peace

「布川事件」のこと

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東京高裁が布川事件の再審を認めたそうです。
毎日新聞の記事をご覧ください・・→「布川事件:東京高裁が再審開始支持 検察の即時抗告棄却」

検察側が抗告を断念し、再審が行われ、晴れて桜井さん・杉山さんの無実が認められますように。


★ 布川事件のHPはお友だちのkeikoさんのサイトにリンクされています・・→「より自分らしい人生を」

★ ご主人の桜井さんのブログはこちらです・・→「桜井昌司『獄外記』」


keikoさんとはネットを通じて知り合ったのですが、
HPで紹介されている桜井さんの詩にとても心打たれました。
そして、ああ、これじゃkeikoさんが惚れるのも無理ないやと思ったのです(笑)
いつかみなさんにもご紹介しますね。

辺見庸さん講演会

先日、辺見庸さんの講演会に出席しました。タイトルは「死刑と日常?闇の声あるいは想像の射程」。
メモをとったので、心に残った言葉を少し書き留めておきます(辺見さんの言葉そのままではなくまとめた箇所もあります)。

                    *

痛みは個々の生に固有なものであり、孤独で説明できないもの。誰も他者の痛みを痛むことはできない。

                    *

痛みを共有しようとする(他の痛みに橋をかけていく)主体的な徒労が愛ではないか。

                    *

日本人は諧調(理由のないハーモニー)を好む。
世間を敵に回すことが最大の悪、期待されているのは無私。
そこには主体性も個人も個性もなく、不気味なハーモニーが支配している。
それは非言語の地で、(人々は)言葉にならない空気の中に生きている。
仕切るのは悪達者たちであり、根回しの上手い、声の高い人たちである。

                    *

個がないときに愛はあるだろうか?

                    *

日本では、世間を敵に回すことが最大の悪。

                    *

世間は感情的。

                    *

マスコミは100%世間をしょっている。

                    *

理念は個人に裏打ちされなければならない。

                    *

黙契から離脱するには、自分の半身にある世間を対象化し、
単独者としての愛憎を実現する必要がある。

                    *

もっと断調があっていい。
晴れがましい勝利者の目で見るな。痛みをもって、もっと低く生きるべき。

                    *

マザー・テレサはとてもradicalで暗くて孤独な人だったのだと思う。

                    *

死刑制度に反対と言いながら、ほんとうは黙認しているのではないか。

                    *

日本で行われている死刑は絞首刑。
死ぬまでに10数分かかる・・・まさにdancing in the dark。
医師によって死亡が確認されると、「無事終わりました」と言う。
(いかなる感情もなく、極めて事務的に死刑は行われている)

                    *

死刑を拡大すると戦争になる。

                    *

土下座でもなんでもしますから、どうか死刑をやめてください。

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「賛同団体・個人の募集(プルサーマルを考える柏崎刈羽市民ネットワークより)」

友だちから、「プルサーマルを考える柏崎刈羽市民ネットワーク」からの賛同団体・個人の募集が送られてきました。

賛同してくださる方は、

● タイトルに『緊急署名』と書いて、「賛同します。」名前、住んでいる都道府県を記入の上、
● プルサーマルを考える柏崎刈羽市民ネットワーク事務局(net0257328818@hotmail.com)まで送ってください
● 市民ネットサイト等での団体・個人名の公開の可否、及び肩書き・居住地等を付記したい場合は、その記載内容についても明記してください

とのこと(緊急署名のためフォームはないそうです)

以下が転載文です。


*************************** 転 載 ***************************


皆様へ!

 大変お世話になっております。
 (全国から当地に救援が来ていますが、ありがたい限りです)

 さて、予告を流していた共同声明ですが、やっと確定しました。添付ファイルの内容で団体・個人賛同お願いします。
 また、あちこちにお知らせして賛同を募ってくだされば幸いです。

 特に、今回は、原発関係の問題に対処している方々はもちろん、ほかの分野の団体や個人の賛同を重視し、大歓迎しております。

 声明の提出先は、総理と経済産業省・文部科学省です(21日に総理と経済産業大臣と文部科学大臣に郵送済み)。
 なお、賛同については、団体・個人名の詳細や追加は、ホームページ等にて公表し、順次更新していこうと思っております。 

 それと、各地で申し入れなどする際にも使って頂くことを考慮して、今回の声明文を作成しましたので、適当に団体・個人賛同を加えて、明日以降も、どんどんあちこちで使って頂ければ幸いです。

 さらに、すでに英語版も市民ネットサイト上で公開していますので、できましたらそれも活用してください。
 (英語以外のものに翻訳してくださるようでしたら、ご連絡ください、作りたいです)

以上、緊急な要請ですがよろしくお願いします。

   連絡・問い合わせ先は、
   市民ネット事務局
   net0257328818@hotmail.com


********************** 以下添付ファイルのテキストを転載 **********************


内閣総理大臣安倍晋三様
関係機関の皆様
全国の皆様
2007年7月21日


  共同声明;原子力関連施設の地震対策の抜本的再検討と対応が必要です!

 世界最大規模の原発基地である、東京電力の柏崎刈羽原子力発電所では、この度の新潟県中越沖地震(7月16日)で、予想外の問題が続出しています。現在7基ある原発は停止していますが、余震の脅威は去っていません。
 今回の地震では、想定していなかった震源断層が明らかになり、また、地震対策の前提としている基準を大きく超える揺れが原発にて記録されました。このため、原発の安全性が保証されなくなり、強い余震がある度に、原発で問題が発生して原子力災害が起きるのではないかと、柏崎刈羽をはじめ中越地域などの多くの人たちが不安な思いでいます。
 柏崎刈羽原発の耐震設計では、300ガル以上で塑性(元に戻らない)変形して再使用できなくなり、最大でも450ガルを超えることはないとされました。しかし、今回の地震では680ガルを記録したのです。地震対策の前提となる基準を設け審査した、政府は間違っていたのですから、柏崎刈羽原発の設置許可を取り消すのが当然です。

 昨年3月に金沢地裁が耐震性の問題で、志賀原発の運転差止の判決を出しました。今回の地震で、図らずも判決の正しさが裏付けられることになりました。
 原子力関連施設の設置許可を出した前提が、今回の地震でも崩れたのですから、日本のどこであれ想定外の震源断層による、想定以上の地震動が襲う恐れを否定できません。耐震強度を偽造していたマンションが壊されているのに、もっと、被害が甚大な原発が今のままでよいのでしょうか?

 以上、このままでは原発や再処理工場などが地震により大きく破壊され、放射能が外部に大量に漏洩する原子力災害を引き起こす危険性が高いため、内閣総理大臣はじめ関係機関に、「地震対策の抜本的再検討と対応」を要請します。
 また、全国の皆様におかれましては原発の地震対策の問題に関心を持たれ、私達の原子力災害を未然に防ぐ運動に賛同されるよう要望いたします。

呼びかけ団体
 柏崎刈羽原発反対地元三団体
 原発問題を考える柏崎刈羽地域連絡センター
 原発問題を考える西山刈羽住民の会
 プルサーマルを考える柏崎刈羽市民ネットワーク

************************ 転載ここまで ************************


ひまわり 「プルサーマルを考える柏崎刈羽市民ネットワーク」のHPはこちらです・・・→「プルサーマルを考える柏崎刈羽市民ネットワーク」

ひまわり 「9条ネット」が発表した声明もご覧ください・・→「全ての原発を停止してください?戦争とチェルノブイリへのみちを許さない?」   

辺野古で起きたこと

ご存知の方は少ないと思いますが、沖縄の辺野古でこんな事件が起こりました。


驚きと同時に怒りが込み上げてきます。明らかに、重大な殺人未遂事件だと思うのですが、
本土の新聞では小さくしか取り上げられず、TVのニュースにはなりませんでした。
でも、今日発売の「週刊金曜日」に、下記の記事が掲載されているようです。


この事件に関して、被害者の平良夏芽牧師が昨日緊急声明を出され、あちこちで紹介されていますが、
「きっこの裏ブログ」には事件時の写真も載っているので、是非ご覧下さい。


柏崎原発での事故のこともそうですが、国民に故意に知らされないこと、多すぎます。

『普通の国になりましょう』(4)

終章「あらためて、『普通』のすすめ」で著者は問います。
改憲派(の多く)は、日本政府が軍事力をもったほうが日本が戦争になる可能性が少なくなると考え、
護憲派(の多く)は、平和憲法をそのままにしたほうが平和になる可能性が高いと考えている、
どちらが正しいのだろうか、と。

著者によると、「日本の場合、歴史上、もっとも軍事力が強かった時代と、
もっとも戦死者が多かった時代は、同じ」、そして
「軍事力をもっている政府は、それを使いたくなってしまうことが多」く、
「強い軍事力をもっている政府は、それで大冒険をしたくなることが多い」
「現実にある『普通の国』はそうなのです」。
その証拠を見たければ、1945年までの日本の歴史や現在までのアメリカの歴史を見ればいい、
と著者は言います。

軍事力をもつことで国民が守られた成功例があまりないとするなら、
将来も軍事力をもつことによっては国民は守られないだろうと考えるのが自然でしょう。

最後に著者は言います。

普通の人は戦争をしません。
戦争をする人は、なかなか普通になれません。
戦争をしないことが普通になる世界をつくらないと、人類の生存さえあやうくなります。
みなさん、ぜひ「普通の国」になりましょう。


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チューリップ 4回にわたり読んでくださったみなさん、ありがとうございました。

『普通の国になりましょう』(3)


近代国家の「普通の憲法」は、なぜ交戦権を認めているのでしょうか。

その理由で妥当なのは2つくらいだろう、と著者は言います。

第一の理由は、交戦権をもてば、政府が国民を外敵から守ってくれるはずだし
そうでない場合より暴力によって殺される国民の数が少ないだろうから。

しかし、20世紀の世界の歴史を見れば、それが希望的観測にすぎなかったことがわかると
著者は言います。

20世紀ほどたくさんの人間が暴力によって殺された世紀はなかったからです。
この100年間で「国家によって殺されたのはおよそ2億人。その圧倒的過半数は兵隊ではなく、
(女性、子ども、老人を含む)普通の人。そして、その殺された人々の圧倒的な過半数は、
国の外にいる外国人でなく、それぞれの国のなかにいた自国民」だったのです。

実際、日本の近代史を見れば、政府がもっとも強い軍事力をもつ時期と
暴力によって国民が殺される数がもっとも多い時期が重なるということがわかると本書は述べます。


では「普通の憲法」が交戦権を認めている第二の理由を見てみましょう。

それは軍事力があったほうが、国の大切な伝統や文化を守ることができるだろうから、というものですが、
著者によると、「20世紀に入ってから現在まで、世界のさまざまな文化に対して、
もっとも激しい破壊力を示しているのは、他国の軍事力や政治力ではなく、経済です。

ヨーロッパに生まれた資本主義産業制度が、それ以外の経済・文化制度をすさまじい勢いで破壊しながら、
世界の隅々まで広がろうとしています。現在の経済自由化、グローバリゼーションによって、
この津波はさらに巨大に破壊力を増して、世界中を飲み込もうとしています。
これに対して、軍事力は役に立たないのです」。


それでも交戦権を認めたほうが良いと主張するならば、その理由は何でしょうか。




・・・すみません、あと一回続きます。

『普通の国になりましょう』(2)

次に著者は「普通の国」になろうとは、異常な状態をやめ、
「正常=好ましい状態」に戻ろうということだろうか?と問います。
つまり、現在の日本のように、憲法で戦争を放棄する国が「異常」で、
その憲法を棄て戦争のできる国になることが普通(正常)になる、ということだろうか、と。

しかし兵士が戦争で人を殺すためには洗脳に近い訓練が必要であり、
訓練を受けて人を殺せるようになったとしても精神的な負担は減るわけではない、
そして「きわめて異常な状態」である戦争を行うためには兵士自身「異常な人間」にならなくてはならず、
大きな戦争をすれば軍隊だけでなくその背後にある社会そのものが異常な状態になるのだと著者は言います。
(国が戦争に関わると、その国の殺人犯罪率が平均10%上がるそうです)
だから戦争だらけの20世紀は異常な時代だったのだ、と。

