大人になってから会った人であるということ・・・。


今はどう考えてみても子どもっぽいわたしだが、
小さい頃は、子どもらしくない、可愛げのない、目立たない子どもだったと思う。
保育園から小学校にかけてはとても大人しく、泣いてばかりいた。
近所の友だちや弟とは遊んだが、クラスの友だちと遊んだ記憶はほとんどない。
高学年になってやっと、一緒に学校から帰ったり行き来したりする友だちがふたりできた。
それからは、友だちがいないことはなかった。
けれども、その頃もわたしには自分のことを話す習慣はなかったから、
友だちに打ち明け話をするということはほとんどなかった。
(感じていることや思っていることを初めて話したのは、片想いの男の子にだった、手紙で。
 わたしはボーイフレンドがほしかったのではなく、親友がほしかったのかもしれない)

だが、寂しいとは思っていなかった。
わたしには本や音楽があったから、わたしはいつも本の登場人物たちとお話の世界に生き、
当時流行っていた音楽に感情移入し、聴き歌うことで想いを発散していた。

それはそれで良かった。けれどもわたしには、
本のことを語り合ったり一緒に音楽を聴いたり歌ったりする‘仲間’はいなかった。
そこにいるのは‘自分’だけだった。


人は、人と関わりあい人の中で人とともに生きることで、‘人’になっていくのだと思う。
高校以降出会った人たちのお陰で、わたしは少しずつ自分以外のものに関心を持つようになった。
そして自分のちっぽけな世界から少?しずつ外に出ることができるようになった。

わたしの世界は今でも狭いし、わたしが毎日家族以外で会うのはひとりふたりだけれど、
今は心を通わせることのできる人たちも何人かいるし、街ですれ違ったら立ち話のできる人たちもいる。

それに、今はネットもある。子どもの頃には考えられなかったこと。

PCに向かっていると、どうしようもなく寂しくなることがたくさんある。
それは自分がこんなにひとりだったことに気づくからだと思う。
この寂しさはおそらく、人が人であるゆえの根源的な寂しさだから、逃れることはできない。
寂しさは一生抱えていかなくてはならないのだ。

けれども、ネットをすることで、少なくとも‘無限の可能性’は手にしている。
どんなところに住んでも、ネットの向こう側の人たちに、
自分が日ごろ家族や仲の良い友だちにすら滅多に口にしない想いを発信することができる。
書き続けていれば、いつか、思わぬ、運命的な出会いだってあるかもしれない(笑)

だからわたしはネットに書くことがやめられないのだと思う。
わたしにとって、書くことは誰かに手を伸ばすことでありつながることだから。

わたしは手を伸ばし続ける、たとえ手をとってくれる人が誰もいないように思えても。



・・・ちょっと話がそれちゃいました。でも、今日はこの辺で。

価値観

昨日のつづきです。


価値観が多様化している時代だということはわかっているつもりだった。
けれども少なくとも同世代の人たちは似たような価値基準をもっているはずとぼんやりと思っていた。
だが、友だちと話していて、そうではないということが次第にわかってきた。
つくづく、狭い世界で生きてきたわたしは未だに世間知らずなのだと。


昨日書いた母娘のことについて、娘のいない、まして知り合いでもないわたしには何も言えないし、
訊かれてもいないのに、何かを言うべきではないだろう。
だが、友だちと話していて思った。

自分が何か違和感を感じることがあるのならば、それがどうしてなのか
自分の気持ちを言葉で表せるまで考えていかなくてはならないのではないか、
そうやって、ひとつひとつの問題について自分の価値観を築き上げ
この時代に自分はどう生きるか選び取っていかなくてはならないのではないか。

それでなければ、「何かおかしい」と思いながら流されてしまうのだろう、と。

ほんとうの意味で自分の生を生きるためには‘杭’が必要なのだ。


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それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、
ふたりは一体となるのである。

(聖書:創世記2章より)

学校に望むもの

昨日のつづき。

番組には灰谷さんの教え子も出演していた。当時の文集を見せながらその人は言った。
クラス替えで灰谷さんが担任になったとわかったら、母が周りの人に「ご愁傷さま」と言われたんですよ、と。
灰谷さんが作文などにばかり力を入れていて、「勉強が遅れる」からだ。

それで思い出した。

長男の小学校3、4年の時、ふたつあったクラスの担任はどちらもベテランだったが両極端だった。
長男のクラスを受け持っていたのは女の、きっちりしたA先生。勉強を教えるのが上手いと評判だった。
もうひとつのクラスの担任はあまり風采の上がらないB先生。でもいつも子どもたちと一緒に笑っているという印象だった。

わたしがA先生について疑問をもちはじめたのは長男のひと言だった。
クラスには、児童養護施設から通っているC君という子がいて
友だちにいたずらしたり乱暴したりとにかくひっきりなしに問題を起こしていた。
あるときそのC君にA先生は
「そんなことをしていたら、今に新聞に載るようになる」と言って注意したのだという。
わたしは呆気にとられた。クラスのみんながいる前で平気でそんな言葉を吐けるとは。
C君の行動が悪いのは事実だっただろう。けれどもその背後にある寂しさを先生は感じ取れないのだろうか。
親と一緒に暮らせないC君をなぜ先生はまず愛そうとしないのだろう。

A先生の教育方針はそのことに表れていた。

長男はその先生が担任だった二年間、たびたび休んだ。
近くに住む同じクラスの女の子が連絡帳をもってきてくれて言った。
「もう大丈夫、先生、怒ってないから」
長男だけが怒られることはたぶんなかったと思うが
A先生は何かで怒り始めるとその日一日中怒っていたらしい。
(そればかりか、保護者に何か言われると「馬鹿な保護者がこんなことを言ってきた」
 とその保護者の子どもたちの前で延々と愚痴る)

