October 2007

希望って?(2)

「希望って?」のつづきです。

途中からだったが、先日TVで「余命一ヶ月の花嫁」という番組(再放送?)を観た。
24歳の長島千恵さんは乳癌で闘病中。余命一ヶ月と宣告される(本人には知らされない)

「ウエディングドレスを着たい」という千恵さんの願いを叶えるため
友人たちは、千恵さんと恋人の太郎さんの模擬結婚式を企画する。
ずっと立っているのさえ辛い状態だったが、憧れのウエディングを着、
式に臨んだ千恵さんは、満面の笑みを浮かべ、輝いていた。

しかし、「このまま良くなってくれたら」「奇跡が起きてくれたら」という
父親・貞士さんや太郎さんや友人たちの願いもむなしく、千恵さんの病状はどんどん悪化していく。
ずっと付き添って看護していた貞士さんは、
やはり癌で逝った奥さんが闘病していたときの姿を娘に重ね、二重に辛かっただろう。

どんなに痛みが酷くても、千恵さんはモルヒネで痛みを和らげるより痛みをこらえることを選んだ。
モルヒネを投与されてからお母さんの意識がなくなりそのまま会話もできず逝ってしまったのをよく覚えていたからだ。

ほんの少し痛みが軽減したとき千恵さんは友だち数名と焼肉を食べに出かけた。
大好きなお肉はそれほど食べられなくても、そうやって友だちと談笑することが
千恵さんには何より嬉しかった。

だが、それが千恵さんの最期の外出になった。

面と向かって余命一ヶ月と宣告されなくても、本人には(自分の死期が)わかるものです、
と鎌田先生は言われていた。
きっと千恵さんにもわかっていたのだろう。
だが、千恵さんは「頑張る」と言いつづけ、最期まで闘って逝った。

千恵さんが番組のスタッフに言った言葉が印象的だった。

「こんな都会の真ん中でも、風は気持ち良いんだよ。
 知ってる?」

これで良くなったらすごい人になれると思うと千恵さんは伯母に語っていた。
24年という短い生涯だったが、千恵さんは愛する人たちに囲まれ、
小さなことを喜び、みんなに感謝して、最後の最後まで生きたのだと思う。

「治る」という希望がなくなってしまってからも生き抜いた千恵さんから
わたしは勇気をもらった気がする。


番組の最後に、太郎さんが貞士さんを訪ね、ともに語り合う姿が映し出されていた。
先に逝った人も辛かっただろうが、残された人はある意味もっと辛いのだ。
最愛の人たちを亡くした貞士さんが強く生きていってくれますように。
番組を観ながら願っていた。

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団地の銀杏も少しずつ色づいてきました

やっと会えたね

木曜日、嬉しいことがあった。
4年ほど前にとある掲示板で知り合いになった人と初めて会うことができたのだ。

2ヶ月ほど前から待っていた日。あまり緊張はしていなかった。

この4年間ネットでも様々なことがあったが、要所要所で彼女は現われて声をかけてくれた。
突っ走って壁にぶつかって落ち込み、何度彼女に助けられただろう。
彼女にはいろんなわたしを見せていたし、彼女もいろいろな面を見せてくれた。
詳細は書けないけれど、あるとき彼女とは不思議なつながりがあることを知った。
だからわたしだけでなく彼女も思っていただろう、会うべくして会ったと。

そんな彼女だったから、お互いに自然体で会えるという確信があった。

待ち合わせした場所に向かって地下鉄の階段を上がってゆくと、
こちらの方に向いている人と目があった。

「あつこさん?」

気がつくと、すぐわたしと気づいてくれたその人と、握手していた。
それからの2時間半はあっという間に過ぎていった。

初めて会ったのに、古くからの親友のように話せる、
なんて不思議なんだろう。

去年からネットで意気消沈することがいくつかあって、
言葉だけのつながりって所詮・・と思ったりしていたが、彼女と会うことで
言葉だけのつながりでも、こんな出会いもあるのだと再確認することができた。


会いたいと言ってくれてありがとう。会ってくれてありがとう。これからも宜しくね。

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お堀にいたのはクロサギ(←クリック)?

希望って?