だとすれば、「正常(普通)」になるためにはどうすればいいのでしょう。


「常識」が「普通」と解釈されることもある、しかし「常識」の定義には矛盾があると著者は言います。
「もつべき常識」と「実際にもっている常識」が違う場合があるからです。
また「常識」は国の文化や時代によって違うこともあります。
ナチズムや全体主義、アパルトヘイト等が常識だったこともあるのです。
そのような「非常識」は過去だけのことではなく現在もあると考えるのが妥当だと著者は言います。
自然環境を破壊する、添加物を摂取する、全人類を57.7回殺すことのできる核兵器をもっている等のように。



・・・続きます。

『普通の国になりましょう』(1)

C・ダグラス・ラミス著『普通の国になりましょう』(大月書店)を読みました。

「普通の国」とは何か、「普通の国になる」とはどういうことなのか問いながら、
わたしたちはどういう「普通の国」を目指すべきかという提案が、とてもわかりやすく書かれています。

本書を読み進めるうちに、「普通」というのはとても曖昧なものであり、
時代や住む国によって大きく意味が変化するものであることがわかってきます。


普通って「平均的」ということでしょうか。それとも、「あるべき姿」のことでしょうか。
「アメリカ」のことでしょうか。「正常」のことでしょうか。「常識」のことでしょうか。

著者は、それぞれに一章ずつ使って読者に問いかけます。
著者が何を問題にしているのか、3回にわたって簡単に見てみましょう。


「普通って『平均的のこと?』」という章では、こんなことが書かれています。

世界で「平均的」な国の1人あたりの年間収入はおよそ84万円、寿命は66年、
「平均的な国」では基本的人権はあまり保障されず、女性議員は16.6%、
また世界の53か国では戦争をしていて、そのうちの多くは内乱。

著者は言います。

国と国との力関係は現在も、植民地にする側とされる側に分かれていた20世紀となんら変わらず
「平均的」という意味での「普通の国」は存在しない、と。
つまり、平均的な国を目指すのは不可能なのです。


では、「普通の国」になろうということは、「あるべき国」になろうということでしょうか。
その「あるべき国」の模範となるのは「近代国家」だと思われるけれど、
「近代国家」は「社会組織のうちで、ただひとつ『正当な暴力を独占』するもの」だと著者は言います。
だとするならば、そのような近代国家を目指すべきかという問題が出てきます。
(それについては後ほど)

いちばん普通の国はアメリカだと考え「アメリカのような国になる」のが「普通の国になる」ということだと
考える人がいるかもしれないと著者は言います。
けれどもそのアメリカは、「階級・階層・民族・人種・言語」などにより分裂しており、
激しい貧富の差があるため、何が「普通」なのかわからない社会です。
またアメリカは殺人犯罪率が非常に高く、数多くの戦争に参加してきたために
心的外傷後ストレス障害に苦しんだりホームレスになったりする帰還兵士もたくさんいる社会。
戦争の多い外交政策に対しては反対する人もいれば賛成する人もいる、
そのどちらが普通なのだろうか?と著者は問います。



・・・続きます。

「辺野古調査に自衛隊投入」

あまり報道されていないようですが、昨日(18日)、普天間基地移設のための現況調査が始まったそうです。

毎日新聞によると、
「防衛省の「部内業務支援」として海上自衛隊のダイバーが参加し、調査機器を設置した。
 72年の沖縄本土復帰後初の大規模な在沖米軍基地建設に自衛隊が関与するのは初めて」
とのこと。

詳しくはこちらをご覧ください・・→「辺野古調査に自衛隊投入」(琉球朝日放送)

基地移設に非暴力で反対する人たちの様子はこちらから・・→「ジュゴンの家日誌」


   【参考資料】

「普天間移設:現況調査に本格着手 海自が支援」(毎日新聞)

「シュワブ沖で調査に着手 政府、普天間移設へ一歩」(東京新聞)

「反対派、必死の抵抗/辺野古調査」(沖縄タイムス)




国民投票法案が参議院を通り、教育3法は衆議院を通過した。
政府はやりたい放題。

ネットの片隅で声を上げることがいったい何になるだろう?と無力感も感じる。
けれども、今わたしにできることはそのくらいだ。
それに、はっきりしているのは、何もしなければ何も始まらないということ。
それが大海に砂粒を投げるようなことであったとしても。
だからやっぱりわたしは書いていこうと思う。

「日本の青空」

「日本の青空」という映画を観た。
日本国憲法がどのようにしてできたかをドラマ仕立てにしたお話。

現憲法ができるまでは先日、NHKスペシャル「日本国憲法 誕生」でもやっていたが
(ちゃんとは観てない)それと重なる部分が多かった。

(あらすじはこちらをご覧ください・・→「日本の青空」

現憲法が「占領軍(GHQ)による押し付け憲法だから替えなくてはならない」とは
安倍さんが繰り返し言う言葉だが、
GHQ草案の下敷きになったものが実はあったらしいということは、わたしも数年前から知っていた。
だがそれが民間の「憲法研究会」の草案であり、その中心となったのが
鈴木安蔵という憲法学者だったことをこの映画ではじめて知った。

京大で哲学や経済学を学んでいた鈴木は
「治安維持法違反第一号」として検挙され自主退学するが、
投獄されている間にも憲法学や政治学を学び、憲法学を成立させ、
1937年には衆議院憲政史編纂委員となる。

パンフレットに載っている金子勝氏の解説を少し引用。

GHQの最高司令官のマッカーサーは、「ポツダム宣言」に示された「軍国主義の除去」と「日本に民主主義と基本的人権の尊重を確立する」という目的を実現するために、天皇の日本国政府に、「大日本国憲法」の改正の必要性を示唆した。
しかし、日本国政府は、天皇主義を温存するが、基本的人権も民主主義も認めない大日本国憲法の「焼き直し版」を作ろうとした。
そのことを把握したマッカーサーは、GHQの民政局に、「ポツダム宣言」の趣旨に合致する「大日本国憲法草案」を起草させ(1946年2月3日指示、同2月12日同草案確定)、日本国政府がGHQに提出した「憲法改正要綱」を拒否して、「日本国憲法草案」を日本国政府に提出した。
日本国政府は、それを受け入れて、その草案から、ひらがな口語体の「日本国憲法草案」を作成し、国民に日本国政府案として発表した(1946年4月17日)。


映画の中で、鈴木安蔵は、憲法公布の記事を新聞で読み、
自分たちが考えてきたものが憲法に網羅されていると喜ぶ。
憲法には、鈴木たちが入れなかった女性の権利まで含まれていた。
その陰には、5歳から15歳まで日本で過ごし、
日本人女性の苦しみを身近で見てきたベアテ・シロタ・ゴードンという女性の存在があった。
(GHQ民政局の憲法草案グループに通訳として参加・・→詳細はこちらのページをご覧ください)

鈴木の妻・俊子の、こんな意味の言葉が心に残った。

「女が政治に参加すれば、戦争なんかするはずはない。
 女は愛する者たちが苦しみ殺されることを望むはずがない。」

観終わって、「こういうのを観ると、日本人も捨てたもんじゃないと思えるね」と夫。
ほんとに。

だが、民間の人々の想いや願いが結集した現憲法が変えられようとしている、
そう思ったら涙が出た。

だけど、泣いている場合ではない。
わたしたちは考えなくてはならない。

わたしたちはどんな国を望むのか。
政府の改憲の意図はなんなのか?


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映画のあと入ったケーキ屋さん

国民投票法案衆議院通過

12日、強行採決された国民投票法案が13日、衆議院本会議を通過したそうです。
(こちらのニュース参照・・→「国民投票法案が衆院通過=憲法改正手続き、18歳以上に投票権」

この法案の問題点についてちょっと調べていたら、こんなページを見つけました
・・→「与党と民主党が国会に提出した憲法改正国民投票法案に異議あり!!」

こちらも参考になりそうです・・→新聞社説集

13日には、こんな法案も衆議院を通ったそうです・・→「米軍再編特措法案、衆院委員会で可決」
保坂展人さんのブログをご覧ください・・→「桜が散った13日の金曜日に起きたこと」

辻元清美さんが言われているように、国民投票法案はただの「手続法」などではなく
「改憲に向けて『こま』を進める布石」なのでしょう。

「茶色の朝」は刻々と近づいているのでしょうか。

都知事選迫る?MLより転載?

平和関連のMLでご一緒のT氏から転送・転載依頼が来ました。
ご覧ください。


チューリップ 転載ここから チューリップ

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 情報を充実させたバージョンアップ版です。
 まだの方、ぜひぜひ転送・転載をお願いします!

【このメールも転送・転載も公選法上まったく合法です】
【投票日当日でも転送・転載できます】

    [石原知事の落選運動の勝手連より]

 このメールは私のお知り合い・関係MLへお送りしております。

 東京の都知事選の投票が8日にせまっています。

 2期におよんだ高齢の石原知事による都政をこの機会に転換させるべく、皆様にこのメールの転送、ブログ転載をお願いしたいのです。落選運動です。

 石原知事の都政は、ディーゼル車規制や国への対決姿勢などプラスに見える部分もあるものの、あくまでそれは例外。人権無視で好戦的、福祉の著しい後退、そしてその一方で税金の私物化など、筆舌に尽くしがたいひどいものでした。

 銀座に戦車を走らせたことに象徴される彼の都政は、「共生」の正反対の「強制」の政治です。市民社会には、異なる考え・価値観の者の「共生できる寛容」が必要ですが、石原都政の本質は「強制による一様性」です。「君が代を歌わない者も存在できる多様性」を処分によって否定する彼の教育行政がその頂点です。これには天皇も苦言を呈する(園遊会)ほどですが、拍車がかかるばかりで見直される気配はありません。

 こうした政治のもとで、障がい者やセクシャル・マイノリティ、在日外国人などのマイノリティはその生を否定され、苦渋にみちた人生を強いられています。人間の尊厳を否定する政治、それが石原都政です。

 また、マイノリティだけでなくマジョリティにも悪政が及んでいます。福祉・保健医療の後退は著しく、保健所につづいて、都立病院も半減させられようとしています。性教育の抑圧により、HIV感染はおそろしい勢いで広がっています。

 石原知事の「うるさい、黙れ!」と言わんばかりの「問答無用の専制政治」は、今や、都民の食品を扱う築地市場を、シアンなど毒物で汚染された豊洲の東京ガス跡地へと無理やり移転させようとするところまで増長しています。

 さらに困ったことは、こうした悪政が全国へ、そして国政へと影響を及ぼしていることです。

 石原知事は、この3年間でもっとも多く税金による高額接待をした相手である佐々淳行氏を選対本部長に据えました。納税者をなめきっているのです。

 しかし、私たちには希望があります。

 検討資料として下に転載した新聞記事に見られるように、もしかしたら石原知事を落選させることができるかもしれない情勢です。無党派の人々が動けば結果に結びつきます。選挙に関わったことのない多くの市民が立ち上がっています。

 かつて団塊の世代から親の戦中世代が突きつけられたように、私たちの子供たちから「あの時、何をしていたの?」と突きつけられないで済むように、今、できることをしませんか?

 お願いします。このメールをお知り合いに転送し、また、ブログに転載してください。全国にかかわることだから東京の人にかぎることはありません。転送の輪が広がれば、私たちの「微力」が積み重なって、もしかしたら大きな力になって、日本、そして世界の未来を変えられるかもしれません。一人が5人に転送してくれれば、9ステップ目で東京の人口を、12ステップ目で日本の全人口を超えます! このメールを読んであなたがすぐ転送してくれれば、ネットならあっという間です。

 このメールの転送の輪が広がり、そして一人一人が投票所でなすべきことをすれば、石原を落選させることができます。
 私たち一人ひとりは「微力」ではあっても「無力」ではないのです!