けれどもA先生を評価するお母さんたちもいた。
勉強をしっかり教えてくれず時間にルーズで字も汚いB先生よりずっと良いと。
(B先生が担任だとわかると、それこそ「ご愁傷さま」と言う保護者もいたのだ)

「勉強なんてどうでもいい」と思っていたわけではないが、
わたしはB先生のクラスが羨ましかった。毎朝歌声が聞こえ、笑いの絶えないB先生のクラスが。

A先生は確かに教えることは好きなのだろうが、子どもは好きではないのではないだろうか?
好きだとしても、自分の言うことを聞く、できの良い子ども以外は
どうでも良いと思っているのではないだろうか?とよく思った。


学校は何よりもまず子どもの心を大事にし育む場所であってほしい、
先生方には、ひとりの例外もなくどの子も大切にして、
その子のうちにある宝物を引き出してほしい。
勉強に関して言うならば、ノウハウでなく、学ぶことの楽しさを教えてほしい。
そして子どもたちには、様々なことを通して先生や友だちと共に育ち合ってほしい。
(はっきり言うと、子どもから学ぶ姿勢のない先生は先生の資格がないとすらわたしは思う)


そう望むのはおかしいのだろうか。

「してもらいたいこと」違い

最近あることからしみじみと思ったのは、聖書に
「何事でも、自分にしてもらいたいことは、他の人にもそのようにしなさい」という言葉があるのだけど
「自分にしてもらいたいこと」=「他の人のしてほしいこと」ではないんだということ。

例えば、先日「仕切り」で例に挙げたA型の友だちはあれこれ気の利く人で、
家族はもちろん他の人のためにもいろんなことをしてくれる。
別にお礼を言ってもらうためにそうしているわけではないし、
そうすることが彼女にとって気持ちの良いことなのだけど、
話を聞いていると、どうもそれに対してもっと言葉を尽くして感謝してほしいみたいなのだ。

わたしは照れ臭いから、「ありがとう」も言ってくれなくていいっていう感じだけれど。

それからAでなくても女性には多いかもしれないけれど、
彼女はひとつのことを説明するのに、ものすごくたくさんの言葉を使う(はっきり言ってしまうと、回りくどい)、
気を遣いすぎてあまりにも遠まわしに婉曲的に言うため、肝心のことにはふれられなかったり。
だからよく家族(男ばかり)に「で、お母さん、何が言いたいわけ?」と言われるという。「もっとはっきり言ってよ」と。
彼女にとっては結論と同じくらい経過が大事だから、
話をじっくり聴いてもらえないことや気持ちを察してもらえないのがとても寂しいのだという。

わたしは結論だけ話しがち。それで彼女にどうしてそういう結論になるのか訊かれる。
結論を出すのにはわたしにももちろん長い話があったりもするのだけれど、
話すのは得意ではないから(話すようなことではないと思っていることも多いし)、とても困る。

親しくなった人との距離感(心地よい距離)も付き合い方も、相手と自分では相当違うような気もする。
わたしはすぐ家族みたいに思ってしまう傾向があるので鬱陶しいかも。

「自分にしてもらいたいこと」でなく、「相手のしてほしいこと」を考えるって、ほんとうに難しい。
そのためにはまず相手のことを知らなくてはならないけれど、
わたしたちは人とどれだけ本音の付き合いができているだろう。

仕切り

人は人、自分は自分という仕切り分けみたいなものがちゃんとできない人もいるのだと
友だちと話していて気がついた。

誰かの話を聴いている時も、それは相手のこと、相手の心配事、相手の問題というふうには捉えず、
相手はただ話したいだけなのに、それに対して意見したくなったり、否定してしまったり、
自分の問題に還元してしまったりする人がいるのだと。

それは夫婦関係とか子どもとの関係にも影響しているらしく
友だちはそのことでとても苦しんでいる。

そのことはわかるけれど、わたしには何と言ってあげたらいいかわからない。

友だちは、自分はAだからと言う、あなたはOでいいわね、と。

確かにそれもあるかもしれない。

一緒に話したもうひとりの友だちもOなのだが、
彼女も人の話を聴いているときは「ああ、そうなんだ、そういうこともあるんだ」
と思うという。そして、自分とは違った価値観や考えでも、それはそれと聴けるという。

だけど、これって、血液型の問題なんだろうか。
もしかしたら、もっともっと深い問題なのかも。


ちょっと思ったのだけど、相手に意見したくなったり否定したくなったりするのは
それがその人の根源的な問題に関わることだから、ではないだろうか。
そうしないと、自分とか自分の生き方とかが否定されているような気持ちになってしまうから・・。


友だちには、
「あなたは精一杯やってきたし、今だって頑張っている、
 あなたはあなたでいいんだよ、もっと自分を認めてあげて」
と言いつづけたいと思う。



孤独の確立

先日の保護者会で先生が言われた言葉が心に響いた。

「携帯のない時代には戻れないんで」


どんなに懐かしんでも、わたしたちは過去に戻ることはできない。
ツールによって、人と人との関係も少しずつ、あるいは目まぐるしく変化してゆく。

ネットの世界もそうだ。

MLだけしか知らなかった時代、HPやbbsが主流の頃はほんの数年前のことなのに、もうはるか昔のように思える。
ブログが流行り、SNSが現れ、ネットの世界はあまりにも複雑になった。

わたしはその複雑な世界の中で、たくさんのものを得、同時にたくさんのものを失った。
わたしがずっと大事にしてきたのは「人との関係」だったのに、
ネットで出会った人と良い関係を続けることはなんと難しいことだろう。
人と人とはなんと違うことだろう。


