July 2008

百日紅(ピンク)

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遊歩道で(2)

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遊歩道で(1)

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「花」

アーサー・ビナードさんの『日本の名詩、英語でおどる』(みすず書房)から
石垣りんさんの「花」をビナードさんの英訳つきで。





                 石垣りん


夜ふけ、ふと眼をさました。

私の部屋の片隅で
大輪の菊たちが起きている
明日にはもう衰えを見せる
この満開の美しさから出発しなければならない
遠い旅立ちを前にして
どうしても眠るわけには行かない花たちが
みんなで支度をしているのだ。

ひそかなそのにぎわいに。


本


Flowers

                 translated by Arthur Binard


In the middle of the night, I awake.

There in the corner of my room,
the chrysanthemums stand alert.
Tomorrow, their big blossoms will show
the first signs of decline-the beauty
of full bloom is their starting point-
and with such a long journey ahead,
they have no time for asleep,
absorbed in making preparations.

Their stillness is alive.

ピーちゃんのこと

Kさんの話。

昔、インコを飼っていた時があったの。
オスは言葉を覚えるというから、言葉をいろいろ教えたわ。
帰ってきてかごから出してあげるでしょ、(あ、その時は勤めていたのよ)
そうすると、胸のところに飛んできてずっと止まっているの。
だから言ってほしいなあと思うことをいろいろとね。「ご苦労さま」とか「ありがとう」とか。
そう、覚えるまで一つの言葉を繰り返し教えるの。

最初は、「ねえ、ねえ」って飛んできた。きっと私がそう言っていたのね。
テレビを観てると、昔話をしゃべるインコがいるじゃない?
友だちはそれを観て「桃太郎」を教えたんだって。
途中までは覚えたんだけど、最後まで教えようとしたら突然怒り出して・・
キャパシティー・オーヴァーだったのね。
簡単な言葉がいいみたいよ。
そう、そう、ピーちゃん、よくニュースの真似をしていた、鳥かご、テレビのそばに置いていたから。
みんなに受けていたよ。

10年くらい飼っていたけど、ああ、インコって、こんなに可愛いんだと思ったわ。

それがね、猫がやってきて、かごから出してあげられなくなっちゃったの。
かごをそばに置いておくと猫がじーっと見るから、だんだん上の方に置くようになっちゃって。

ある時ね、インコが水をやたらに飲んでいるのに気がついたの、
で、その水が胸のあたりからポタポタたれているのよ。
見たら、胸に穴があいているの。慌ててお医者さんに連れて行ったら、ストレスだって。
寂しかったのね。最初はほかに何も飼っていなかったから、ピーちゃんだけ可愛がっていたのに。
猫も瀕死の状態で家にきたから仕方なかったんだけどね。


その猫は、Kさんが家にいると、Kさんのそばを片時も離れないという。

「私が座ると、すぐ膝の上に乗ってくるから、あまり座っていられないのよ」


Kさんから話を聴いていたら突然外が暗くなり、雷が鳴りはじめた。

「うちの犬、大丈夫かしら。雷、苦手なのよ。」

その犬については面白い話がどっさりあるらしい。
機会があったら、いつかまた。


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大好きな花

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「×内田樹」より

再びランディさんの『生きる意味を教えてください』から心に響いた言葉を。

田口 カンボジアに行っていたとき、内紛で生き残った人たちにクメールルージュをどう思うかと質問したんです。
キリングフィールドでは同胞が二百万人もクメールルージュに虐殺されたわけですから、
私はごっつい批判が出てくるかと思ってました。
でも、カンボジアの一般の人たちはあまり批判なんかしないんです。
クメールルージュは自分たちの同胞だから、自分たちの国の人が自分たちを
こんなふうにしたという二重の苦しみがあって、批判というところに全然いきつけない。
悲しいことだ。これからどうやって子供たちにこれを伝えていいのかわからない、と自分たちを責めて泣いたりするんです。
ものすごい暴力を受けると人間は自分を責めるのだなと思う。自分の存在自体を疑うんだな・・と。