〈検討資料〉
◆4月1日読売新聞(11面)より
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 石原 自公支持層固める  浅野 無党派層で猛追

 2期の実績をアピールする石原がリードし、浅野が激しく追っている。
 石原は、ディーゼル車の排ガス規制などを実現させた強力なリーダーシップへの評価で幅広い層で支持を集める。反面、トップダウンの政治手法など“石原流”への批判もあり、全体の46%を占め、5割が態度未定の無党派層の動向次第では、情勢が流動的になる可能性もある。
 高額の出張旅費などで批判を浴びた危機感から、過去2回とは一転して自民と公明に支援を要請。無党派層を取り込むため、政党推薦の形式は取らないが、国政時代にもなかった組織型選挙を展開する。自民支持層の6割、公明支持層の6割弱を固め、民主支持層の2割の支持も得ている。
 浅野は、過去3回の宮城県知事選と同様、市民参加型の選挙戦を重視し、無党派層では石原に迫る勢い。ただ、街頭演説でも、支援する民主、社民の政党色を消してきたため、両党支持層への浸透が進んでいない。支持層の5割しか固め切れていない民主は、管代表代行ら党幹部が連日応援に入り、巻き返しを図る。
 吉田は共産支持層の一部が浅野に流れるなど、苦戦している。
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◆石原都政についてのリソース
税喰う人々
http://homepage2.nifty.com/taxeater/top.html
さよなら石原都知事
http://nvc.halsnet.com/jhattori/rakusen/ishihara/index.htm
レッドパイパー
http://www.red-piper.com/(過去ログを見られます)
日録(不定期)
http://d.hatena.ne.jp/vox_populi/
中央区、石原知事の花粉症ポスターの掲載お断り
http://www.janjan.jp/government/0702/0702190366/1.php

◆都知事選についてのリソース
janjan
http://www.janjan.jp/special/toitusen/list.php
http://www.senkyo.janjan.jp/bin/manifest/search.php
ohmynews
http://www.ohmynews.co.jp/HotIssueTop.aspx?newstype_id=2&type_id=070322
東京都知事選勝手連情報
http://tokyokatteren.jugem.jp/
都知事選:石原氏、飛び出したマイノリティー差別
http://www.janjan.jp/election/0703/0703282578/1.php
http://www.youtube.com/watch?v=ufEHhxtf1pM&mode=related&search=
慎太郎知事 ヤジにブチッ「うるさい、黙ってろ!」…8日都知事選
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20070405-OHT1T00108.htm
下北沢駅前に遊説に来た石原慎太郎、再開発に反対する住民から野次を浴びせられて逆ギレ。
http://black.ap.teacup.com/fukashinogakuin/503.html
都知事選:石原支持者も反対する築地移転
http://www.janjan.jp/election/0704/0704022951/1.php

◆公選法について
ネット時代の勝手連と公選法
http://katteren.blog97.fc2.com/
特に落選運動については
http://www1.neweb.ne.jp/wa/kabuombu/seiji-rakusen.htm
http://katteren.blog97.fc2.com/blog-entry-2.html

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チューリップ 転載ここまで チューリップ
  


★ 少し古いものですが、中日新聞のこちらの社説もぜひ読んでね。

「“愛”は強制できるか 週のはじめに考える」

「・・・いまは見ようとすれば見え、聞こうとすれば聞こえ、発言も自由です。将来「あの時、あの角を曲がらなければ…」と悔やまないよう、目を凝らし、耳を澄まし、思考を研ぎ澄まして行動したいものです。」


★ 保坂展人さんのこちらの記事もとても良かったです。

「明日の天気は変えられないが、明日の政治は変えられる」

「・・・私たちの役割は、「絶望の中に、希望の芽を見いだし、人々の心から生れている熱でしたたかに成長させる」ことである。
 熱を生み、互いに交換し、また夜空を焦がす光源を作り出せるのは、あなたであり、私だ。」

「美しい国」?

もーちゃんのブログにもありましたが、先週末(3月30日)、心痛むニュースが流れました。
asahi.comより転載します。



「君が代」不起立、最高で停職6カ月 都教委処分


 今春の東京都内の公立学校の卒業式で「君が代」斉唱時に起立しなかったなどとして、都教育委員会は30日、教員35人を懲戒処分したと発表した。このうち町田市立中教諭の根津公子さん(56)は、懲戒免職に次ぐ停職6カ月。都教委は03年10月に起立斉唱を義務づける通達を出しており、94年以降の卒業式で不起立を理由に処分を受けた教員は延べ314人となった。

 都教委によると、処分者は昨春より2人増えた。不起立を繰り返すほど処分は重く、今回初めてだった20人が戒告、2回以上繰り返した12人を減給とした。通達以降、不起立を続けている根津さんのほか2人が停職になった。戒告を受けた20人のうち、定年後の再雇用選考に合格していた2人は合格を取り消した。

 06年に受けた停職処分の取り消しを求めて東京地裁で係争中の根津さんは、「覚悟はしていたが余りに重い。次は免職かもしれないが、教員生命をかけて強制に反対していきたい」と話した。


停職処分を受けた根津さんのことは、こちらのページをご覧ください・・→根津公子さんのページ

こちらに根津さんの被処分略歴が載っています。今回の処分で10回目(!)ということでしょうか。



今回の処分にしても、先日の日本史に関する教科書改定問題にしても、イラク特措法改正にしても、
この‘クニ’の目指す「美しい国」とはいったいどんな国なのでしょうね。


チューリップ


わたしは日記を読むのがとても好きだし、ネットで他の人とやりとりするのも好きなのに、
読んでほしいことを書き、見てほしい写真を載せようとすると、どうしてもこんなブログになってしまいます。
もしその他のおしゃべりがしたい方がおられたら、bbsに来てね。

ノンポリでは

植物のある環境は、マニュアル通りにはいきません。見惚れたり、詩を書いてみたり、
そんな寄り道を大切にしています。寄り道ができるのはその人の主体性です。
時間に縛られずに、余白をたくさん取っておくことが大切です。

by グロッセ・世津子さん


グロッセ・世津子さんは園芸療法をしている方だという。HPはこちら

「植物のある環境」は「子どものいる環境」に置き換えられると思う。
マニュアル通りにいかないから、園芸も子育ても面白い。人生もそうかな。

「マニュアル」は嫌い。「ケ・セラ・セラ」とか「臨機応変」で生きてきた。
経験から言えるのは、大抵のことは、‘なるようになる’ものだ。

だが、全てをいい加減にやっていて、‘なるようになる’訳ではない。
何事にも‘芯’は必要だ。

***


「東アジアから平和を考える」という集会に参加した。
映画あり、講演あり、ピアノ演奏ありの盛りだくさんの集会だった。

講演をしてくださったのは一橋大学名誉教授の中村政則さん。日本近現代史が専門だという。
内容をすべてここに紹介することはできないし、わたしには知識がなさすぎるが、
(勉強しなくちゃと何度も思いつつ、流してきてしまった・・・)
次のような言葉が印象に残った。

国民には開戦決定権はない、一旦戦争が始まってしまえば後には戻れない、その前に食い止めなければ。
戦争前には「回帰不能点」というものがあるが、いま我々は戦後最大の岐路に立っている、
5、6年のうちに大きな転換点がくる(と思う)。
何をしても無駄だと放っておいてはいけない。万が一法案が通ってしまっても、反対運動をすることは無駄ではない。


教育基本法改悪を阻止しようとしてあれほど反対運動が盛り上がったのに、
マスコミはほとんど取り上げず、簡単に改悪が決まってしまった。
その前の衆議院選も同じだった。あんなに簡単に踊らされ騙されてしまうとは。


ピアノ演奏をしてくださった崔 善愛(チェ ソンエ)さんはこんなことを言っておられた。
(うろ覚えなので言葉そのままではありません)

「以前は戦争を止められなかったのは、当時の人たちの怠慢だったんじゃないかと思っていたんですが、
 こうやって戦争になってしまうんだなぁと最近思うのです
「2、3歳の子どもを見ると涙がこぼれるんです、申し訳なくて・・」

そうだ、何もしなくては、子どもたちや孫たちに申し訳が立たない。
無力感と、わたしたちは、いや、わたしは闘っていかなくては。

「ノンポリ」ではもう駄目なのだ。


教育基本法改悪へ?


子供の教育には、どれほど時間と労力をかけても惜しくないと思う。それが、感じる能力を養う教育であるならば。すなわちたった一人の人間としてこの世に生まれた喜びを感じ、もう一人のだれかと出会う感動を感じられるような、当たり前の感性を育む教育であるならば。


                 by 晴佐久昌英さん



「たった一人の人間として」「たった一人の」だれかを大事にする、
それがだれであっても、人として尊重する・・・。

この世にたった一人しかいない子どもひとりひとりに、同じ人間として向き合い、
その子どもの可能性を伸ばそうとする教育が、今なされているだろうか、
教師は、親は、子どもたちから学ぼうとしているだろうか。

子どもたちは、わたしたちの宝物。
それが成績の良い子であれ、悪い子であれ、
性格のよい子であれ、扱いにくい子であれ、
いじめっこであれ、いじめられっこであれ、
そう、どんな子であれ、大事にされるべき存在。
排除されていい子どもなど、ひとりもいない。
みな、同じ価値をもつ者として、望まれて生まれてきたのだ、生かされているのだ。


教育基本法を改正し、全国の学校が‘国’に管理されるようになったら、
心ある教師はますます声をあげ難い教育現場になり、
そのうち‘お上’に従順な‘イエスマン’しかいられないところになるかもしれない。
そうしたら、子どもたちは、わたしたちの未来は、どうなってしまうのだろう? 

この国はいったいどこへ行くのだろう?


太陽


* 国会前では、教育基本法改悪阻止のための座り込みが続いています。
 平日にもかかわらず、昨日は全国から3000人が集まったそうです。
 TVでも新聞でも全く報道されないので、こちらでご覧ください・・・→「あんころブログ」

「ぼくたちが、早く大人になりたいと憧れるような大人でいてください。」

きくちゆみさんのブログに、
6日に行われた「ヒューマンチェーン」で読み上げられた子どもの作文が載っていました。
転載させてもらいます。


メモ


教育基本法改悪について、一番先に犠牲になるのに、発言する場も与えられていないぼくたちの声を聞いてください。
学校が荒れている、いじめで自殺する子がいる。こどもの犯罪が増えている。それらは、みんな教育基本法のせいだと与党の政治家たちはいいます。本当にそうでしょうか。
ぼくたちは、教育基本法のせいで、こんなに息苦しい学校生活を送っているのですか。「個性ゆたかな文化の創造をめざす教育」、「真理と平和を大事にする教育を守ろう」といっている教育基本法が、いじめや自殺を増やしているんですか。
ぼくたちには、この基本法のどこがぼくたちを苦しめているのか、わかりません。
むしろ、この基本法を正しく守ることもできない大人にぼくたちは失望します。
この基本法を守れる国の代表を選ぶことのできない大人に失望します。
ぼくたちは、大人を見ています。こどもは大人の真似をして大きくなるからです。でも、嘘をついてはいけないといいながら、嘘をつく大人。いじめはいけないといいながら、ものすごい武器で、戦争を仕掛ける大人。ひとりひとりが大事といいながら、無理やり多数決にしたがうことを強要する大人。
ぼくたちが、なりたくないという大人のお手本はもうたくさんです。

心のノートで道徳の授業をこれ以上つまらなくしないでください。
日の丸君が代はサッカーの試合だけでもうたくさんです。
先生の心をぼくたちに返してください。
ぼくたちの学校に、大人の自分勝手な都合を押しつけられるのはもうたくさんです。
ぼくたちは大人の、おもちゃでも道具もありません。

ぼくたちが、本当に教えて欲しいこと。
勉強はテストためじゃなくて、自分のやりたいことを見つけるためだということ。
授業時間よりも休み時間にいっぱい遊ぶほうが大事だということ
ひとりひとりの個性があるから、みんな違ってみんないいんだよということ。
ぼくたちに、未来が希望にあふれるものだと、教えてください。
ぼくたちの心はいつも自由でだれからも縛られるものではないと教えてください。
ぼくたちは、大人の暖かい愛情にいつも守られているのだと教えてください。
ぼくたちは、人を殺すために生まれてきたのではありません、
いじめられるために生まれてきたのではありません。
ぼくたちの生きる権利、学ぶ権利、幸せになる権利を守るために。
全ての子供たちの未来のために、教育基本法を守り続けてください。
ぼくたちが、早く大人になりたいと憧れるような大人でいてください。

群発自殺資料&池田香代子さんアピール

★ ののかさんが教えてくださった群発自殺に関する資料です。
  書かれたのは、東京都精神医学総合研究所副参事研究員の高橋祥友さんです。

  こちらをお読みください。


★ 教育基本法改正をしようとしている政府の意図については、
 池田香代子さんの下記の発言も参考になります。
 興味深いのは、現在の少年犯罪は50年前の5分の1以下であるということ。
 いじめにしても、少年犯罪にしても、「元凶は教育基本法ではない」のです。
 
 池田香代子さんアピール

いじめ対策?