今朝タバスコさんのブログに行ったら、こんな言葉が書かれていた。

「ひとの一生は『孤独の確立』である」

そうなのかもしれない。

お茶の間

下のふたつの記事を書いていて思ったのですが、
日本が豊かになって失ったものの一つに「お茶の間」があるのではないかしら。

「お茶の間」の真ん中には良い意味でも悪い意味でも‘親父’がデーンと座っていたけれど、
「お茶の間」が「居間」とか「リビング」とか呼ばれるようになり、いつしか‘親父’の存在が薄くなり、
母子は密着せざるを得なくなり、子どもたちは個室を与えられ・・・。

わたしがネットでつくりたいと願ってきたのは、新しい形の「お茶の間」だったのかもしれません、
住む地域も、年齢も、職業も、趣味も、性別もまちまちの、出入り自由の。
でも、その中心に「デーンと座って」いなければならないわたしがふらふらだったから、夢は叶うはずもなく。

ネットをさ迷っていると、あちこちにそんな「お茶の間」や「リビング」があるのに気づくのです。

そのつもりになれば、いえ、ならなくても、書き続けてさえいれば
そういう場所は自然とできるはず、あなた色の場所が。

だからわたしもこの夢は捨てないでいようと思います。

わたしのキャラでは、どう頑張っても賑やかな場所にはならないだろうけれど
ひっそりした場所が好きな人もきっといると思うので。



「MOTTAINAI」

「ツタヤに行ったけど、イルカのアルバムなかった。
 さだまさしもないし。ああいうところに出さないことにしているのかな」

長男が呆れたように言う。

「イルカって昔の人でしょ?
 ツタヤに母さんぐらいの歳の人、どのくらいいる?
 人気がないから置いてないんだよ」

そう、なんだ・・・。だから、さださんのアルバムも置いてないのか。


ところが最近、見つけたのです、さださんの「とこしへ」というアルバム。
その中に「MOTTAINAI」という曲がある。その一節。


平和な時代に生まれて来たから 平和がどれ程素晴らしいかに
気づかないからありがとうを忘れたね MOTTAINAI
命を大切に
誰かの犠牲の上の今の平和が どれ程尊いかどれ程大切か
誰も教えなかったねごめんね MOTTAINAI

愛に溢れた時代なんだよ 本当は今世界に愛は溢れてるんだよ
受け止める心が枯れているだけなんだよ MOTTAINAI
君を愛してる
こんなに豊かで平和な時代に 生まれて来たというのに
こんなに豊かで平和な時代に生きてるのに MOTTAINAI


「ひどい時代だ」とはよく耳にする言葉だ。「昔はよかった」という言葉も。
ニュースを聞く限りでは、心痛むニュースや頭にくるニュースばかりだ。
時代は確かに変わったのだろう。
だが、ほんとうに昔のほうが良かったのだろうか。
(「昔」とはいつのこと? 戦前? 戦争中? それとも戦後の‘物’のない時代?
 それとも、単に「若い頃は良かった」ということ?)
人はそんなに変わってしまったのだろうか。

少なくとも、わたしの周りの人々はそれほど変わったとは思えない。昔の人の方が優しかったとも思えない。

学校は変わったかもしれないが、子どもがそれほど変わったようにはわたしには思えなかった。
(変わったとすればむしろ、かつて自分も子どもであったことを忘れてしまった大人の方だ、たぶん、いつの時代も)
ネットで若い人たちのブログや日記を見せてもらうと、多くの人は昔同様悩みながら
真摯に生きようとしている。友だちと声をかけ合い励まし合っている。

TVを観ると、司会者や出演者の毒舌や品のなさに辟易することも多いが、
時たまその後ろに覗く優しさやナイーブさにはっとする。

「人は変わっていない」と断言するつもりはないが、「変わってしまった」と言い切る根拠がわたしにはない。

さださんの言うように、気づかないだけで、ほんとうは「世界に愛は溢れて」いるのかもしれない。
みんな愛を求め、愛を差し出す機会を、差し出せる相手を待っているのかもしれない。

「時代」を嘆いていても始まらない。わたしたちは「今」に生きているのだし昔に戻ることはできないのだから。
問題は、この時代の中で、わたしがどう生きるか、わたしの愛をどう表現するかなのかもしれない。

もう一度さださんの「MOTTAINAI」から。


愛してもらうことを願うならば 愛することから始めたらいい
本当は愛に囲まれてるのに気づくだろう MOTTAINAI
愛されてるんだよ
誰もが自分本位だからって 心を閉ざしてしまったらきっと
誰かが気遣ってくれてもそれに気づかないよ MOTTAINAI



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道端に咲いて
気づく人にだけ
愛を
そっと差し出している
ハナニラ

長女的気質?

先日、友だちが言った。

子育てする上で周りの人たちと価値観が違うとき自分はもっと揺れ動く、
あんまり他の人が違うと、自分の方が間違っているんじゃないかと思ったりする、
だからいろんな人(自分に近い人)の意見が聴きたくなる、と。

そういえば、友だちは前にもそんなことを言っていたっけ。

友だちが以前住んでいたのは、高学歴の人ばかりが住む分譲の団地で、
家族ぐるみでお付き合いしていたのも、そういう人たちだった。
100%お弁当持参・集団登降園・手作り推奨という今時珍しい幼稚園を選び
あれこれ助け合いながら一緒に子育てをしていた仲間だった。
だから子育てについての考え方は似ていると思っていたのだが、
子どもの高校受験の時、自分が他の人たちとは随分違っていることに気づき、
友だちは愕然としたという。


子どもが親の期待通りに‘できる’(成績の良い)子で、素直に親の言うことを聞く子だったら、
他の子が‘できない’のは、その親の努力が足りないためだとか
やり方(勉強のさせ方・仕向け方・導き方等)が悪いだめだと思うものなのだろうか?
良い成績をとれない子どもやその親の気持ちを思い遣れないものなのだろうか?