内田 ベトナムもそうですよね。人がたくさん死んだ。ベトナムの人が言っていましたけれども、
アメリカのかつての軍人が最近になってベトナムに来るようになったそうです。
そして、自分たちが破壊した村や、焼いた水田にまた稲が育っているのを見て、泣き出すそうです。
それに対してベトナムの人はどんな反応をするかというと、「すんだことだからもういいのだよ」と受け入れる。
アメリカ許すまじということにはならない。あまりに理不尽な暴力については、
誰か責任者を特定してそれに憎しみを向けるというような条理のとおったことはむしろできなくなるのです。



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涼を求めて

仕事帰りに霊園に回る。
暑い! でも木陰は涼しく、ベンチで休んでいるおじさま方がたくさん。
「昼休みはここ」と決めている人もいそうな感じ。

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布川事件、昨日、最高裁に特別抗告されてしまった(NHKニュースはこちら
マスコミであれほど取り上げられたのに、検察側は何を根拠に?
少なくとも、懸命に守ろうとしているのは人の生命でも人権でもなく、
‘真実’を求めているわけでもないのは明らかだろう。


そういえば、先日高遠菜穂子さんのお話を聴く機会があった。
イラクの報告の後で、高遠さんはこんな意味のことを言っておられた。

私はまだあの事件のことを詳しく話したくないし、立ち直っていないんです、
イラクで捕えられたとき、銃を持った人たちと話してわかってもらうことはできました、
でも日本に帰ってきたら・・銃を持たない人たちに理解してもらうことはできなかった。
励ましのお便りもたくさんいただいたけれど、脅迫状や嫌がらせの手紙はそれ以上でした、
でも家族はそれを私には見せずにいてくれたんです(手紙を全部家族が選別していたと思うと・・)
・・あの家族でなければ、私はあのままずっと引きこもっていたでしょう。


人質事件のことは、なんだったのかわたしにもわからない。
どうしてあれほど人質になった三人をバッシングしたのか? 憎しみや殺意を抱いたのか。
三人が解放されて帰ってきたとき、なぜ温かく迎えられなかったのか。


あのとき、クニは(‘国益’にならない)国民を守ってくれないどころか
平気で見殺しにすることさえあるということがわかった。
(三人が生きて帰ってこれたのは、クニの外交努力ゆえではなかっただろう)
そしてあのとき、わたしは日本人の怖さや群集心理の恐ろしさみたいなものを感じてしまった。
(そうやって人は戦争に巻き込まれてゆくのだ、自分の「正しさ」を疑いもせず)

もちろんそうでない人たちがたくさんいることもわかってはいるが、
あのときの想いや未来への不安がきれいに消え去ることはないだろう。

戦後わたしたちが享受してきた「平和」はとても脆く壊れやすいものなのだ。「平和の国・日本」というイメージもまた。
いま踏ん張って、ひとりひとりが必死で守らなければ・・。


★ 高遠菜穂子さんのブログはこちらです・・→「イラク・ホープ・ダイアリー」

花の光

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表現すること

ランディさんのブログに紹介されていた『生きる意味を教えてください』(バジリコ株式会社)を読みはじめた。
サブタイトルに「命をめぐる対話」とあるとおり、
「命」に関してランディさんが様々な著名人と対話したものを集めたもの。

第一話は藤原新也さんとの対話。
少し引用する。


田口 『なにも願わない手を合わせる』の「顔施」という章のところでそのことを書いていらっしゃいますよね。
とてもおもしろく読みました。同じお地蔵さんでも、そのとき見えたものと翌日見えたものは違ってしまう。
だから世界に触れるのは、自分のなかの求める心と、向こうからやってくる何かが呼応した瞬間なんだと。
私はこれを読んでいて、写真は全部そうなんじゃないかと思いました。

藤原 旅をしていて、自分が写真の目になって、見よう見ようという光を発している。
するとある街角が、パッと妙な光り方をする。ただ飯を食べにそこを通ったときはなんの変化もない。
意識というのはすごい。なにかを求めようとしたときに、パッと見えてくる。

?略?