昨日ネットでこんなニュースを見つけた。

「いじめ加担教師の懲戒厳格化も 教育再生会議緊急提言へ」

いじめを減らすために、いじめた側やそれを見過ごした教師に罰則を加える?
それで、いじめが減らせると思っているわけ? 逆効果じゃないの?
そもそも、誰が誰をいじめているか、何が、どこからがいじめにあたるのか、
どうやって、そして誰が判断するの?

厳密に、いじめている子どもを停学処分にするとしたら、学校から子どもはいなくなるかも? もしかしたら教師も?

そんなことを考えていたら、たまたま友人が「Meine Sache」というブログを教えてくれた。
そこにこんな記事があった。

「メディアは責任を取るべきだ」

こんなに子どもの自殺が相次いだのはメディアの責任だというのだ。
わたしもあの報道の過熱ぶりは異常だと思っていた、そして、もしかしたら裏に何かあるかもしれない、と。

↑の記事のリンクを辿っていったら、「J-CAST ニュース」の下記の記事を見つけた。

「これでいいのか! テレビの自殺報道規定?」

是非お読みください。

これに関連して・・・

「きっこのブログ」という超有名なブログがあるが、そちらの記事を読んだら
政府の「教育基本法改正案」が目指しているのは、
想像していた以上にとんでもないものだということがわかってきた。

「アベ内閣の教育改革」

この記事にリンクされている「教育改革国民会議」の「一人一人が取り組む人間性教育の具体案」も読んでみてください。

これは6年前の資料だが、政府が大真面目にこんなことを考えているとしたら、恐ろしすぎる。

どうも政府は子どもも国民も「飼い馴らすべきもの」と思っているようで・・・。



教育基本法が衆議院を通過した日、筑紫さんは「多事争論」で
「教育基本法改正そのものが疑問」と言っておられた。

「百年の計」

政府が今、この法律を変えようとしているのは「より国家の教育論に対する関与を強める」ため。
ほんとうにわたしたちはそれを許していいのだろうか?



* 「NEWS 23」のHPで確認したら、
 先日書いた記事(「lucky」)の筑紫さんの話の内容が違っていたので訂正しておきました。
 「夏夏冬冬」ではなく「夏夏夏冬」でした。ほかも大分うろ覚えでしたがそちらはお見逃しを・・・。


チューリップ


HPトップと「道案内」の模様替えをしました。いらしてくださいね。
あと1ヶ月でクリスマスですね・・・。






human chain


強くなることはないです。
弱い自分に苦しむことが
大事なことなんです。
人間は元々弱い生き物なんです。

それなのに、心の苦しみから
逃れようとして強くなろうとする。
強くなるということは
鈍くなるということなんです。
痛みに鈍感になるということなんです。
自分の痛みに鈍感になると、
人の痛みにも鈍感になる。

自分が強いと錯覚した人間は
他人を攻撃する。
痛みに鈍感になり優しさを失う。
いいんですよ、弱いまんまで。
自分の弱さと向き合い、
それを大事になさい。


by 野島伸司さん


弱くなれる強さ、ということを時々思う。


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昨日の空


チューリップ 教育基本法関連ニュース チューリップ


★ 「あんころ(教育基本法の改悪をとめよう! 全国連絡会)」主催で
 本日、「ヒューマンチェーン」が行われるそうです。
 詳細はこちらから。

★ 教育基本法関連の最新の情報は、「あんころブログ」でチェックできます。

湯川秀樹さん「ラストメッセージ」

核兵器と人類は共存できない。

by 湯川秀樹さん


一昨日から三夜連続で放映されているNHKの「ラストメッセージ」が良い。
昨日は湯川秀樹さん。

‘内向型’人間で一生懸命研究をしていれば、それが人類の役に立つはずと思っていた湯川博士だったが、
アインシュタインとの出会いが転機となった。

アインシュタインは湯川秀樹博士夫妻に会った時、
自分の発明によって、罪もない多くの人たちが死んだ、すまない、と涙を流して詫びたという。

アインシュタインが亡くなってすぐ、湯川博士は「ラッセル・アインシュタイン宣言」に加わり、
それから死の間際まで「核廃絶」のために心血を注いだという。

晩年、「こんなに簡単なことなのに、どうしてみんなはわからないのだろう?」
とつぶやきながら散歩している博士の姿が印象的だった。


たくさんの道があるのではない。

「『私たちは人類に絶滅をもたらすか、それとも人類が戦争を放棄するか?』
という二者択一を迫られている」のだ。

戦争によっては平和は実現できない、
人類と核は決して共存できない。

人類はこんな単純な真理をわかろうしない。
数年前の資料によると、地球上には三万発以上の核兵器があり、それには地球を10回以上破壊する威力があるという。
(1回で地球は滅びてしまうのだから、数を2回以上数える意味はない、という気がわたしにはするのだが)
それでも、もちたいと考える国は増える一方だし、
唯一の被爆国日本の中にすら、もったほうがいいと考える政治家が複数いるという現実だ。

でも、希望を捨ててはいけない。捨てたら、生きる意味もなくなる。


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私信:ジャスパーさん、この分だと、日曜に聖書の言葉を紹介できるかも。

マンガで解説「教育は誰のものか?」

面白いのを見つけました。みなさんもぜひ読んでみてね。

           「愛国心編」
           
           「教育格差編」



★ こちらも参考にしてください。

           「現行の教育基本法と政府案の対照表」

green & yellow

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ラジオから「ミスターロンリー」と「花はどこへ行った」が流れてくる。
懐かしい! 嬉しい気分でハミング。
でも、ふっと気がつく。ふたつとも戦争の歌だった。

「ミスターロンリー」の若者は戦場にいて、故郷の恋人を想って嘆く。

`I wish I could go back home'
(ああ、家に帰れたら・・・)


「花はどこへ行った」の若者たちは戦場へ行く。
そして墓に葬られ、少女のもとには帰って来ない。
PPMは何度も何度も繰り返し歌う。

‘Oh, when will you ever learn?’
(ああ、いったいいつになったらわかるんだ?)


ほんとうに、人はいったいいつになったらわかるんだろう。


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共謀罪&教育基本法

気になる記事を見つけたので、ご紹介します。

★ ブログ「共謀罪ってなんだ?」より

【転載歓迎】共謀罪は10月24日に強行採決か?

★ ブログ「内申書の廃止を求めます」より(教育基本法改正関連)

「あなたの声を国会と文科省に届けてください!」

***

★ 「情報流通促進計画」よりTBを受け取りました。

【重要】政府・与党が共謀罪は優先法案とついに明言!?反対の声を結集しよう!

〈13:35 追加〉

***

★ 「もーちゃんの部屋」より

【転載】メルマガ「共謀罪を廃案に!4号」

〈22日6:57追加〉

「BIRTHDAY THOUGHTS」

ネットで見つけたオノ・ヨーコさんの詩です。



誕生日に想う


この美しい惑星に生きる喜び
それは、昇る陽、日没、巡る季節
大洋、山なみ、澄んだ空
みんなで築いてきた愛する町や都市

大切な、平和と静けさのときに
喜びのときに
すべての愛とぬくもりのときに
私達は共に笑い、癒され、抱擁する

知識や、経験を出し合い
知恵と調和への感性を生かし
ハートの鼓動をひとつにして
私たちの世界を破壊から守ろう
たとえ争いの只中にいるときでも

ひたむきに生きれば
必ずきりぬけられる
忘れないで “私達はひとつ”

みんなで抱き合いキッスしょう
あなたと共に過ごす時間は私の宝物
あなたと出会えたことに感謝を!
何時もあなたの、天使のような、友達や先生のような
祝福と愛を感じる
あなたがいて私が在る

今日から喜びの日々が始まる
愛に満ちて踊り、
人生を共に楽しもう

ひたむきに生きれば
必ずきりぬけられる
忘れないで、“私達は愛”


敬意と感謝を贈ります。

ネルソン・マンデラ
モルデハイ・バヌヌ
アウン・サン・スーチー
アムネスティ・インターナショナル
Not In Our Name
すべての武器を楽器に

よりよい世界のためにがんばっている皆さんに
愛と感謝の気持を捧げます。

声を上げよう 光をあてよう
平和のために立ち上がろう


戦争は終る
(あなたが望めば)  

愛をこめて


2003年2月

ヨーコ・オノ

「最後だとわかっていたなら」

最後だとわかっていたなら

                    ローラ・ホートン

あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめてキスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう
あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

確かに いつも明日は やってくる
見過ごしたことも取り返せる
やりまちがったことも
やり直す機会が いつでも与えられている

「あなたを愛してる」と言うことは
いつだってできるし
「何か手伝おうか?」と声をかけることも
いつだってできる

でも もしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるとしたら
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして私達は 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめるのは
今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

だから 今日
あなたの大切な人たちを しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だと言うことを
そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」
を伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから



* ローラ・ホートンさんは消防士で、9.11に救助のためツインタワーに入り亡くなったそうです。
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「六ヶ所村ラプソディー」

「ヒバクシャ―世界の終わりに―」の鎌仲ひとみ監督が作成した映画「六ヶ所村ラプソディー」を観た。

使用済核燃料の再処理工場がある青森県六ヶ所村の人たちを取材して
丁寧につくられた映画。
反対・賛成双方の人々、そして実際に再処理工場で働く人たちも登場する。

再処理工場のことは聞いてはいた。
けれどもそれがどういう問題を孕んでいるのか、わたしはほとんど知らなかった、
映画を観て愕然とする。

処分工場のアクティブ試験(試運転)は3月末にすでに始まっている。
来年には稼動の予定。

ここまで来たら止めることはできない。
六ヶ所村の人たちも他の人たちもほとんどそう思っているのだろう。

けれどもそれで良いのか?
何も知らずに許してしまってほんとうに良いのか?

この記事を書こうと思って少し調べてみたら驚く事実がわかった。
処分工場ではすでに何件も放射能漏れの事故が起こっているということ。
その一つの記事がこちら。

六ヶ所再処理工場でプルトニウム体内被ばく事故

そしてごく最近、再処理工場敷地内の、ガラス固化体貯蔵建屋で
高いレベルの放射能が検出されたそうだ。

詳しく知りたい方はこちらをクリック。

工場内で問題がなかったとしても、一旦稼動すれば、
工場から毎日排出される放射能が、農地や海を汚染してゆく。

微量だから安全?
事故がなければ大した問題ではない?
遠くに住むわたしたちには関係ない?

では、汚染されていると知りながら
青森でとれた農産物や魚を食べ続けられるだろうか?



映画を観て、自分が原発についてあまりにも無知であることを知った。
知ることから、知ろうとすることから始めようと思う。


* 調べてわかったこと、少しずつ書いていきます。宜しくね。

政府提出の教育基本法「改正」案の廃案を求める声明

「教育基本法『改正』情報センター」に行ってみたら、
「政府提出の教育基本法「改正」案の廃案を求める声明」の賛同者を募っている
というお知らせが載っていました。

明日(14日)の午前10時が最終締め切りとのこと。
賛同される方はこちらから。

***


■声明と賛同者募集(電子署名)結果のご報告■

W杯対豪戦キックオフとともに開始した電子署名運動は、14日10:00までに1619名の賛同者を得ることができました。この人数と、お名前の公表を可とされた1468人分の名簿、そして声明を、本日、衆院・教基法特別委員会の理事全員と理事を出していない共産・社民の議員に提出しました。残念ながら、政府案を廃案にすることはできませんでしたが、賛同者数の多さは理事たちに驚きをもって迎えられました。今回、全国・世界の皆さんと気持ちが一つになったような気がしました。ご賛同とご協力、本当にありがとうございました。


「教育基本法『改正』センター」より転載(6/15)

子ども兵士からのメッセージ


少しだけ聞いてほしいこと



ぼくは2人の人間を殺した。

AK47と呼ばれる小型武器で。

小型武器とは、

ぼくたち子どもでも扱える小さくて軽い武器のことだ。

でも、この武器は僕らの国では作っていない。

ぼくが使っていた武器は外国から入ってきたものだった。

ぼくらのことを

チャイルドソルジャー(子ども兵)と人は呼ぶ。

小型武器を持って戦う兵士だからだ。

でも、2年前までぼくはふつうの子どもだった。

家族がいて友達がいて幸せに暮らしていた。

ある日、大人の兵士が村にやってきてぼくを連れ去った。

ぼくはその日から兵士になった。

ぼくは人の殺し方を教え込まれ戦場で戦った。

逃げようとした友達は大人の兵士に耳を切り落とされた。

ぼくの目の前で友達が殺されていった。

女の子は大人の兵士に乱暴された。

怖かった。

家に帰りたかった。

お母さんに会いたかった。


運よく、ぼくは大人の兵士がいないときに

軍隊から逃げ出すことができた。

村に帰ってきたが、友達は誰もいなかった。

ぼくはみんなに「 人殺し 」といわれ

学校ではいじめられた。

家族や親戚からも怖がられ

前みたいな幸せは戻ってこなかった。

悲しかった。

寂しかった。

あるのは絶望だけだった・・・。

ぼくは何度も死のうと思った。

そして、何度も何度も自分自身に問いかけてみた。

ぼくは何のために生まれてきたのか?