どうして(あなたは)動じないの?と友だちに訊かれて答えた。

「だって、自分がいいなぁと思う人や尊敬する人はみんな同じことを言うし、夫もそうだから」

「うちもお父さんはそうなんだけど・・あの人はそういう人でしょと言うけど
 あんまり違う人たち(お母さんたち)に囲まれていると・・」


価値観が違う人が悪いと思っているわけではなく、
人は人、自分は自分、みんな違うのは当然だから
わたしはわたしのやり方でやるわ、とわたしは思っているようだ。


友だちは誰かに何かを言われて傷ついたりムシャクシャしたりすると
自分のうちで収めることができず、誰かに聴いてもらいたくなる、という。

「わたしは自分でなんとかするよ、だって誰かに言ってもしょうがないじゃん」

そう言うと、

「ああ、長女だから自信があるのよ、お父さん(友だちの旦那さん)も長男だからそんな感じ」

と友だちは言う。


そう、なんだろうか???


***


この疑問が先日の【質問】に結びついたのでした。
わたしは、何かあると家族にちょっと愚痴ったりはするけれど、どこかに書き散らしたりもするけど(笑)
「聴いて、聴いて」とはならないのです。
‘何か’が過ぎ去れば話せるかもしれないけれど、渦中にいる時はひたすら内向するのです。

これは、もしかしたら、長女的気質というより男脳が強いから?





【質問】

「嫌なことがあったとき、あなたはどうしますか。」





好き嫌いでなく

先日書いた質問の答えを考えていて思っていた。
好きなところはどこか、嫌いなところはどこかという以前に、
わたし、やっぱり自分が好きじゃないな、嫌いっていう訳でもないけど。

もし自分と同じ人がいたら、友だちになりたいとは思わないだろう。

美人でもないし(見ていて楽しくない)、おしゃべりは下手だし、物を知らなさすぎるし、クソ真面目だし、
興味あることが少ないから一緒にいても退屈だろうし、訳わかんない、変な奴だろうし。

他にいくらでも候補はいたはずなのに、わたしをパートナーに選んだ夫の気が知れない(笑)
(だから、夫の知り合いが「奥さんに会いたい」と言っていると聞くと、とても当惑する
 「会わない方がいいと思うわ」)

でも、好きでないにしても、自分と別れるわけにはいかない、一生付き合っていかなくてはならない。
自分がいちばん見えていないのは自分かもしれないけれど、
自分のいちばんの理解者は自分なのだろうし、
わたしには、わたしの人生をより良いものにする責任がある。
わたしには、わたしという人間が人生を全うするのを見守っていく責任がある。

仕方ないな、一生面倒見るよ。相当厄介な、手の焼ける奴だけど。

【質問】

「自分の好きなところと嫌いなところを教えてください」



***


「言葉の花かご」に書いている質問を週一くらいのペースでこちらにも書こうと思います。
一緒に考えてみませんか。

あなたの答え(コメント)、お待ちしています。真面目なのでもユーモラスなのでもなんでも。
(答えはこちらでも「言葉の花かご」でも、書きやすい方に書いてね)

質問すること

「質問することは質問に答えることと同じくらい重要な知能である」

「答える力も一つの知能だが、質問する力もまた
創造的知能として、測定し、開発すべきだ」


by ロバート・J・スターンバーグ



「質問すること」ってやっぱり大事なのだな。

そういえば、去年の今ごろも、山田ズーニーさんの本を読み、
同じことを感じ、マイぷれすに新しいカテゴリーをつくったのだった。

春樹さんのメルマガの質問で引っ掛かるものに答えながら、
自分で質問を考え、自分で答える、自己満足のようだけれど、
そのことで自分の立ち位置やあり方を確認し、助けられることもある。

これからも自分に質問することを続けていこうと思う。

10代バトン(つづき)

先日こちらに置いておいたバトンを拾ってくださった方々、ありがとうございました。

★ しおんさん・・・→Shion's Note

★ kiriyさん・・・→森の中の一本の木

コメントで答えてくださったあづみさんもありがとうございました。


***


kiriyさんの記事を読んで、そうだ、小学校高学年はもう十代だったのだと気づきました(遅い 笑)
わたしが【質問1.】に答えて書いた本はほとんど小学校高学年のとき読んだものです。
じゃあそれまでは何を読んでいたかというと、学級文庫にあった少年少女文庫だったのだと思います。
『十五少年漂流記』や『岩窟王』や『レ・ミゼラブル』のような。
それから怪盗ルパンシリーズ、怪人二十面相シリーズもたくさん読みました(kiriyさん、同世代ですね 笑)

でも、寝る前に母がしてくれたお話ほど印象に残ってはいないようです。
昔々の田舎のことなので家に子どもの本はほとんどなく、
あるのは浜口広助さんの童話の本くらいだったような気がします。
母はよくイソップのお話をしてくれたので、イソップの童話もあったかもしれません。

小さいころ寝る前に母は弟とわたしにお話を聞かせてくれたのですが、
農作業と家事で疲れ果てている母は、少しすると居眠りを始め、
「お母ちゃん、つづきは? それでどうなったの?」
といつも母をせっついていたのをよく覚えています。

わたしが本を好きになったのは、やはり本が大好きだった母のお陰なのです。

10代バトン

ののかさんのブログで「10代バトン」を見つけました。S嬢さんが考えられたものらしいのですが。
久々に拾ってみます。


1. 10代のときまでに影響を受けたと思われる児童書

『若草物語』とか『赤毛のアン』とか『少女パレアナ』とか。
『少女レベッカ』や『あしながおじさん』も好きでした。

小学校高学年の頃は伝記を手当たり次第読みあさっていました。
(大人になったら名前の残る人になりたかったのです 笑)
それから少女小説もたくさん。
綺麗で性格が良いけれど不幸な女の子が主人公で大抵ハッピーエンドの物語。


2. 10代のときに影響を受けたと思われる書籍

『戦争と平和』とか『罪と罰』とか『誰がために鐘は鳴る』とか
『ジャン・クリストフ』とか『魅せられたる魂』とか。
生きる指針になったと思われるのは三浦綾子さんの『道ありき』です。


3. 10代のときに影響を受けたと思われる音楽

それはもう70年代のポップス&フォーク!