藤原 ・・見ようとしたときには見えない。だけど表現しようとするときには見えてくることがある。

田口 私にとって小説というのはやっぱり表現なんですよね。
なにかを書きたいと思っているときにだけ、ときどき見えるときがある。
ただ見たい、その状態になりたいと無目的に思っても、まったくなにもこない。



ああ、ちょっとだけわかるなぁ、わたしにも、と思って読んだ。

写真を撮りたいと思いながら毎日出会う何の変哲もない風景を見ていると
何かにスポットライトが当たる気がすることがある。花や風景が呼びかけてくることがある。
そしてごく稀に自然と自分が直結していると感じることがある。

他人事のような言い方になってしまうが、わたしがこんなに写真を撮っているのは、きっと何かを求めているのだろう。


ネットに文章があまり書けなくなってから、写真を撮ることに助けられてきた、と思っていた。
だが実はわたしは「書けなくなった」のではなく、「書きたい」という気持ちが薄くなっていたのかも。
ランディさんが言われるように「書きたい」と思わなければ、何も見えてはこないのだろう。
もちろんわたしは物書きでも誰かに頼まれているわけでもないのだから、
無理やり何かを書こうとすることもないんだけど、
話すことで自分を上手く表現できないわたしには、他の何かが必要なのかもしれない。


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憧れの人

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鳥飼玖美子さん&アーサー・ビナードさん

公開講座「通訳者の言葉 VS. 翻訳者の言葉」にて



言うまでもないと思うけど、「憧れの人」は鳥飼さんのこと(実はわたし、英米文学科卒なのです)。
でもアーサー・ビナードさんも愉快な人で、鳥飼さんとのテンポのいい対談はとても面白かった。


公開講座とは関係ないけど、最近、ちょっと必要があって、とある大学の講習会に出席しました。
それで改めて思ったのだけど、わたしは教えられることも学校という空間もすごく好きみたい。

変わってる?

『壁のうた』より

獄中詩集『壁のうた』(高文研)(←クリック)より桜井昌司さんの詩を三つ。


夏が好き  
     
            (90.9)

汗まみれのシャツは
そのまま乾かして
また明日も着ると言ったらば
あなたは驚いていた
一日にコップ三杯の冷たい麦茶
ごく暑い日だけ使う工場の扇風機
あとは手動の団扇
これだけが夏の涼の刑務所は
そんなものです

どんなに汗まみれになっても
夏が好きと言ったらば
あなたは呆れていたが
それは
もう四十歳も過ぎたのですから
暑くてウンザリする日もあります
眠れない夜もあります
食事の入らない時もあります
でも、ボクは夏が好きです
丸裸になれる夏が好きです

もう無実の罪をきせられて二十三年です
こころを張りつめて
気を引きしめて
自分の闘いと向かいあってきました
このうえ、寒さと闘わなければならない冬は
余りにも疲れます
その点、夏はいいです
丸裸になったらば
身の潔白も判ってもらえるような
そんな気もするのです

何も隠すものがないボクには
無実のボクには
夏こそがふさわしいのです
だから、ボクは夏が好きです


太陽


強さと優しさに   

            (92.3)

苦しみに耐えた人が
もし強くなれるのならば
私の強さは無類だろう
自由を縛られた刑務所の中で
20代を失い
30代を失って
今、45歳
ひたすらに耐えてきた25年
苦しみに耐えた人が強くなれるのならば
私の強さは無類だ

悲しみに耐えた人が
もし優しくなれるのならば
私の優しさは底なしだろう
人間の心をも断ち切る刑務所の中で
母も失い
今、父も失って
何もできないままに
ひたすらに耐え続ける歳月
悲しみに耐えた人が優しくなれるのならば
私の優しさは底なしだ