ぼくはなぜ生きているのか?

ぼくは生きる価値がはあるのか?

ぼくにできることはあるのか?


「もし、ぼくに何かできることがあるなら、ぼくには生きる意味がある 」

ぼくはそう思った。

ぼくに何ができるか?


「ぼくとおなじ悲しみを、子どもたちに体験させたくない」

ぼくはそう思った。

ぼくには紛争の「悲しみ」を伝えることができる。

ぼくには平和の「喜び」を伝えることができる。

ぼくには、ぼくにしかできないことがある。


今、ぼくは先生になってそのことを伝えていこうと思っている。

ぼくの夢は学校の先生になること。

むずかしいかもしれないけど

あきらめずに夢を追っていきたい。



*注:ぼく=ウガンダの子ども兵
              
         
『ぼくは13歳 職業、兵士。』より
            


★ こちら で見つけました。「転載自由」とのこと。

「ゼロ・トレランス」

さきさんから昨日TBとコメントをいただきました。

昨日の記事「文科省が生徒指導の強化を求める報告!!」をお読みください。

「ゼロ・トレランス」のことは知らなかったので、これから注目していこうと思います。


でも、子どもたちに必要なのは‘鞭’ではなく‘愛’なのでは?
先生方、子どもが好きですか? 生徒たちを愛しておられますか?

思想は死なない

池田香代子さんの講演会に行った
いちばん感銘深かった言葉をひとつご紹介

「思想は一旦生まれると死なないのです」

何事も 芽生えるのは わたしたちのうちから
どんなに実現不可能と思っても どんなに荒唐無稽のような気がしても 
夢見ることを忘れてはならない


***


池田香代子さんは先日、「憲法9条改定の賛否を問う街頭シール投票」に参加したそうです。
これは4月29日から5月3日まで、全国33都道府県の72市・町・区で一斉に実施されたもので
結果は次のようなものだったそうです。

9条を変えることに 
賛成:3270(12%) 反対:21652(77%) わからない:3247(11%)  合計:28169


一般の調査よりも「反対」が多いのは、小学生や中学生も数に入っているからということです。
池田さんが実際に質問して「反対」と答えた小学生の男の子は言ったそうです。

「人を殺したくない」

その後で小さな声で

「殺されたくない」

またある女の子はこう言ったといいいます。

「憲法9条をもっている日本が好き」

池田さんが言っておられたように、国を愛する心は強制されるものではなく
自然に芽生えるものなのでしょう。

シール投票の詳しい報告はこちらに載っています。是非お読みください。

「憲法9条 変える?変えない?全国意見投票」

***


★ 以前マイぷれすに書いたわたしの記事です・・・→ 「世界がもし100人の村だったら」

★ 動画のサイトを見つけました・・・→ 「動画で見る100人の村」

★ こんなページも見つけました・・→ 「日本村100人の仲間たち」 ・・・笑えます。

神はわれらの避け所

神はわれらの避け所、また力。
苦しむとき、そこにある助け。
それゆえ、われらは恐れない。
たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。
たとい、その水が立ち騒ぎ、あわだっても、
その水かさが増して山々が揺れ動いても。

(聖書:詩篇46篇より)


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* 昨日の記事に、早瀬沙樹さんという方がコメントとTBをしてくださいました。
  沙樹さんのコメントを一部引用します。
 
  「私もずっとこの問題を訴えてきましたが、この危機にあって、
   何か少しでも直接的な効果のある運動はできないものか(集会などに参加できないブロガーの立場として)と思い、
   署名のお願いを改めて送ろうと思いたちました。

   検索してみると、この問題について書いておられる方は予想以上に多く、
   しかも私が思っていたよりずっと改悪反対の方が多いのです。
   嬉しくなります。署名の数がどれくらい増えるかわかりませんが、
   少しでも今の状態に歯止めをかけられそうなことを続けていきたいと思います。」


  web署名に関する沙樹さんの記事はこちらから・・・→教育基本法改悪反対web署名にご協力ください

* ジャスパーさんが共謀罪との関連について質問してくださったので、少し調べてみたら
  参考になりそうなページを見つけたのでご紹介します。

  「共謀罪」って・・なんだ?

  共謀罪ってなんだ?(ブログ)

  PEACE ON DAYS

  共謀罪の審議再開、強行可決を許すな!


知れば知るほど怖くなるけれど、取り返しがつかなくなってから
「こんなことになるとは思わなかった・・」と、
自分たちの失ったものに気づくのでは遅すぎる、のですよね。

教育基本法改悪へ?

ゴールデンウィークを目の前に、気になるニュースが飛び込んできました。
報道の自主規制か、ほとんどTVでは取り上げられなかったようです。


伝統の尊重など明記、教育基本法改正案を閣議決定


★ 教育基本法のどこを変えようとしているかについては、こちらを参照してください。

★ 教育基本法が変わるとどうなるのかについてはこちらが参考になると思います。

★ 「教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会」は4月26日付で「緊急アピール」を載せています。


わたしたちは、「教育基本法改悪」→「憲法改悪」→「日本が再び戦争のできる国に」
という流れを、ただ手をこまねいて見ていることしかできないのでしょうか。

わたしにはネットの片隅でささやくことぐらいしかできないかもしれないけれど、
ささやきつづけようと思います。生きる限り。それも、わたしがわたしであること。


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HPトップの模様替えをしました。お時間があったら是非・・・→日だまりの窓辺

『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』

戦争を生きのびた者のひとりとして、ほんとうの戦争について語ることは、とりもなおさず、
まずしい人、罪のない人にとって、戦争はどういう悲劇をもたらすかを語ることでもあります。
そして、戦争から生まれ出るのは新たな戦争でしかなく、戦争から平和が生まれることなど
けっしてありえないのだと気づいてもらうことです。
前線で実際に戦った者で戦争を賛美する者はひとりもいません。
もし戦争を肯定する者がいたとしたら、その人は後方の基地でデスクに向かっていたか、
炊事班でコックをしていたかで、人が殺しあう前線に行ったことがない人に違いありません。

アレン・ネルソン著『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』(講談社)より


この本の副題は、「ベトナム帰還兵が語る『ほんとうの戦争』」。

本書は、戦場でごく普通の人間がいかに一切の感情を捨て、何の感慨もなく人を殺すことができるか、
語ってくれる。だが、それは戦地という特殊な状況に置かれているからだ。
母国に無事帰還した兵士は一様に「心的外傷後ストレス精神障害(PTSD)に苦しむことになる。
ネルソンさんも同様だった。ベトナムから帰ったネルソンさんは毎晩悪夢にうなされ
そのために実家を追い出されホームレスとなる。廃人のような日々。
しかし彼を訪ねてきた高校時代の同級生のお陰でベトナムでの経験を子どもたちに話す機会を与えられる。
残虐な話は避けながら戦争のことを語り終えたネルソンさんにある少女が質問する。
「ミスター・ネルソン、あなたは人を殺しましたか」
目をつぶって何者かに促されるように「YES」と答えたネルソンさんを少女は抱き締めて言う、
「かわいそうなミスター・ネルソン」目にいっぱい涙をためて。
ネルソンさんを子どもたちが囲み次々に抱き締める。
そのときネルソンさんの中の「何かが溶けた」。そしてネルソンさんは決意する、
仕事を探そう、再び生きはじめよう、戦争の真実を伝えるためにも。


戦争を体験しなくても、戦争のことを知ることはできる。
聴いて読んで想像すればいい。しなくちゃいけない。

子ども向けの本だが大人にも読んでほしい一冊。是非!


* ネルソンさんが来日した時の講演記録を見つけました・・→「兵士よ故郷アメリカへ帰ろう!」


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お知らせ

これまで「バグダード・バーニング」の更新のお知らせ等をマイぷれすに書いていましたが、
これからはこちらに書くことにしました。

早速ですが、「バグダード・バーニング」(イラク人女性リバーベンドのブログ)が更新されているので
お読みください・・・→「3年」

訳者のひとり細井明美さんのブログの記事「ファルージャから1年…『未来』1月号より」
もお読みくださいね・・・→「日めくり」

「人質救え メール・テレビで」

一昨年、高遠さん・郡山さん・今井さんがイラクで人質となっていたときのことが
朝日新聞夕刊の連載「人脈記 市民と非戦?」(2/21)に書かれていました。
ご存知ない方も多いと思うので、長くなりますが、後半の部分を以下に載せておきます。


***


人質救え メール・テレビで


04年4月8日、高遠菜穂子(36)ら3人の人質事件がイラクでおきた。
「3日以内に自衛隊を撤退させなければ彼らを殺す」と犯人たち。
3人を救え! WPN(ワールド・ピース・ナウ)は連日連夜、首相官邸前に集まった。
それよりもインターネットが。全世界のありとあらゆるところへメールを送ろう。その内容は。
「人質となった3人はイラクの子どもたちの苦境や劣化ウラン弾に心を痛め、
自ら支援の手を伸べようとイラクに足を運んだ人たちです。彼らはイラクの民衆の友人です」
国際交流団体ピースボートの吉岡達也(45)がイラクの友人に連絡をとると、
「えっ、自衛隊の関係者じゃないんだ。それじゃ何とかしなくちゃ」。吉岡はカタールに飛んで、
衛星テレビのアルジャジーラに出演した。アルジャジーラも3人を真剣に救い出そうとしていた。
吉岡は2度出演して犯人に解放をよびかけ、人質の家族のビデオを流した。
WPNが送ったメールはフランス在住のイラク人にヒット、そこから犯人に届いた。
犯人グループから「一両日中に解放する」という返信メールが来た。イラクのイスラム宗教者委員会も動いた。
吉岡が居続けたアルジャジーラでも「これで大丈夫」と安堵感が流れた。曲折はあったけれども、
返信の5日後に3人は救い出された。
このとき日本政府は「自衛隊撤退はしない」というばかりで、3人の救出工作にどれだけのことができたのか、
今もはっきりしない。一方で、危ないから行くなと言っていたのに行ったのだから殺されても仕方ないと
いわんばかりの「自己責任論」が噴出した。救出費用を家族が負担せよと政府内から声が上がり、
経費の詳細を掲げた新聞もあった。
(WPNの)高田は言う。「マスコミが悪い、政党が弱いとかぐちったってしようがない。
でも、あの救出事件はみんなのすごい自信になっているんです。市民運動だって役に立つときがあるんだよなと」

3人の無事救出のあと、アルジャジーラは、カタールの日本大使館に出演を依頼した。
テレビ画面からイラク国民に呼びかけたらどうかと。大使館は「東京で外相がコメントしていますので」と応じなかった。
間に立った吉岡は苦笑する。「で、わたしが3回目の出演をしてお礼を言ったんですよ。
私など、日本を代表する立場じゃないんだけど」
              

                                 by 早野 透 記者

夕陽のスポットライト

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昨日Yahooニュースに取り上げられたために、今井紀明さんのブログ
とんでもない数の中傷・誹謗のコメントが寄せられている。そのいくつかを読んでいたら、
人質事件当時の気持ちがよみがえってきた。

解放されて帰国した3人を「おかえりなさい」と迎えられなかった人々。
そのとき日本人の多くがもっていた悪意・憎悪は、時間が経ってもそのままなのか?