もう2週間前のことになるが、鎌田實さんの講演会に出席した。テーマは「いのちを語る」。
(鎌田實さんは著書『がんばらない』『あきらめない』等で有名。公式HPによると、現在の肩書きは
 「諏訪中央病院名誉院長、チェルノブイリ連帯基金理事長、日本・イラク・メディカルネット代表、
 東京医科歯科大学臨床教授」とのこと)

鎌田さんは、とても魅力的な方で、話も、1時間半が短く感じるくらい上手だった。
盛り沢山の話の中で特に印象的だったのは、癌末期の患者さんふたりの話だった。

ひとりは東京の病院で、あと1ヶ月のいのちと宣告され、
病院でできることはもう何もないと放り出された女性。
旦那さんは、好きな山の見えるところで最期を迎えさせてあげたいと
諏訪中央病院に奥さんを転院させた。が、病状はどんどん進んでゆく。
絶望的な気分になっていたとき、鎌田さんは山歩きが好きだったそのご夫婦に提案をする。
外に出られるくらい病状が落ち着いたら、病院の庭にテントを張り
旦那さんにご飯をつくってもらって食べるというのはどうでしょう。
その提案を聞いて、ご夫婦はとても喜び、旦那さんはすぐに東京にテントをとりに帰った。
結局その提案は実現せずに終わるのだが、奥さんが亡くなった後で、
最期にそういう希望をもてたことを、旦那さんは鎌田さんに心から感謝したのだという。

もうひとりの女性はフランス料理のレストランをやっていた人だったが
鎌田さんが「あなたの料理が食べたかったなぁ」と言うと
「私はもう一度料理が作りたいんです」と話したそうだ。
そこで鎌田さんは病院の調理場で作って食べさせてくれませんか
と提案したという。女性は病院で料理が作れるとは思わなかったととても喜び
フルコースを3回に分けて作ることにしたという。
3回めのメインディッシュを女性は作ることができず亡くなってしまう。
だが、どんな料理を作ろうかと考えることが、
つまり、自分にも人のためにまだできることがあるということが
彼女を最期まで支えたのだという。

鎌田さんは言う、(病状等について)本当の話をしながら希望をもってもらう
・・それが医者の腕の見せ所なのだと。
そして、いつか逝く時に自分を納得させられるものは金とか物ではなく
誰かの役に立っている、誰かのためになっているということなのではないか、と。

鎌田さんのお話が終わってから『病院で死ぬということ』の著者・山崎章郎さんとの対談があったが、その中で山崎さんは、上記したことを受けて鎌田さんに問われた。

「先生、希望って、何なんでしょうね・・納得なんでしょうか。」

山崎さんは桜町病院ホスピスで働き「ケアタウン小平」を立ち上げた経験を通して語る。

「希望って、絶望的な状況にあっても、そばにいる人が最期まで自分につきあってくれる、
 一緒に祈りながら生きようとする人がいるという確信なのではないでしょうか」



そうなのだろうか。

ほんとうに、希望って、何なのだろう。
最期まで続く希望なんてあるのだろうか。
最期まで人を支えるものがあるとしたら、それは何なのだろう。


* 興味のある方は、山崎章郎さんの「在宅医を生きる」もご覧ください。


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「Read me」

谷川俊太郎さんの『歌の本』からもうひとつ。


Read Me

                  谷川俊太郎

Read Me
私を読んで
一冊の本のように
でも物語だけじゃなく
吐息もほほえみも

Read Me
私を読んで
誰よりも先にあなた
でも言葉だけじゃなく
背中も魂も

Read Me
私を読んで
あなたの心開いて
メモリーに入れてほしい
今すぐいつまでも

探してほしい
あなたと私だけの
パスワード

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なんて素敵な恋文!

秋明菊

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★ 書きたいことはあるのですが、今週はちょっと忙しいので写真だけの更新が続くかも。
   忙しさは‘ワクワク’のため?♪(笑)・・意味不明ですみません。

街角で

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近くに「ここだけヨーロッパ?」と思うような住宅地があるのだけど
どのお宅のガーデニングも凝っています。
時節柄、あちこちの塀の上や窓辺にユーモラスなハローウィンの飾り。
クリスマスの時期も必見です。

言葉を宿す

先日、児童文学者の松居直さんのお話を聴く機会があった。
ルカの福音書10章に登場する姉妹マルタとマリアの話から
聴くことの大切さを松居さんは語られた。

松居さんの話の中で非常に印象的な言葉があった。
松居さんは、以前大学で教えておられたことがあるのだが
同じ話をしているのに、どうして学生に理解の差が出るのだろう
と、とても不思議だったという。
最初松居さんは自分の話し方が悪いのだろうかと思っていたが、
次第に、聴く学生のうちに言葉が豊かにあるかどうかで
理解にものすごい差が出るとわかったという。

それを聴いて思い当たったことがある。

最近知り合った方でとても前向きな方がおられる。
その方はもう70歳を過ぎているが、
脳梗塞のためにほとんど立つこともできないご主人の介護を
ひとりで献身的にしておられる。
ベッドから椅子に移乗したりオムツを替えたり着替えさせたりと
考えただけでもとても大変なはずなのに
その方は朝早く起きて40分ほどウォーキングをし、
ご主人をデイサービスに送り出してからもデレーッと休んだりせず
水泳に行ったり体操をしたり友だちとおしゃべりしたり
あれこれ雑用をしたりする、そしてご主人が帰ってこられてからは
ずっとご主人のそばについて世話を焼いておられる。