誰がいちばん好きだった?と訊かれればよしだたくろうさんですが、
当時わたしは毎日毎日ラジオの音楽番組や オールナイトニッポンを聴いていたので、
そのとき流行っていたものは歌手を問わずとても懐かしいのです。
(今でもわが家では時々BGMに流れてます)


4. 10代のときに影響を受けたと思われる人物

う?ん・・・高校時代の倫社の先生でしょうか?
年配の、哲学者という雰囲気の先生でした。
見かけは全く気にしない方で、よく上着の裾がほつれていたりしたのですが
わたしたちはみんな先生のことが大好きでした。

その他には、前川正さん(『道ありき』の登場人物 笑)
人を愛するということを考えさせてくれた人です。

***


わたしは記憶力が相当乏しいので、
子どもの頃読んだ本の名前は覚えていても内容はほとんど覚えていない。
歌詞を全部覚えている曲はほとんどない。
けれども、子どもの頃読んだ本や聴いた曲のひとつひとつが
今のわたしを形作っているのは確からしいとこのバトンに答えてみて思った。

だが、自分の読んできた本のことを書くということは
裸の自分を見せるようなものかも。結構恥ずかしい。

なんて書いたら誰もやってくれないかもしれないけれど
バトン置いておくので、興味のある方はもっていってね。

umekoさん、あすかさん、awayさん、kiriyさん、あづみさん、
しおんさん、刹那さん、いかがでしょう?

(どなたでも、もし答えてくれたら、コメントでお知らせください。読みにいかせてもらいます)


***


  【10代バトン】

1. 10代のときまでに影響を受けたと思われる児童書
2. 10代のときに影響を受けたと思われる書籍
3. 10代のときに影響を受けたと思われる音楽
4. 10代のときに影響を受けたと思われる人物

年賀状

年賀状は「筆ぐるめ」を使っているのだが、
「今年は早めに年賀状を用意しよう」と思って起動したら、ファイルが壊れていることが判明。
夫がもう一度インストールしてみたが、PC内の写真が使えない。
例年だったら12月の初めには年賀状を用意している夫だが、
教育基本法が参議院を通過した後「今年は年賀状出す気分じゃないよ」と。
でもそんな訳にはいかず、やっとクリスマスが終わってから年賀状を買った。
その数日後夫は会社帰りに新しいヴァージョンの「筆ぐるめ」を購入してきた。
それからは早かった。年賀状をつくりはじめたなと思って見ていたら
あっという間にできあがっていた。
親戚や共通の知人に出すものには手書きでわたしの名前を添え、翌日には郵便局へ。

その後わたしは自分だけの年賀状をつくった。
たぶん誰もそうなのだろうが、毎年年賀状を出そうかどうしようか迷う人がいる。
そういう人たちには出さないことに決めたら、出す相手は20数名しかいなかった。
その数にちょっと寂しさを覚え、でもそれでいいのだと自分に言い聞かせる。

次男と末っ子は「出さない」「面倒臭い」「来たら出す」と。
長男だけ時間をかけて韓国に行ったときの写真入りの年賀状をつくっていた。
きっといつものように小学校・中学校時代の友だちや担任の先生たちにも出したのだろう。
珍しい奴かも。

元旦に例年より少な目の年賀状が届いた。
去年は喪中の葉書が十数枚届いたから、そのせいもあるのだろう。

届いた年賀状を見ていて改めて気づいたことがある。
わたしは印刷された文字はちらっと見るだけ、だが、手書きの文字は丹念に読む。
それは間違いなく全体にではなく、わたしを思い浮かべながら書いてくれたメッセージだから。

手書きのコメントを何も書かずに出しちゃった人たち、ごめんなさい。
来年の年賀状には全部に必ずコメントを入れよう。
たとえ一行でも、たくさんの想いをこめて。

結局、出さなかった人たちからも年賀状が来て、
もう出すのをやめようと思ったことを申し訳なく思う。
それはすなわちもう関係が切れてもいいやということだから。

ある友だちの年賀状には、こんなコメントがあった。

「なんと、昨年娘が結婚し、今年子どもが生まれます。
 ということは、私は○○になる?」

友だちのお嬢さんはわが家の長男よりひとつ上。
ああ・・・。

待っているだけでは


言葉は伝わらないものだ、
自分の思い通りには。
だけどたぶん
書き続けることにも
何らかの意味はある。

待っているだけでは
進展は望めない。
何か思いついたら
自分で始めることだ。

上手く行かないこともあるだろう、
けれど壁に突き当ったら
別のやり方を探せばいい、
乗り越えてもいい、穴を掘ってもいい、回り道してもいい。

絶望するのは勝手だが、
自分を諦めてはならない。
折角生まれてきたんだ。
一度しかないいのちを生きるんだ。

手を伸ばせば、誰かにふれる。
手を払われることもあるだろう、
だけど手をつないでくれる人だって
きっと見つかるはずだから。

だから
恐れないで前を向いて。

美しい言葉

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「『ありがとう』とか『すみません』っていう言葉が大切だよね」

「そうそう、日本にもともとある優しさとか思いやりみたいなものが・・」

仕事先で、ラジオの声が耳に入ってきた。

「学校で、そういう言葉を教えるのが大事なんじゃないかな」

そうだね、と思いながら、何かが引っかかった。

子どもに「教える」のが大事なんじゃない、大人がまず実践するのが大事なんだ。

家庭で、学校で、地域で、大人がそういう美しい言葉をどれだけ言っているだろうか、
大人同士で、あるいは大人が子どもに。

自分より学歴や地位が低いとか、器量が悪いとか、貧しいとか、年下だとか、年寄りだというだけで、
他の人を見下し、それが態度に表れてはいないだろうか、言葉を軽んじてはいないだろうか。