裁判のたびに誤判が重ねられて
それでも本人はやめるわけにはいかない
負けるわけには行かないが
私たちの真実を背負って
川の流れに砂をまくように
社会で支援してくださる人々がいる

もし私に強さと優しさがあるとすれば
それは耐え忍んだ月日によるものではない
人間の人間として強さが
人間の人間として優しさが
どこにあるかを教えてくださる人によるのだ

きっと
私に強さと優しさを与えてくれたものは
人間の祈りと願いの力だ


流れ星


水色のしあわせ     

            (93.11)

水の色は水色
誰が決めたか知らないが
そういうことになっているけれども
本当は水に色はない
水の面に映った色が
水の色になるのだ

幸せというのは
定義や実体がないものなのに
まるで形があるもののように
求められたり
語られたりする

青空を映して
澄んだ水だけが水色になるように
幸せは
人の生き方を映すもので
澄んだ生き方をする人のみが
水色の幸せを求め得るのだ


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青空

何ヶ月ぶりだろう、撮りたい空に会った

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その下のオニユリ

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ミソハギ+母娘

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子育ての結果

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友だちが言う。

この間ね、あるお母さんが言っていたんだけど
子育てがうまくいったかは、歳とって子どもが親をどう介護してくれるかでわかるんだって。

そうなんだ・・。

息子さんたちに「ふたりでお母さんの面倒見てね」と事あるごとに言っているという友だちは、
その話にいたく共感した様子。
わたしの目標は、できるだけ夫と一緒に元気でいて子どもの世話にはならないこと、
万が一ひとりになってもなんとか生き抜くこと(自信はないけど)
だけど、人間、何があるかわからない。気をつけていてもどうにもならないこともあるだろう。その時は・・。


末っ子はまだ未知数だが、成人した長男と次男を見て、
わたしたちの子育てもまあまあ上手くいったかも、わたしが母にしては上出来じゃないの?と思っていたけれど
どうも、そう結論づけるのは早計すぎるようだ。

子育ての結果がわかるのは老後だなんて、ずいぶん気の長い話だ。
でも、成人になるまで育てたら、もう親のすることはほとんど終わり。
あとは子どもたちに委ねるしかない。そして老後に子育ての収穫をするのだ。
結果が悪くてもそれは自分が蒔いた種だから甘んじて受けるしかない。

あああ、厳しいのね、人生は。

でも、待てよ、子育ては終わっても、まだできることがあるかも。
もし子どもたちが結婚できたら、奥さんを我が子のように可愛がってあげよう。
子どもを奥さんにとられると考えるより、家族が増えると考える方がずっと楽しいし老後も豊かになるだろう。
もし息子たちのところに来てくれる人がいたら、の話だけど。
(娘が3人できたら、3人を分け隔てなく愛するという課題ができるわけだ、
 修業は生きる限り続くのね・・)

「布川事件」のこと

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東京高裁が布川事件の再審を認めたそうです。
毎日新聞の記事をご覧ください・・→「布川事件:東京高裁が再審開始支持 検察の即時抗告棄却」

検察側が抗告を断念し、再審が行われ、晴れて桜井さん・杉山さんの無実が認められますように。


★ 布川事件のHPはお友だちのkeikoさんのサイトにリンクされています・・→「より自分らしい人生を」

★ ご主人の桜井さんのブログはこちらです・・→「桜井昌司『獄外記』」


keikoさんとはネットを通じて知り合ったのですが、
HPで紹介されている桜井さんの詩にとても心打たれました。
そして、ああ、これじゃkeikoさんが惚れるのも無理ないやと思ったのです(笑)
いつかみなさんにもご紹介しますね。

きれいごと?

あまりにも暑いのでスキンを換えてみました。
魔女はちょっと・・だけど、少し涼しい気持ちになるでしょ?