本名もアドレスも公開している今井さんに対して、匿名で誹謗・中傷のコメントを平気で書く人たち。
彼らは、今井さんという個人にも‘人質事件’にも向き合おうとしていない。

(そもそも他の人のブログに初めてコメントを残す時には
 「はじめまして」という挨拶から書きはじめるのが礼儀ではないのか?
 そうでないコメントに、ましてや非難するのだけが目的のコメントに返答する必要は全くない)

今井さんがいくら真摯に言葉を尽くしたところで、彼らにいま届く言葉はないのだと思う。
リスクを冒しても対等な立場に立とうとする人としか、
自分が変わることになったとしても相手の言葉を聴こうという姿勢がとれる人としか
対話は成り立たないのだ。



「今井さん、ちゃんと自分を守ってね。こんなことでつぶれないでください。
 あなたたちが捕らわれてから、あなたたちの解放を心から祈り、奔走していた人は誰も、
 あなたたちが解放されてほんとうに嬉しかったし、
 あなたたちことを迷惑だなんて思ったことはないはずです」

「鳥の歌」

昨日名前を挙げたカザルスと「鳥の歌」について、こんな文を見つけました。


95歳直前の1971年10月24日が、
カザルス最後の国際舞台になった「国連デー」記念コンサートである。
いまだに語り草になっているこの公演は、豪華な出演者への期待もあり、
国連総会参加の各国代表とその家族たちで、大会議場は超満員だった。
この日のためにカザルスが作曲したオーケストラと合唱のための《国際連合への賛歌》が初演され、
ウ・タント事務総長がカザルスに国連平和メダルを贈った。
つづいてスターンとシュナイダーによるバッハ《二つのヴァイオリンのための協奏曲》や、
ホルショフスキー、ゼルキン、イストミン協演のバッハ《三台のピアノのための協奏曲》などのあと、
もう一度《国連賛歌》が演奏されて、プログラムは終った。
指揮台をおりたカザルスは、しずかに客席に話しかけた。
「私はもう十四年もチェロの公開演奏をしていませんが、今日は弾きたくなりました」
運ばれてきた愛用のチェロを手にとって、彼はいう。
「これから短いカタルーニャの民謡《鳥の歌》を弾きます。
私の故郷のカタルーニャでは、
鳥たちは平和(ピース)、平和(ピース)、平和(ピース)!と鳴きながら飛んでいるのです」
彼は右手を高く上げて、鳥が飛ぶように動かしながら、ピース、ピース!とくり返した。
「この曲はバッハやべートーヴェンや、すべての偉大な音楽家が愛したであろう音楽です。
この曲は、私の故郷カタルーニヤの魂なのです」
静まり返った会場に流れた《鳥の歌》。その感動をことばで表現するのはむずかしい。
強いていえば、巨匠の人生と思想がこの短い曲に凝縮されて、
聴くものの心をゆさぶった、ということだろうか。
全聴衆と演奏者が、そして世界に放映された録画に接した人たちが、同じように涙を流したのだった。

井上頼豊著『回想のカザルス』(新日本新書)より



カザルスの祖国はスペインでしたが、当時はまだ独裁者フランコが政権を握っていたのだそうです。

夫がCDを持っているのでこの曲は以前から知っていましたが、
「鳥の歌」がもともと「キリストの誕生を鳥たちが祝ってうたうという、
カタロニア地方のクリスマスキャロル」だということは知りませんでした。
この曲にはさまざまな鳥の名前が読み込まれているそうです。



* こんなサイトも見つけました→「平和へのアピール」

「自由の風」のプレゼント

先週、嬉しいことがありました。全く面識もなかったわたしに『ロスアラモスからヒロシマへ』を下さった
ヒロシマの被爆者の方に、あるコンサートでお会いすることができたのです。
歳をとったらああなりたいと思うような素敵な方でした。
明るくて人懐っこくて好奇心旺盛で前向きで、たくさんの人が心の中に住んでいる・・・。

お話ししていたら、大好きだった恩師を思い出しました。
忘れられない人をご覧ください)

年の瀬に、神さまから大きなプレゼントをもらった気分です。


***


コンサートで全員で歌ったカタルーニャ民謡「鳥の歌」(パブロ・カザルスの演奏で有名)の歌詞です。



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鳥の歌

                              訳詩・北川フラム


麗しき夜 気高き光 太陽を照らせば
鳥たち集い 祝い歌う かぐわしき声で
鳥たち集い 祝い歌う かぐわしき声で

森の奥まで メロディー流れ 歌声は響く
鳥たち歌う 「イエスが生まれ 悩みは喜びに」
鳥たち歌う 「イエスが生まれ 悩みは喜びに」

うぐいす歌う 「マリアの子ども 美しくかわいい」
つぐみは歌う 「闇はきえて 命は生まれる」
つぐみは歌う 「闇はきえて 命は生まれる」






* コンサートを主催していたのは「日野『君が代』処分対策委員会」。
  興味のある方もない方もこちらのHPをご覧ください。
                      ↓
                  「学校に自由の風を!」

原点

先日引用した上野遼さんの文章からもう一度引用する。


父兄は、というより「大人である」ことに慣れきった人間は、「先生」というものを固定化してとらえる。
「先生」に「教育」の必要はないと考えがちである。つまり「先生」もまたひとりの人間として
絶えず成長しなければならないものだというあたりまえのことが脱落する。成長という場合、
かならずしも「りっぱな人間」になる必要はない。繰りかえすようだが、常に、今のじぶんに安住しないことだ。
じぶんを一定の立場、地位、役割の中に押しこめまいとすることだ。
小谷先生は、そういう試行錯誤の中にこそ人間らしさがあると考える。
立ちどまることではなく、常に自己否定の形で歩き続けることである。
「教育」とは本来、「先生」のそうした持続的成長をも含んでいる。



灰谷さんの講演会のタイトルは「学ぶこと・変わること」だった。
子どもだけではない、大人も、常に変えられる柔軟性をもっていなくてはならない。
人々から「先生」と呼ばれる立場にいる人も例外ではない。

先生神話がなくなった現代に生きる子どもたちは鋭い目で大人を見ている、
そして幻滅を繰り返している。
けれども同じひとりの人間として子どもに向き合う大人に、子どもは限りなくやさしい。

いま学ばなければならないのは子どもよりむしろ大人の方だ。
子どもから、ハンディを負った人々から、学校や社会から弾き出されている人々、
つまりマイノリティーの人々にわたしたちは学ばなくてはならない。
彼らとともに生きる、彼らにとって生きやすい社会こそが健全な社会なのだとわたしは信じている。



***



このシリーズ(?)を読んでくださってありがとうございました。
若い頃に作品を読んだ時から灰谷さんが大好きで、つい力が入ってしまいました。
以前ここで紹介した林竹二さんを「お師匠さん」と呼ぶ灰谷さん。

自分が惹かれる人たちはどこかでつながっているのだなぁ、つながっていくのだなぁ
と思うことが多くあります(ネットでもたびたび感じることです)
‘わたし’をつくってくれたのも、教え支えてきてくれたのもそういう人たちなのです。

今回灰谷さんの講演会に出席し、自分の立っているところは間違っていない
という気持ちを新たにしています。

このまま歩いていこうと思います。

灰谷健次郎さん講演会(4)

『だれもしらない』という灰谷さんの作品が国語の教科書に載ったことがあったという。
主人公は、障碍のために、200メートルを40分かけなければ歩けないまりこ。

障碍のある子が主人公のお話が教材として選ばれるのは初めてと
当時は朝日新聞でも大きく取り上げられ、話題になった。
しかし『だれもしらない』は半年でおろされた。
教科書の内容が入れ替わるのは大抵4年毎だから異例のことだった。

理由は、先生たちからのクレームだったという。

障碍のある子をクラスに受け入れている先生方はほとんどいないから、
(そしてたぶんそういう問題について考えたことのある先生がほとんどいないから)
この教材をどう扱っていいかわからなかったのだ。

『だれもしらない』を読んだ子どもたちの感想文を宝物にして、灰谷さんはこのことを切り抜けたという。
そう言いながら灰谷さんはある女の子の文章を紹介してくれた。

普通の人の5倍の時間をかけなければ同じ距離を歩けないまりちゃんの苦労を体験しようと
その女の子は雨の中、家から学校までの距離を5往復してみる、
そしてそれが思っていたよりずっとずっと大変なのを知る。

女の子は教科書を読むことで、自分がもしまりちゃんだったら、と考え、
まりちゃんを追体験し、少しの間別のいのちを生きたのだ。
それは女の子の生涯の糧になる体験だったのだろう。

『だれもしらない』を読んだ子どもの感想をネットで見つけた→「『だれもしらない』を読んで」
その中の一節。

まりこは、たった二百メートルの間に、人とかかわり、動物とふれあい、自ぜんを楽しんでいる。
わたしは、まりこの「しれば友達になれるのに」と言った言葉が、強く心にひびいた。
まりこが、わたしに言っているような気がした。



『だれもしらない』は、灰谷さんが障碍のある子をおぶって本屋に入った時に
ある主婦から投げかけられた言葉に反駁するために書いた物語だったという。
「あんな子、なにがたのしみで生きているのやろ」という。

しかし子どものようにやわらかい心を持った人にしか灰谷さんのメッセージは届かない。



「TVを観るとよく『いじめがあったのを知らなかった』と言っている先生がいますよね
 だけど何かあったら、朝教壇に立てば、クラスの雰囲気でわかるはずです
 僕に言わせたら、そんなんもわからない先生は教師をやっている資格がないんです」

灰谷さんの言葉が痛烈で痛快だった。

灰谷健次郎さん講演会(3)

次に灰谷さんは、駆け出しの教師だった頃、知り合いの‘知恵遅れ’の女の子を
小学校一年生の自分のクラスに預かったときのことを話された。
『兎の眼』の土台のひとつにもなったエピソードだから、懐かしく思いながら聴いていた。

このお話ぜひ紹介したいなぁと思ってネットを検索していたら、
故・上野遼さん(児童文学者)の「『兎の眼』のこと」という文章を見つけた。

長くなるが、引用する。

彼女には「たったひとつだけわかることばがある。
それがオシッコジャアーだ。しかし、その後がたいへんだった。
そのことばをきくやいなや小谷先生は超スピードでみな子を便所につれていかなくてはならない。
それでも成功するときはまれである。たいていは、とちゅうでもらしてしまう。
オシッコジャアーというよりはやく、その場でもらしているときもある」。
それだけではない。授業中、みな子はじっとしていない。クラスの子どものノートを破る。
他人の給食に手をつっこむ。歩きまわる。池に腰までつかって金魚をおいまわす。
数えあげればきりがないくらい・・・


みなこちゃんはクラスの子どもたちにとって迷惑な存在に他ならなかった。
けれどもみなこちゃんと関わることで子どもたちは変わっていく。
「みなこちゃん当番」も子どもたちからの提案だった。



「うん、そうじとうばんはそうじをするでしょ。にちばんはまどをあけたり、しゅっせきをとったりするでしょ。
 みなこちゃんとうばんは、みなこちゃんのせわをするとうばんです。
 みなこちゃんとあそんだり、べんきょうをしたり、とうばんになったこは、
 みなこちゃんのそばをはなれたらいかんの」
「どうしてぼくがそんなことをおもいついたか、おしえてあげよか。
 ぼく、みなこちゃんがノートやぶったけどおこらんかってん。ほんをやぶってもおこらんかってん。
 ふでばこやけしゴムとられたけどおこらんと、でんしゃごっこしてあそんだってん。
 おこらんかったら、みなこちゃんがすきになったで。みなこちゃんがすきになったら、
 みなこちゃんにめいわくかけられてもかわいいだけ」
これは淳一という子どもの発言だが、すでにこの発想の中に、
淳一の、じぶん自身の枠をこえる思考や姿勢がのぞいている。
じぶんが伊藤みな子をどのように思うか……ではなくて、伊藤みな子とどう関わるか。
その最上の在り方を手さぐりし、つかみあげた気持がよく示されている。
この「じぶん以外のもの」への配慮が子どもを変える。じぶんの中に、
他人の立場、じぶん以外のものの考え方や感じ方を受けいれる土壌をつくる。
それはやがて、他人というものがじぶんとおなじ命の重みを持ったものである自覚を芽ばえさせる。
淳一というこの子どもだけの問題ではない。淳一の提案で「みなこ当番」を決議した小谷学級の子どもすべてが、
それぞれのやり方で新しい人間関係の組み方を考えるようになる。
伊藤みな子は、この意味で、クラスの子どもたちにとって人生の教師とおなじである。
体や行動を通して人間への思いやりを喚起する点で、ソクラテスの役目を果している。