大人が実践していないのに、子どもに強いたら、子どもは反発するだけだ。
まず大人が自分自身を省みなくては。

例外なくあらゆる人を人として尊ぶ、それが教育の基本なのだとわたしは思う。

出来る方法を

世の中には、
二種類の人間がいるんです。
出来ない理由を探す人と
出来る方法を探す人と。

by 石田純一さん



「ビューティーコロシアム」に出ていたある女性はこの言葉に励まされて
減量に成功し、美しく生まれ変わった。

あなたは何を「出来ない理由」を探していますか。
何を「出来る方法」を探そうと思いますか。

それにしても。

ビューティーコロシアムを観るたびに思う。
いくら見た目が悪いからといって、面と向かって
「気持ち悪い」とか「怪物」とか酷いことを平気で言う人がそんなにいるのだろうか?
‘変身’した後、周りの人たちの態度や見る目がガラッと変わったら
人間不信にはならないだろうか。
わたしだったら、絶対なる。人が信じられなくなる。

** 小話 **


スーパーで。

「2千円、です」

レジの女性はそう言ってこちらを見た。

「すごい! ぴったり?
 こんなこと、年に1回か2回!」

「そうですよね」

レジの女性もわたしも嬉しくなって微笑んだ。


買い物の合計がぴったり○千円だったり○万円だったりすること、
あなたもたまにありますか。

***


昨日はたくさんコメントをありがとうございました。
みなさんが見ていてくださる。
これからこのブログがどうなっていくかわたしにもわからないけれど
peterさんが言われたように「ぼちぼち」がんばろうと思います。

みなさん、よろしくね。

カラーアンケート

あるサイトで見つけた‘カラーバトン’をちょっと変えて‘カラーアンケート’をつくってみました。

やってみます。
リボン


1.次の色から思いつくもの(こと)は何ですか。

◆ 青

わたしにとっての安らぎ

◆ 赤

パッション 怒り

◆ 黄

闇の中に灯るあかり

◆ オレンジ

お日さま

◆ 緑

深い深い湖

◆ 茶

大地

◆ 紫

貴婦人

◆ ピンク

お姫さま 童話に出てくる

◆ 黒

墨とか炭とか

◆ 白

天使 

◆ 灰

五里霧中

◆ 銀

コイン

◆ 金

お月さま

2.好きな色は?

パステルカラー 水色がいちばん好き

3.苦手な色は?

黒がたくさん混じっている色

4.あなたの心の色は?

無色 でも時々赤だったり青だったり

5.あなたのイメージカラーは?

ピンク 似合うのも

リボン


あなたもやってみませんか。やってくださったらコメントかTBで教えてね。

好きな色と似合う色

好きな色は何ですか?

わたしは、ダントツで青系。
HPやブログにしても、青系の壁紙がいちばん落ち着くのです。

一昨年、水色と白の縞のTシャツを買いました。
何度か来たのですが、どうもピンときません。
この夏、そのTシャツを着ていてふと気がついたのです。

わたしには青は似合わない・・・。

顔が地味なので、茶・黒・紺は似合わないと思っていました。
暗い印象になってしまうのです。
でもパステルカラーなら大丈夫、そう思っていました。


好きな色と似合う色は違うのかも?
わたしに似合う色は何かしら?

検索してみたらこんなサイトが見つかりました。

  パーソナルカラー診断

診断をすれば、自分が何タイプなのかわかるというのです。
わたしは「オータムタイプ」でした。

でもこちらのサイトでは「スプリングタイプ」。

どっちかなぁ?と思って探し当てたこちらのサイトでは「サマータイプ」。

やはり自己診断には無理があるということなのか、
わたしはどれにも当てはまらないということなのか、
どれでも好きなのを着れば?!ということなのか?(笑)

でも考えてみたら、どのタイプかはっきりして似合いそうな色がわかったとしても、
同じ顔・同じ体型・同じ雰囲気の人はひとりもいないのだから、
自分に合うものは自分の目で確かめるしかないのでしょうね。

わたしは今まで好きな色しか着てこなかったけれど、
これからは似合う色を意識してみようと思います。

女きょうだいも娘もいないわたしはファッション関係について
誰とも話したことがありません。
もともと外見にコンプレックスがあるので尚更です。

でも、この歳になったらそれではいけないな、とも感じています。
目標は、身奇麗なおばあちゃん。
ちょっと気をつけて客観的な目で自分を見てみようと思います。


** こぼれ話 **


三番目に紹介したサイトに「印象は?」という質問があり
自分ではわからないので家族に訊いてみました。

「わたしはどれ?」

「個性的で印象深い、一度見たら忘れられない」と末っ子。

え???っ???

自分では「どこにでもある地味な顔」と思い込んでいたので、びっくり。
やっぱり自分って自分がいちばん見えないのかも。


雨



HPを始めたのは2002年の10月1日。もうすぐ4年になるので
ファイルが膨大な数になり、パソコン内に収めきれなくなってきました。
それで対策を考えているところです。
いちばん重たいのは画像ファイルなので、それを少し整理しようと思って
ここ数日作業をしていました。

で、ようやく更新作業が終わりました。
よかったら見てね・・・→季節の贈り物

居間 あるいは リヴィング

先日のズーニーさんのコラムを読んで、「おー?」と思った。

今年のある入試問題に、居間のない家が登場していたというのだ。

父の部屋、母の部屋、子どもの部屋、そしてキッチンはあるけれど、居間はない。
食事以外は、それぞれの部屋で思い思いに好きなことをして過ごす。

理想的?(笑)