それでいて、介護の合間に本をたくさん読んでおられるのだ。
「私は乱読よ」と言われるとおり、あらゆる作家のものを。
「でもすぐ忘れちゃうの」と言っておられたが、松居さんの話を聴いて思った。
たとえ忘れてしまっても、読書はその方の前向きな生き方・ポジティブな物事の捉え方に
大きく貢献しているのではないか。


「本が友だち」という、人から見たらかなり寂しい人生を送ってきたわたしも
そう考えると、ちょっと救われる気がする(笑)

ホウズキ

田舎の近所にお寺があって、
そのそばの小さな墓地にホウズキが生えていた。
実が赤くなると、それを口に含み、
中身を上手に出し、音を鳴らす人がいた。

わたしも真似したかった。
でも、どうやったらいいのかわからなかった。

引っ込み思案だったから
尋ねてみることもしなかった。

だけど、大きくなったら、大人になったら
音が出せるようになる。

そう思っていたけれど、
いつの間にか周りにそんな遊びをする人はいなくなり、
わたしは大人になってもホウズキを鳴らすことができない。

けれど、ホウズキを見ると、
今でも幼い日がよみがえってくる。

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「ひとり」&にほんブログ村

谷川俊太郎さんの『うたの本』(講談社)を読んでいます。その中から「ひとり」をご紹介します。


ひとり
                 谷川俊太郎


きらめく朝の日差しの中で
あなたの裸の心を見たい
そよ風のわたる林の中で
かくされたのぞみを知りたい
人は傷つけあうしかないとしても
この世に生まれた初めての時に
あなたが触れた世界がいとしい

あなたはひとり ただひとり
かけがえのないいのちを生きて

とどろく海のしぶきを浴びて
あなたも知らないあなたを見たい
私をみつめる瞳の奥に
ひめられた問いを知りたい
たとえ答えはどこにもないとしても
この世に生まれた初めての時に
あなたが触れた世界がいとしい


昨日ラジオから聞こえてきた言葉。
「たくさん泣いてたくさん笑いましょうよ。それが生きるっていうこと。」

そうか、たくさん泣かなければ、たくさん笑えないのかも。
深く生きる、ということを思う。

***


気まぐれに「にほんブログ村」に登録しました(ランキングには参加していません)
ドリコムは横のつながりがほとんどないので、ちょっと寂しくなったのでしょう(まるで他人事 笑)
にほんブログ村はジャンル別にブログを検索できるので、お気に入りが見つかるかも、
とワクワクです。

ブログ村のみなさん、はじめまして。どうぞ宜しくね。

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秋の一日

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木漏れ日

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遊歩道で

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金木犀から香りの挨拶

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最後まで残るものを

「やさしいことは つよいのよ」

by 宮城まり子さん



「人と人は・・」のつづきです。


人と人がわかりあうのはほんとうに難しい。
もしかしたら、誰ともわかりあうことなんてできないのかもしれない。
どんなに親しい相手であっても、「わかる」と思った時点で、
もう何か違ってしまっているのかもしれない。
いや、むしろ、親しい相手であればあるほど、十分気をつけなくてはならないのだろう。
そしてお互いに心地よい距離を上手くとっていかなくては。相手を失わないために。

「人と人とは・・」に書いた失敗から学んだことがある。
この失敗は、メールだからこそ起こったこと。
メールでなければ、自分の素直な(マイナスの)気持ちなど伝えようと思わなかっただろうから。
会って話していれば、あるいは電話ならば、相手の表情や声から相手の反応が読み取れて
ある時点で、これ以上話すのはやめにしようと思っただろうから。
面と向かって話せないことを気軽にメールに書いてはならない。
(プラスのことだったら良いかもしれないけれど)

***

人と人はほんとうの意味でわかりあうことなんてできないのかもしれない。
何かあったとき、価値観の違う相手に自分の気持ちを理解してもらうことはできないかもしれない。

けれどもわたしは信じている。
誰にも通用するものはあると。それは見えないものだけど、最後まで残るものだ。
それをわたしは追い求めていきたい。

***

関係ないけど、最近ネットの友だちがわたしのことを「hot & cool」と表現してくれて
わたしはそれが気に入っている。わたしのことをよく見ていてくれてありがとう。


チューリップ


実は10日ほど前、「風にささやく」というメールマガジンを始めました。
前にHPのbbsで書いていたみたいな短いつぶやきを書いています。
始めてはみたものの、これからどんなものが書けるかわかりませんが、
何でも始めたらやめられないわたしなので、たぶん書ける限り書いていくんだろうと思います。