この間図書館のヤングアダルトのコーナーで田口ランディさんの
『ひかりのメリーゴーラウンド』(理論社)という本を見つけ借りて読んだ。
いい本だった。ちょっとスピリチュアルで、なんだかばななさんの本を読んでいるみたいだった。
(これ、ほんとにランディさんの本だよね?って確認したくらい 笑)

読み終わってから、久?しぶりにランディさんのブログに行ってみた。
当たり前だけど、ランディさんはやっぱりランディさんで、ほっとした。
でもお父さま、亡くなられたのね・・ほんとにご苦労さまでした。

一番最近書かれた「楽しいことがいっぱい」という記事を読んで・・
わたしは「宗教家」ではないけれど、わたしの書くことは「きれいごと」かもしれないと思った。
でも、わたしは書かない(書けない)ことは多いけど、思っていないことは書かない。嘘は書いていないつもりだ。


クソ真面目で面白みがなくて協調性欠如で記憶力が乏しく
興味のあることしか目がいかないから異常に「引き出し」が少なくて
一般常識に欠けていて、何考えているかわからなくて
そのくせはっきりと「自分」があって・・。
だから(自分で言うのも変だけど)みんなが友だちになりたいと思うような楽しい人間ではない。

だけど、それがわたしなのだから仕方ない。
それに、欠点は長所の裏返しというから、↑に書いたことのいくつかは長所につながっているかも?

扉はいつも開いていたいけど、わたしは自分のポリシーを貫こう、と改めて思った。
こんなわたしにしか書けないこともきっとあるはずだから。

そして「a step further」・・もっと奥へ。


ん?・・ランディさんの記事と何の関係もない独り言になっちゃいました。ごめんなさい。

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『いのちの贈りもの』

大塚敦子さんの『いのちの贈りもの 犬、猫、小鳥、そして夫へ』(岩波書店)を読んだ。

これは29歳の若さでエイズで逝ったジェニーのお話。
大塚さんは米国でエイズ患者の取材をしていた時ジェニーに出会った。
ジェニーはアメリカ史の教師を目指して勉強中の大学生だった。
その時はHIVに感染しているとは信じられないほど健康に見えたジェニーだが
1年半後エイズを発症してからは様々な感染症のために入退院を繰り返し、辛く苦しい闘病生活を余儀なくされた。

その闘病生活の中でジェニーを支えたのは何だったのだろう? 
教師になるという夢が断たれた後、ジェニーは手話を学びはじめ、エイズにかかっていても可能な電話交換手の仕事も得た。
ジェニーが切望していたのは、誰かのために役に立つ人間でありたいということだったという。
少し引用する。

誰かの役に立つ人間でありたい。彼女を突き動かしていたあの強烈なモティベーションは、
自分の人生に意味を見出すためだけでなく、かつて地位親に拒絶された記憶を乗り越え、
自分を肯定するためにも必要だったのかもしれない。
HIVに感染し、自分の人生に残された時間が限られていることを知ったときから、
彼女はその作業を急がなければならなかった。
「子ども時代のつらい記憶を消したいとは思わない。
過去を振り返るたびに、今の自分がどれほど強くなったか、誇りに思うからよ」
長い険しい道程を経てここまで来た。そして私はこれからも生きていく
――ジェニーの目はあくまでも未来だけに向けられていた。


どんなに辛くても最期まで希望を捨てず、「なにがなんでも生き残る!」と闘志に溢れ、
一度は仕事復帰も果たしたジェニーだったが、友人の結婚式で突然倒れ、
1週間の昏睡状態の後に亡くなった。
大塚さんは帰国している最中でジェニーの死に目には会えなかったが、
お葬式の後で、ジェニーの主治医だったドクター・ヤングと話す機会を得た。
ドクター・ヤングはこう言っていたという。