灰谷健次郎さん講演会(2)

「人は変わることができる」という言葉を受けて灰谷さんは
20年前に出会った女の子の話から話し出された。

当時その子は17歳だったが、家庭的な問題から心を病み、
自殺願望に捕えられ、何度も自殺未遂を繰り返し、精神病院に収容された。
そこで灰谷さんに手紙を書く。灰谷さんが返事を出し、交流が始まる。

しばらくして淡路島に訪ねてきた少女を見て、灰谷さんは言葉を失ったという。
少女は拒食症のためガリガリに痩せ、皮膚につやはなく、自殺未遂の痕が
腕にも首にもついている。しゃべり始めても灰谷さんと目を合わせようとしない。

『兎の眼』(灰谷さんの小説)に出てくる小谷先生のような先生になるのが夢だという少女に
灰谷さんは言ったという。

「とにかく、3月まで生きてみなさい
 そうしたら神戸の保育園に話をつけて、仕事ができるようにしてあげるから」

少女の瞳に初めて光が宿った。

「ほんとうですか?
 そしたらこの紙にそう書いてください」

やがて少女は灰谷さんの経営する「太陽の子保育園」に通うようになる。
子どもの中で働いているうちに少女は静かに癒されてゆく。
彼女が子どもに寄り添っていたというよりむしろ彼女の方が子どもに寄り添われていたのだ。

3年ほどそうやって働いた後、彼女は新たな志をもち、別の仕事を見つける。
そしてある男性と出会い結婚し3人の子のお母さんになる。

20年後、毎日新聞に掲載された手記の中で彼女は書いている。

「人は変わることができるのです」

きっかけは、少女の心に寄り添った灰谷さん、そして子どもたちとの出会いだった。


「何もできない」などと言い訳してはいけないのだろう。
わたしたちは今日そばにいる誰かの、今日出会う誰かの、
きっかけになれるかもしれないのだから。

灰谷健次郎さん講演会(1)

「アンゼラスの鐘」を観た翌日、灰谷健次郎さんの講演会に出席した。
行って初めて、講演会が「めるくまーる」という福祉団体の主催であることを知った。
そのせいか、会場の案内をしてくれる人たちはみな、にこにこと感じが良い。

講演会に先立って、「めるくまーる」に関わる人たちの挨拶や説明があったのだが
(「めるくまーる」は「東久留米市精神障害者地域生活支援センター」の別称)
説明は、メンバーやスタッフが数名壇上に出てきて車座になり討論会をする
という形式でなされ、とてもわかりやく、興味深かった。

「統合失調症」の人たちが、自分の病気のことを堂々と話すのにはびっくりした。
自分に聞こえた幻聴のことや強制入院させられたときのことを事細かに話してくれる人もいた。
長い間不安神経症に苦しんできた女性は、神経内科とカウンセリングに行き詰まり、
どうしようもなくなったとき「めるくまーる」に出会ったと言っていた。
医療が提供できなかった「居場所」をめるくまーるは自分に与えてくれたのだ、と。

壇上にいながらまるで「めるくまーる」のお茶会を再現しているように語る人たちは
病気とはとても思えないほどだったが、実は、前日も
「自分には無理」「死にたい」「終わったら即入院だわ」などと訴えていたのだという。

ある人の言葉が印象的だった。

「(「めるくまーる」に通う人たちを見ていて)人はほんとうに変われるんだ、と思いました」


***


この記事を書くために検索していたとき、面白いサイトを見つけました。
                ↓
             図書館9条の会

「アンゼラスの鐘」

ナガサキの原爆を扱った「アンゼラスの鐘」というアニメ映画を観た。
モデルは長い間平和運動の先頭に立ってこられた秋月辰一郎さん
(このアニメの完成を見届けた後、10月20日に息を引き取られたという)

8月9日、11時2分、広島に落とされたウラニウム爆弾の3倍の威力を持つ
プルトニウム原爆が長崎上空で炸裂、
のどかな緑の田園地帯は一瞬にして灰色の死の街となった。

爆心地から1,4kmの場所にあった「浦上第一病院」は原爆でほとんど焼失したが、
幸いにも入院患者と職員は全員生き残った。
しかし、秋月医師らの長い闘いがそこから始まる。

原爆で火傷や傷を負い病院に押し寄せる人々、
家族が苦しんでいます、来て、助けてください、と訴える人々、
病院に収容され、苦しみ叫ぶ人々。
その人たちを治療したくても医薬品はほとんどない。
やがて、助かったと思った人たちが不可解な症状に襲われ、次々と死んでゆく、
見たことも、聞いたこともない症例。助けを求められても何をしてやることもできない。

秋月さんは医師としての無力感に苛まれ
自らも身体の不調を覚え死の恐怖に怯えるが、病院に踏みとどまる。

自分だけ、逃げるわけにはいかない。

看護婦や病院の職員たちが秋月さんを支えた。

人々の顔に復興の微かな兆しが見えはじめた頃、
街に再び「アンゼラスの鐘」が鳴り渡る。そこで映画は終わる。
が、秋月さんの闘いは60年間絶え間なく続いたのだろう。
秋月さんの中で戦争が終わることは生涯なかったのだろう。

原爆が落とされて初めて秋月さんはわかったという。
「これが戦争だったのだ」
初めて被害者の立場から戦争を見ることができた。

だから秋月さんはじめ語り部となった被爆者の方々は、
封印してしまいたい記憶と向き合いフラッシュバックに苦しみながらも
訴えつづけてこられたのだろう、
「こんな経験・想いは他の誰にも(どの国の人にも)させたくない、
 自分たちが最後であってほしい」と。

「核と人類は共存できない」
決して。

そのことを、政治家も、わたしたちひとりひとりも肝に銘じなくてはならない。
どんなに辛くても、ヒロシマ・ナガサキを忘れてはいけない、目を逸らしてはいけない。


***


昨日TBしてくださったyamamotoさんのブログ「ペガサス」
「9条守ろう! ブロガーズ・リンク」を見つけました。わたしも加わらせてもらおうと思います。
(こんなブログですが、良いでしょうか?<管理人さま)

映画「日本国憲法」

「日本国憲法」という映画を観ました。
公式HPの「イントロダクション」にはこうあります。

    戦後60年目を迎えた2005年、自衛隊のイラク派兵をきっかけに
    憲法についての踏み込んだ議論がはじまりました。
    国内のあまりに性急な改憲への動きを、世界に視野を広げて見つめ直す、
    それがこの映画の出発点でした。憲法とは誰のためのものか、
    戦争の放棄を誓った前文や第9条をどう考えるのか。
    本作品は、憲法制定の経緯や平和憲法の意義について、
    世界的な知の巨人たちが語った貴重なインタビュー集です。


「世界的な知の巨人たち」とは、このような方々です。

この映画を観てfわたしは、今まで当たり前のように思ってきた日本国憲法がどんなに優れたものか、
戦後60年、どんなに大きな役割を果たしてきたか、改めて教えられた気がします。

ある青年の言葉が心に残っています。

「平和は流れてこない
 不断の努力によって掴むものだ」

そうなのですね、平和は決して当然のものではなく、わたしたちが努力して掴み取っていくべきもの。

映画には元従軍慰安婦の方々も出ていたのですが、
今でも夜ひとりでは眠れない人や、イラクのアブグレイブ刑務所での虐待のニュースを観た後は
フラッシュバックして眠れなくなってしまったという人たちがおられるそうです。
ヒロシマ・ナガサキの被爆者や沖縄戦の生き残りの方々同様、
元従軍慰安婦の方々にとっても戦争は生涯終わらないのでしょう。

改憲論者が多数を占めているということはもしかしたら
戦争体験者がどんどんいなくなり想像力もなくなって
「戦争を繰り返してはならない」という想いが希薄になっているのでしょうか。

映画で、ある人が言っていました。
「軍隊や米軍基地は平和をもたらさず、却って軍隊や基地があれば標的にされる」
その通りなのでしょう。

それでも、政治に携わる人たちは、そしてわたしたちは、
「神さまからの贈り物」のような憲法を変え戦争のできる国にすることで、
平和を自ら捨て去ろうとするのでしょうか。


世の中の流れを見るとき、政治にも経済にも疎いわたしが何を言っても無駄だろう、
あんなに滅茶苦茶なことをやったり言ったりしている小泉政権を支持する国民なのだし、
だったら、アジアの国々はもちろん世界中の国々の信用も失って
アメリカと一緒に滅びるしかないのだろう、などと思ったりもしますが、
それでは責任放棄なのですね。

わたしにできる「不断の努力」とは何か、考えつづけようと思います。
一緒に考えていきませんか。

自民党圧勝

★ みなさんへ ★



この記事、選挙の日から数日にわたって書いていて
読みにくいような気がするので
日付の新しいものが上に来るようにしました。

みなさんも、オススメのブログやHPがあったら教えてくださいね。


***



20日の追加分です。

* innernetblog 心網付録 by 星川淳さん

* 「国民に知恵と意識を」 from JCJのHP

***


16日です。追加します。

* 新イラク取材日記 by シバレイさん

* 「ネットでも自民が圧勝」 from 共同通信

***


13日です。追加です。

* 「9 ・11」  by 細井明美さん

***



日付変わって12日です。
マイぷれすで興味深い記事を見つけたので、ご紹介します。

* 「さようならみなさん。さようなら民主主義。」  by あすろん1へるつ さん
  ↑ ブログ、閉鎖されたようです。あすろん1へるつさん、ご苦労さまでした(20日記)

* 「日本人を辞めたい」 by 要さん

こちらはマイぷれすではありませんが

* うたたねの記 by 寝太郎さん

*  不眠に悩むコヨーテ  by 田口ランディさん

***



自民圧勝の次は憲法改悪?

京女大現代社会学部の平川秀幸さんのブログです。
ご覧ください。
   ↓
Mangiare!Cantare!Pensare!