農家だったわたしの実家には中学になるまでわたしの部屋はなかった。
父や母の部屋も、もちろんなかった。

朝の食事、そして夜の食事が終わると家族は8畳の茶の間で
いつも炬燵を囲んでいた。

座る場所は決まっていた。

茶の間の南側にある廊下を背に祖父が座り
その向かいに母、母の右に父(その上に柱時計)、
母の左に弟とわたし。

お茶を飲んでいたことしか覚えていないから
所謂‘団欒’という感じでもなかったと思うが、
それがわたしの記憶にある‘家族’の形。


友だちにわたしの「夢の家」の設計図を送ると随分前に約束し、まだ果たせないでいる。
が、その「夢の家」には広いリヴィングがあるはずだ。
そしてその片隅にわたしの机も。

我が侭だけれど寂しがり屋のわたしは、いつも家族の気配を感じていたいのだ、
家族が今どんな気持ちでいるか知っていたいのだ。


あなたの「夢の家」はどんな家ですか。


音符



タバスコさんのところで青森県の歌が紹介されていました。
読みながら不覚にも涙が・・・。

ぜひ行ってみてね・・・→青い森のメッセージ


若草物語みたいに

先日kiriyさんのところに行ったら、
「四季の家」という記事の姉妹の様子がとても微笑ましかったので、コメントさせてもらった。
そしたらお返事にkiriyさんはこんなことを書いてくださった。

「女のきょうだいは、違う人たちもいると思いますが、
 生まれながら親友がいるようなものだと思います。」

共感する人、多いかも?

女きょうだいのいる人は、それだけで満ち足りている部分があると思う。
娘のいる人も。


小学校の頃、母が買ってくれた『若草物語』を貪るように読んだ。
そこにはわたしの憧れが詰まっていた。

若草物語みたいな家庭が築けたらというわたしの夢は叶わなかったが、
ずっと見ていた夢は美しいまま心の中に。





* kiriyさんへ *


わたしの弟はチョコをもらってきたことはないの。だから横取りはできませんでした。
ふたりだけで映画を観に行ったりはしなかったけれど(荷物はもたせたかも)
わたしたちはとても仲の良いきょうだいで
大学になってからも腕を組んで歩いたりしていたような・・・。
弟が大学に受かって上京してからは夫と弟と3人でよく
ご飯を食べたり出かけたりしていました。懐かしいな。


ひまわり



* 最近全く面識のない人からのTBが続いたので(すぐ削除してしまいましたが)
 TBについての考え方を、独立した記事にしておきました(↓をご覧ください)
 どうぞ宜しくお願いいたします。

親友

末っ子には親友がいるという。

その人はどこに住んでいる人? 高校の友だち?

あれこれ聞き出そうとするのだが、ヒントすら教えてくれない。

「でも、どうしてその人が親友だとわかるの?
 君は僕の親友だよな? とか言うの?」

末っ子が呆れた顔でわたしを見る。

「人づき合い、悪いんじゃないの?」

・・・君に言われたくない。



昔から疑問に思っている。

親友って、なんだろう? 
相手が親友だと、どうやってわかるのだろう。

親しい友だちがいないわけではない。
大切な友だちはたくさんいる(いた)
だが相手が自分のことをどう思っているか(いたか)、わたしにはわからない。
自分が想っているようには相手が想ってくれていないことに気づいて
寂しい気持ちになったことは結構ある、リアルでもネットでも。
逆に、相手にそういう気持ちにさせたことも、もしかしたらあるかも。


『アシュリー ?All about Ashley?』(アシュリー・ヘギ著・フジテレビ出版)にはこう書かれていた。


友だちっていうのは、お話をする相手。
助けが必要なときにそばにいてくれる相手。
つまり、笑顔にさせてくれる人ってことだと思う。


親友っていうのは・・・むずかしいわね。
うーん、よくわからないけど、
ほかの誰よりも一緒に過ごす時間が
長い相手のことかなぁ。
ちょっと違うかなぁ。
そうだ!
長い時間をかけてお互いのことを理解しあっている人。
きっと、そんな相手のことじゃないかしら。


う?ん・・・。

学校時代の友だちとか仕事の同僚とかは
その時期は親しくても、環境が変われば離れていく。
いま時々会って話す友だちもいつか。


お互いに文章を書くのが好きだったらずっと交流していけるのかもしれない。
今はネットもあるし。

だがそれもまだ未知数だ。

この歳になっても「未知数」がある。それもすごいことかも。




みなさん、みなさんには親友、いますか。
いる人は、相手が親友だとどうしてわかるのですか。

「ただいま」

1週間かけて田舎から帰ってきた、そんな感じ。

新幹線が開通してから故郷はとても近くなった。
だが、ここと田舎では別の空気と時間が流れている。

わたしは人生の半分以上を都会で過ごしてきた。
だが心は今も故郷にあるのかもしれない。

故郷とは、場所ではない。
そして故郷は過去にあるのではない。

自分の大切なものを汲むところ、それが故郷。


ちょうど10年前、夫の父が亡くなった。
事情があって母と同じお墓に入れなかった父のお墓を
わたしの田舎につくった。

7dc24eb3.jpg


この景色の見える場所に父のお墓はある。
そしてわたしたちもいつかここに帰る。

わたしはこれからもずっと
山々と空を恋い慕いながら都会に暮らすのかもしれない。
だが、いつか魂を離れてここに帰る。

帰る場所があるのは嬉しいことだ。

太陽



わたしの故郷の写真を見てくださったみなさん、ありがとうございました。
来週から普段どおりの(?)ブログに戻ります。これからもどうぞ宜しくね。

処方箋

メルマガで送られてきた言葉を久々に読んでみたらこんな言葉を見つけた。


相手のちょっとした欠点に、
目をつぶることが出来ない限り、
友情は長続きしない。

by ブリュイエール



友だちの欠点を「ちょっとした」ことと思うことができるなら
その時点で大抵の問題は解決しているような気がする。

こんな言葉もあった。


人がこの世で生きてゆくことは、
生き方も考え方もちがう他人と、
ともにすごしてゆくことであり、
善悪だけではかたづけられないものを、
しのぎ、のりこえてゆかねばならない。
むしろその処方に
善悪をあらわすべきではないか。

by 宮城谷昌光


「しのぎ、のりこえ」る方法か・・・。

わたしは、ああ、こういう人なんだと思うまでは大抵心を開いている。
でも、この人のこういうところが嫌だなぁと感じてしまって
それが自分には我慢のできないものなら
その人になるべく近寄らないようにする、もしそれが物理的に無理なら
そのことを心の中までは入れずやり過ごすようにしている、かも。
それに、誰にでも良いところや見習いたいところはあるものだ。