「私はジェニーが最後に昏睡状態になったことは、
彼女にとって必要なプロセスだったのだと思っています。
ジェニーはなんとしても生きたかった。死を受容することは、
とてもむずかしかったにちがいありません。
だから昏睡状態は彼女が生への執着を断ち切り、
つぎの段階に移行するために必要な時間だったのではないでしょうか。」


先日読んだエルマおばあさんの本の中で、大塚さんは
ジェニーとの最後の日々について悔やんでいると書かれていた。
その一番の原因はジェニーが亡くなる時そばにいてあげられなかったからだろうが、
エルマおばあさんが死を受容していたのに対して、ジェニーは受容できていなかったことも大きいと思う。
だがそれは無理もないだろう。
仕事をしながら子どもを産み、育て、退職してからは好きなことをしながら生きたエルマおばあさんと
何もかもこれからというときにエイズになってしまったジェニーでは訳が違う。
癌の場合だったらホスピスのような施設もあるから、痛みをとってもらいながら
徐々に死を受容することは可能かもしれない。だがエイズではどうだろう?
すさまじい痛みのある、先の読めないエイズでは?


最近わたしはこんな疑問をもっている。
死を受容しながら希望を持ちつづけることはできるのだろうか?
あと数か月のいのちしかないと宣告された時、人は何に希望を置くことができるのだろうか?
万が一独居老人になってしまった時、その人を生かすものは何だろうか。

やっぱり生と死がわたしの生涯のテーマかも。

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昨日のランチ

前から入りたいと思っていたお店に昨日友だちと。

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遊歩道沿いの素敵なお店


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予約していたから座れたのですが、お昼時だったせいか満員でした。
写真には撮りませんでしたが、窓の外にもテーブルセットがあり、
ワンちゃんと一緒にランチしている人もいました。


食べたのは

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和食ランチ

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店内

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外に見える建物は教会です。


ランチの後はコーヒーとケーキ。これも写真に撮ればよかった。
わたしはゴマシフォンケーキ、友だちはグレープフルーツのタルトを頼みました。
美味しかった?。

子どもたちが大きくなり、子どもがらみで友だちと会うことはほとんどなくなったので、
これからはほんとに付き合いたい人だけが残るかもしれません。
何人残るだろう・・。

なんてつい後ろ向きなことを考えちゃうけど、新しい場所を見つければ
きっと新しい友だちもできるでしょう。
要は、これからどう生きようとするか、なのかも。


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遊歩道に咲いていた花

嬉しかったこと

何年か前に友だちからもらったビワがとても美味しかったので階段の下に種を埋めておいた。
その種から育った木は二階の家に届きそうなぐらい大きくなった。
昨年末その木に赤いシールが貼られ、なんだろう?と思っていたら、
少しして「この木を植えた人は団地事務所に来るように、そうしないと伐採します」と、張り紙がされた。
慌てて団地事務所に行って、ちゃんと管理します、二階の方にも実が生ったら分けますねと言っているんです、
と話したら、どこかに連絡してくれ、それだったら切らないでおきましょう、と言ってくれた。

そのビワの木に今年初めて実が生った。

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北側に植えたからか、ちょっと酸っぱかったが美味しかった。
家で5つほど食べてから二階のお宅に少し届けた。
その時には木にまだいくつか実が残っていたはずなのに数日して見上げると何もなく
種だけひとつ落ちていた。その2、3日前煩く鳴いていたカラスの仕業だろうか。
来年はもっとたくさんの実が生るだろう。楽しみにしていよう。

矮性かすみ草?



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昨年初めて見た矮性かすみ草

が咲いているお家のそばにある花屋さん

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umekoさん、覚えてる?