                                      (11日 記)







みかん



ちょうど読み終えた『ゴマメの歯ぎしり』(早乙女勝元著/河出書房新社)に
タイムリーな言葉を見つけたので抜書きします。
(これは平和にこだわって生きてきた早乙女さんの「エッセイふう戦後自分史」です)


***



 ・・・すべての物事は一人から始まるのだと私は痛感した。
一人がいなければゼロで、ゼロでは状況は変わらない。
一人の声が次の声につながり、心と心を結んでいくには、
最初の言い出しっぺが不可欠で、黙っていることは決して中立なんかではないのだ。

 状況が暗い方向に傾斜していく時には、自分では中心部のつもりでいても、
沈黙は容認と同じで、悪いやつらの思うつぼにはまるということ。
「何もしなかったのがあなたの罪だ」の一言は、昔も今も変わりなく、
私たちの人生に問いかけるものがある。

*


早乙女さん:「日本の若い世代に、何かメッセージがありましたら」

アウンサン・スーチーさん:「自分以外の者に目を向けることです。
自国以外の国にもね。精神的に充実した人生を生きるには、
他者の願いをかなえるために、責任を負う勇気も持たねばなりません」

*


「・・・大事なことは、私たちが何もしなければ事態は変わらないということ。
あなたたちが、国内で臆せずに発言していくことですよ。
あなたのようの文章を書く人や学者、教師、学生のみなさんに、
特にその責任が課せられているのです。平和主義は、
平和を愛する人びとがどれだけ増えるかにかかっているのです。
それには若い世代を納得させ感動させられる教育が必要です。
二十一世紀の人類にとって、いま求められているのは、
平和に向けての積極的な一歩ですよ、それぞれの発言ですよ」 

by アリアスさん(コスカリカの元大統領)


*


 何はともあれ、先に自衛隊派兵ありきで、その既成事実をひと押しにしていこう
との意図が、みえみえである。

 戦闘服姿の自衛隊員が、重装備で‘‘戦場’’入りしたからには、
首相のいう「殺されるかもしれないし殺すかもしれない」緊急事態は、
避けては通れぬ道だろう。

 その時、自衛隊は撤退するのかといえば(そうしてもらいたいし、
今すぐでも引き揚げて欲しいが)、私は逆に働くのを恐れている。
「ここでテロに屈するな」とばかりに世論をあおりたて、派兵増強、
装備強化で報復の引き金から理性が欠落しないか、そうなれば
派兵の足カセたる憲法九条を狙いうちにする改憲に拍車がかかり、
徴兵制すら現実的な課題となってくるのではないのか。
一言を付け足そう。私たちが手をこまねいていれば・・・と。

 若い世代から、かつての戦争をなぜ阻止できなかったかとよく聞かれるが、
今まさに戦後が「銃後」に移行しつつあるのだ。異常な空気に慣らされ、
慣れてはいけない。「これはおかしい」「これは違う」と思ったら、
その一言を口に出して、伝えるべきである。
言い出しっぺたる主体的力量が、それぞれに問われているのではないか。

 ・・・すべての紛争を平和的手段で解決すべきは、憲法が政府をはじめ
国民に課した使命であって、私たちがその憲法九条を手放した時が、
「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こる」(憲法前文)
‘‘いつかきた道’’なのだと思う。「往け、戦へ、死ね」を二度と繰り返してはならないのだ。

渡辺えり子さん講演会(3)

先に書いたように、えり子さんが正治さんから戦時中の話を聞いたのは
30歳を越えてから。
正治さんはそれまで40年間過去を封印してきた。

この戦争は聖戦なのだ、アジアの人々の平和のための戦争なのだ、
と教え込まれそれを素直に信じていた山形の少年には
学校卒業後の選択肢はあまりなかった。
満州に行くか、兵隊に志願するか、中島飛行機で働くか・・・。

正治さんは中島飛行機を選んだ。
飛行機のエンジンの歯車をつくる「施盤工」は、
中島飛行機の中でもエリートだったから、仕事に誇りももっていただろう。
しかし、戦争が終わったら、誇りはむしろ恥ずべきこととなった。

そのように価値観が180度変わるのを目にした正治さんは、教師を志す。
「教育とはいったい何なのか探りたかった」のだ。

教頭や校長にはならず、一教師として定年まで子どもたちと向き合った正治さんを
えり子さんは心から尊敬しているという。


講演会には正治さんも来ておられた。
えり子さんに呼ばれて、恥ずかしそうに壇上に上がられた。
当時のことをえり子さんが尋ね、正治さんが思い出しながら訥々と話す。
(記憶がぼやけているところもあったのだろうが、
 突っ込んだ質問も多かったから、答えにくくもあったのだろう)
言葉の足りないところをえり子さんが饒舌に補う。
それを正治さんがにこにこと聴いている。
いい親子だなぁと思った。


インタビューの最後の頃、えり子さんはこんな質問をした。

「中島飛行機は父ちゃんにとってどんな所でしたか」

一瞬ためらってから正治さんは答える。

「青春でした」





8年前、えり子さんは正治さんの戦時中の体験を基に
「光る時間(とき)」という戯曲を書き、演劇集団・円が上演した。

「私たちの世代は直接戦争を知らない。
 でも、親の世代から聞いた話を次の世代に伝える
 架け橋にならなきゃいけないと思うんです。
 日本全体が変な方向に走ろうとしているいま、強くそう思います。」

――朝日新聞に掲載されたえり子さんの言葉より――




上に立つ人々を信じてついていってはいけないのだ、
彼らは弱者のことなど考えていない。
第一、戦争となったとき、戦地に行くのは彼らではない。
そして戦争でいちばんの犠牲者となるのは(苦しむのも)
子どもであり、老人であり、女なのだ。

ただ真面目に一生懸命生きていくだけでは
巧妙に忍び寄ってくる戦争を食い止めることはできない、考えなくては。
(えり子さんも言っていたように真面目な人ほど、いざ戦争となったら
 誰よりも一生懸命戦争に協力・加担することになるのだろう)
周りと一緒に流れていっては、過去を繰り返すことになる。

戦争体験者がまだ生存している間に、
わたしたちは真剣に過去から学ばなくてはならないのではないだろうか、
声を上げなくてはならないのではないだろうか、
自分の言葉を語らなくてはならないのではないだろうか。
それがどんなに無駄に思えたとしても、どんなに空しく響いたとしても。

わたしたちは生きている限り自分を諦める訳にはいかないのだ。

渡辺えり子さん講演会(2)

正治さんは「中島飛行機」の寄宿舎で佐野保隆さんという人と出会い、驚嘆する。
深い教養をもち人格的にも優れていただけでなく、実行力も兼ね備えた人物だったからだ。

ある日佐野さんは正治さんに打ち明ける。
職場の上司から「工研生(工作技術法研究生)」に推薦されたのだが、
自分はこの厳しい社会現実の中で立身出世するようなことはしたくない、
と。

それに対して正治さんは
こういう厳しい社会だからこそ佐野さんのような人が社会の要職に就くべきではないか、
と言った。

それからしばらくして佐野さんは「工研生」となり、その寄宿舎を去っていった。
昭和19年4月のことだった。

数ヵ月経った11月1日、中島飛行機の上空を初めてB29が飛んだ。偵察飛行だった。
24日、初めての空爆、12月3日には2回目の激しい空襲があった。
その日、佐野さんは他の「工研生」とともに壕で生き埋めになり、帰らぬ人となった。
このとき正治さんは大きなショックを受ける。

「これが戦争なのだ」

自分が佐野さんに「工研生」になることを勧めなかったら
佐野さんが死ぬことはなかったのではないか?

激しい悔いが正治さんに付きまとうことになる。


その後、工場付近に大規模な空襲があるらしいという情報が入った。
「3人の防空要員を残して退避するように」という命令が下った。

3人を、つまり殺される3人を決める話し合いが始まった。
なかなか決着がつかない。
居たたまれなくなった正治さんが名乗りをあげ、ふたりの友人がそれに続いた。
3人以外はさっと蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。

正治さんらは一旦寄宿舎に戻り、一張羅に着替えた。
死んだとき恥ずかしくないように、との気持ちからだった。

工場に帰り、屋上に上って‘そのとき’を待つ。
いつ死ぬかと考えると、「臓物が口から飛び出そうだった」という。

ひとりの友人が「死ぬのは一度だけ」と何度もつぶやいている。

正治さんを助けてくれたのは、当時心酔していた高村光太郎の詩だった。
(その一連の詩は、「戦意を鼓舞した」として戦後、発売禁止になる)
詩を暗誦しているうちに心は和らいだ。

その日空爆はなく、正次さんたちは助かった。
3人は「万歳!」と叫んだ。

(それから少しして正治さんは、やはり高村光太郎を尊敬していた友に
 「先生が無事かどうか心配だから見てきてくれ」と頼まれ、
 高村のアトリエを訪ね、言葉を交わす。東京大空襲の3日前のことだった。)



えり子さんは2、3歳の頃から、父の暗誦する高村光太郎の詩を聞いて育った。
家のあちこちに高村の写真が飾られていたから、
「この人がおじいちゃんなのかなぁ」と思いながら。




***続きます***

渡辺えり子さん講演会(1)

法政大学第一中・高等学校で行われた
「渡辺えり子‘‘平和講演会’’
 ―中島飛行機の旋盤工だった父親から教えられたこと―」に参加した。
「武蔵野の空襲と戦争遺跡を記録する会」の戦後60年企画。


「中島飛行機」は大正6年、群馬県に創立され、
昭和13年、北多摩郡武蔵野町西窪に武蔵野製作所が、
昭和16年、隣接地に多摩製作所が増設された。
陸海軍に分かれて生産を行っていたが時局の要請により合併されて武蔵製作所となったという。
当時、そこで働いていた人は5万人。広大な敷地には、病院等の施設も併設されていた。

日本第一の航空発動機工場だった中島飛行機を、米軍が見逃すはずはない。
昭和19年11月から終戦まで十数回の爆撃が行われ、爆弾500発が命中、
200人以上の死者と500人以上の負傷者を出し、工場は廃墟と化したという。
(今はその一部が武蔵野中央公園となっているが、当時の面影は全くない)

渡辺えり子さんの父・正治さんはその中島飛行機で昭和16年から終戦まで勤務しておられた。
(14で山形から上京して寮に入り、
 中島飛行機の青年学校と技能者養成所で学んだ後のことだった)

戦争が終わって10年後に生まれたえり子さんは
昔日本は戦争をしていたが、平和憲法のおかげでもう日本は戦争することはない、
と教えられて育った。戦争と自分を関連づけることはなかった。

ところが30歳で帰省した時、正治さんから初めて中島飛行機でのことを聞く。
えり子さんは大きな衝撃を受ける。

中島飛行機で多くの犠牲者が出た中、正治さんは奇跡的に助かり、
故郷に帰り、結婚し、自分が生まれた、と知ったからだ。

犠牲者には、10代の少年・少女たちも数多く含まれていた。
200人がもしそこで死ななかったら、その何倍もの子どもが生まれたことだろう。
戦争はまだ生まれていない無数のいのちを、また
それに連なるはずの無数のいのちをも奪ってしまったのだ。


それまで遠い存在だった戦争がえり子さんの「人生に直結」した瞬間だった。



***続きます***

「ヒロシマ」というとき

ヒロシマというとき

                                      栗原貞子

〈ヒロシマ〉というとき
〈ああ ヒロシマ〉と
やさしくこたえてくれるだろうか
〈ヒロシマ〉といえば〈パール・ハーバー〉
〈ヒロシマ〉といえば〈南京虐殺〉
〈ヒロシマ〉といえば女や子供を
壕のなかにとじこめ
ガソリンをかけて焼いたマニラの火刑
〈ヒロシマ〉といえば
血と炎のこだまが返って来るのだ

〈ヒロシマ〉といえば
〈ああ ヒロシマ〉とやさしくは
返ってこない
アジアの国々の死者たちや無告の民が
いっせいに犯されたものの怒りを
噴き出すのだ
〈ヒロシマ〉といえば
〈ああ ヒロシマ〉と
やさしくかえってくるためには
捨てた筈の武器を ほんとうに
捨てねばならない
異国の基地を撤去せねばならない
その日までヒロシマは
残酷と不信のにがい都市だ
私たちは潜在する放射能に
灼かれるパリアだ

〈ヒロシマ〉といえば
〈ああヒロシマ〉と
やさしいこたえが
かえって来るためには
わたしたちは
わたしたちの汚れた手を
きよめねばならない




最近読んだ『ヒロシマ・ナガサキの思い、未来へ』(いのちのことば社編)の中で
ある被爆者の方が引用しておられた詩です。

ヒロシマがほんとうに「残酷と不信のにがい都市」でなくなる日が来るのでしょうか。
被爆者を含めた戦争体験者の方々は毎年どんどん亡くなっていき、
あと3、40年もすれば「戦争を知らない」世代だけになってしまいます。
(もしそれまでに日本が直接的に戦争に参加していなかったなら)
わたしたちはいったいどうすれば戦争体験者の方々の想いを受け継ぎ
自分たちのものとすることができるのでしょうか。
もしそれに成功しなければ、「歴史は繰り返す」のではないでしょうか。

先日「ストーンウォーク・ヒロシマ」のニュースを観ました。
「世界中で、戦争に苦しめられた人々を悼むための碑石を
 特別製の台車に乗せて引きながら
 長崎から広島まで5県をまたがって歩く」という企画。
9.11で旦那さんを亡くした人や日本の被爆者の方々も歩いておられました。

周囲の人に「ただ歩くだけで何が変わるの?」と言われながら
その運動に参加したけれど、参加することで確かに何かが生まれた、
ひとりでは石を引くのは無理でも、みんなが力を合わせればできる!
そんな意味のことを言っている人もおられました。

手をつなげば・・・そう。
でも、わたしにはそのつなぎ方がまだわからないのです。