人の考え方とか感じ方とかを変えることはできない。
人はそんなに簡単に変わったりはしない。

自分ですら変えるのは容易でないのだから。

だから、自分の大事な部分をすべての人に晒して傷つく必要はない。
わかってくれる人にだけわかってもらえればいい。


わたしの処方箋、ちょっと後ろ向き?

願い事

d873d106.jpg


時々利用している図書館に、七夕の飾りがしてあった。
短冊に子どもたちの願い事がたくさん書かれている。
ひとつひとつ読むうちに笑顔がこぼれた。

「発表会が上手くいきますように」とか「成績が良くなりますように」
といった現実的なお願いの間に「おひめさまになれますように」という
昔ながらの願い事を見つけるとほっとする。

そういえばある時期長男は「げげげの鬼太郎」になりたいと言っていた。
それを聞いた夫は「じゃあ、父さんは目玉の親父」と(笑)

わたし自身は現実的な子どもだったから、成績のことを願い事に書いていたような・・・。



いま願い事をするとしたら何だろう?

「家族みんなが健康でいられますように」

昔母が書いていたのと同じ願い事が真っ先に浮かぶ。

「子どもたちがそれぞれ好きな仕事を見つけ、自立できますように」

その次の願い事。


わたし自身についてはどうだろう?
・・・現実的なのとそうでないのをちょっと考えてみようと思う。


あなたの願い事は何ですか。良かったら教えてね。

向日葵は無理だけど

ある人がコメントに書いてくれたことがある。

「自分が好き」

お返事にわたしは書いた。

「自分が好きってどんな気分?
 わたしはせいぜい『嫌いじゃない』と言える程度」

そのお返事は来なかった(当たり前?)


「好き」と言ってくれる人に会ったことはほとんどない。
小さな頃「母さん、だ?い好き」と言ってくれた息子たちも
今では呆れ顔でわたしを見る。

「仕方ないな、これが母さんだよな」という感じだろう。
夫の気持ちもそれと大差ない気がする。
(だからわたしはいつもちょっと片想い 笑)




いつか自分のことが好きになれるだろうか?

なれないだろうな。わたし、理想が高いから(笑)

だけど、自分以外の人になろうとは思わない。
それに、考えてみたら、人に好かれたいとか思ったこともない。
自分が良いなと思う人が友だちになってくれればそれで十分。

これって、もしかして究極の開き直り?


わたしはわたしを生きている。

わたし以外にわたしを生かせる人はいない。

諦めてわたしを生きていく。


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「死ぬ間際まで」

才能って、自分で見つける才能が必要かも知れない。
なにがあっても続けられる物を見つける力。
人生を賭けられる、死ぬ間際までやり続ける物を見つけられた事は
大変な 幸運だと思う。

by ノダゴローさん


6月7日、ノダゴローさんというギタリストが亡くなった。
そのことをちょきんぎょさんのブログで知ってから、ノダさんのサイトを時々訪ねている。

「死ぬ間際までやり続け」た音楽は彼を救ったのか。
「死ぬ間際まで」そばにいた人たちは、彼のことを大事に思っていた人たちは、彼に何ができたのか。
彼は「死ぬ間際」にどんな思いでいたのか、そしていま彼の魂は?

ノダさんには、彼の遺伝子を受け継ぐ子どもはいない。
けれども彼は音楽を遺した。サイトを遺した。

彼の地上でのいのちは尽きたけれど、
わたしたちは彼のいのちを汲むことができる、汲みつづけることができる。
そうさせてもらおうと思う。

***


人は他の人のために何ができるのか。
何もできない、そう結論づけることができれば、ある意味で楽だ。
けれども、そうではないと信じているから、探している。

わたしはあなたのために何ができる?


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わたしの中の男

昨日紹介したSleepyShinさんのこちらの記事も面白かった。

「女のこころが宿す男」

これを読んでから考えている。
わたしの中にはどんな男が棲んでいるのだろう、
そして夫の中にはどんな女が棲んでいるのだろう、と。
会えるものなら会ってみたいものだ。


けれども、
わたしが‘自分’を考えるとき浮かんでくるのは‘女’ではない。
かといって‘男’でもない、とても中性的なもの、
永遠に思春期を彷徨っている・・・。


人の年齢というのは、生まれてから何年経ったかという年月のことではない、とわたしは思う。
見かけが老人で実際に年とった人もいる。けれども
見かけはどう見ても年寄りでも、‘少女’である人や‘青年’である人もいる。
反対に、女の子の中に‘女’を見てびっくりすることもある。


そういう意味では、姿の見えないネットでは、その人のほんとうの‘年齢’が出やすいのではないか、
とわたしは思ったりする。

時々同い年の感覚でしゃべってしまって、後でふと我に返って戸惑う。
相手はどう思っているか知らないけれど。


だけど相手が若者だと、すぐ追い越されてしまう。子どもたちにも。
いつも誰かを見つけていないと、気がついたらひとり、ということになるかも。
そんなふうに思うのは変、かな。



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