何もない人はいない

一昨年知り合った人の愚痴を聴く。
彼女は高校生になってから「変わってしまった」お嬢さんのことが気がかりでならない。
会うといつもその話になる。

聴いていて、それは心配だろうと同情はするけれど、
友だち想いの優しいお嬢さんは、お母さんの気持ちを察しはしても
期待にこたえられず苦しんでいるのではないかと思ってしまう。
今お嬢さんは親から離れ自分の足で立とうとしているのではないかしら、と。

「もしかして、今までは手のかからない子だったのでしょう?」
と言ってみる。

「そうなの、中学までは何の問題もなかったのに・・」

だからなのね。

「うちは長男が手のかかる子で・・略・・だから最初から
 子どもは親の思い通りにならないと思いながら育てたのよ」

彼女は目を丸くして聴いている。そして
「何も言わないからずっと順調なんだと思った」と・・。

そんなわけないじゃん。
どの子だって、親に心配をかける時期はあるものだ。
小さい頃になかったら、大きくなってから。稀に何もない子もいるかもしれないけど。

彼女は言う。

「私がこんなにベラベラしゃべるのが良くないと主人は言うのよ」

何かあった時に誰彼かまわず話してしまう人と
これと思う人たちにだけ相談する人と
誰にも話さないでなんとかする人と。
それは善し悪しの問題ではなく、性格なんだと思う。

彼女の場合、話さないでいたらきっと自分が参ってしまうだろう。
だから適当にガス抜きをしながら切り抜けてね。

大丈夫、あなたのお嬢さんは心の温かいガッツのある子だから。

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スモークツリー

フワフワがかわいいスモークツリー(別名:霞の木;煙の木)

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6月15日に撮ったもの

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これは昨日撮影

色が濃くなっている


あらら・・

一昨日だったか久しぶりにデンパンで作っているページを見ようと思ったら
自分のページではなく、URLが見つかりませんというお知らせのページに飛んだ。
デンパンのトップに行ってみたら、障害が発生し、復旧の見通しは立っていないとのこと。
つまり、4年前からこつこつ作っていたファイルが全部なくなってしまったということらしい。
(「明日へ」の保存版「光のほうへ」と一行詩の保存版「一行のうた」等のことです)

ガーン・・・。

でも、それほどショックではない。大部分は印刷してとってあるから。
デンパンはただ自分のためのページだったのだし
あそこが復旧しなければ、これからは記事を移動する作業が省ける。

デンパンはブログのようにコメントは残せないから、つまり他の人と交流する場ではないから、
あそこを利用している人はほとんど、自分のPCにファイルは保存しているんだと思う。
それだから大丈夫というんでもないけど。

だけど、ネットってこういうことがあるのよね。
楽天がなくなればわたしのHPはなくなるし、ドリコムがなくなればこのブログもなくなる。
写真を保存しているFlickrだって例外ではないだろう。
やっぱり、とっておきたいものは印刷するなりCDRに保存するなりした方が安全なのかな。
でも考えてみたら、どうしてもなくしたくないものって、あまりないような。
その時々で精いっぱい書いてはきたけれど、それはもう過去のわたしなのだから。
ただ、そんなことがあるとして、わたしのサイトが全部消えてしまったとき、
あるいは、いつかわたしの姿がネットから消えてしまったとき、
寂しいとちょっとだけ思ってくれる人が何人かいたら嬉しい。


ネットはそんなにもろいものなのだ。ネットのつながりもまたしかり。
だけど、だから意味がないということではない。だから今が尊いということ。

でもこれからネットにアップする時には「そんなこともある」と頭の片隅で思っていることにしよう。


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そらだよ

リクエストがあったので。

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そらは何にでも興味津々。
何か食べたり飲んだりしているとすぐ飛んできます。
パソコンを開けばあちらこちらかじったりモニターの上に乗ったり。

可愛いんだけど、パソコンの上でフンをするのと
首をかじるのと顔に止まろうとするのだけはやめてね。

紫陽花

大好きな紫陽花の写真です。見てね。

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これは渦紫陽花(お多福紫陽花)というんだそうです。

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雨の日の渦紫陽花



今日から7月。紫陽花とももうすぐお別れですね。