毎晩8時頃送信しています。こちらをご覧くださいね・・→「風にささやく」


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言葉は危険

言葉は危険なのだとママは言う。言葉で心に触られたと感じたら、
心の、それまで誰にも触られたことのない場所に触られたと感じてしまったら、
それはもう「アウト」なのだそうだ。

江國香織著『神様のボート』より


本を読んでいるときとか、歌を聴いているとき、たまにそんなことがある。
それからネットでも時々。

一度そんな経験をしてしまった人は、また同じ経験をしたくなる。
何度でも何度でも。中毒みたいに。


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人と人は・・・

友情というのは、
こっちから向こうへ一方的に与えるもので、
向こうから得られる何かではない。
友情とは、自分の相手に対する気持ちだ。

by 北野 武さん


そうだ、期待したのが間違っていたのだ。
一昨日、身に沁みたこと。

春から抱えている問題は、どう転んでゆくかまだわからない。
が、方向は決まってきたような気がする。

その問題について、友だちふたりと折があるたびに話してきた、
喫茶店で、ファミレスで、道端で、そしてメールで。

そのうちのひとりとは、問題が起こる前から心が通じていると感じていたのだが、
今回のことで更に親密になった。
そう、そう、そうだよね、そこが哀しいよね、と共感し合い、
でも、それはこうなんじゃないの? と言われ、
ああ、そういうふうにとらえることもできるよね、と考え直し、
もう少し頑張ってみるよと、何とかやり過ごしてきた。

だが、もうひとりとは、話すたびにずれを感じた。
そしてそのずれはどんどん大きくなっていった。
少し前、あることで彼女とメールのやりとりをしたのだが、
彼女の文章の意味がこちらにはわからず、わたしの文章が彼女には通じず、
彼女のやり方について婉曲的に意見を書いてもそれが彼女に伝わらないという体験をして、
この人は常に一生懸命で自分が正しいと思い込んで突き進んでいるのだ、
こちらの意図を汲もうというつもりはないのだとわかったから、
彼女と意見交換をするのはもうやめにしようと思った。
ややこしくなるだけだから、メールのやりとりも極力避けようと思った。
(彼女のメールは書き言葉をそのまま文にしたような、
 つまり右脳だけで書かれたようなメールでとても読みにくい
 対して、わたしのメールは大抵事務的で、温かみに欠ける)

だが一週間ほど前、やっぱりわかってほしいという気持ちが働いて、
わたしはこう思ったからこうしたんだよと書いてしまった。
あることについて、あなたがこうしたからわたしはこうしようと思ったということも書いてみた。
だが彼女がそのことで自分を省みるということはなかった。

ひとつの問題について数ヶ月も誰かと密に話したのは10数年前のPTA以来だったから、
普段自分の気持ちを話したりしないわたしが、こんなに言葉を尽くして話してきたのに
どうしてわかってもらえないのだろう?と悔しくて、
数日前、最後のつもりで自分の気持ちを少し書いて送った。

その返信のメールに、愕然とした。

そこには、え? 私はこんなふうに思ったけど?
あなたはどういうふうに人の話を聞いているの?(こう聞くべきよ)
(あなたは○○さんのことを同情しているようだけど)、○○さんも、
こういうところがいけないんじゃないかしら、と書かれていたから。

いくつかのメールのやりとりの後、彼女と電話で話したら言い合いになってしまった。
さすがに最後は穏やかに終えたけど。

わたしは、家族以外の人と言い合いをしたことはほとんどないから、電話の後でとても落ち込んだ。
感情的になってしまったことで、自分が彼女とのやりとりで傷ついていることにも気づいてしまった。

その後、もうひとりの友だちと話した。
その友だちは、わたしたちの違いがわかるから、食い違いもよくわかるといって
じっと話を聴いてくれた。

彼女に話しているうちにわかってきた。

わたしは、こちらの気持ちもわかってほしい、
痛んでいる人たちのことも考えてほしいと期待していたのだ、
だが、感じ方も考え方も見る方向もこんなにも違う相手に、
そして毎日ただ自分を保つことで精一杯の相手にそんなことを期待するのが間違っていたのだ、と。

夕方、言い合いになってしまった友だちに短いメールを送った。

「さっきは電話で言いすぎてごめんね」

すぐに長いお返事が来た。
心からの言い合いはお互いを理解するために必要、
だから今日あなたと話せたことは感謝だった、と。

拍子抜けした。わたしは思っていた。

ほんとにあなたは善意の人だし良い人なのね。
でも、友だちのお陰であなたのことは少しわかってきたけど、
わたしのことをわかってもらえた気は全くしないよ、
・・わからないのだと諦めるよ。

だが、彼女がわたしとのメールや電話のやりとりのことを気にしていないなら、それで良しとしよう。
後は自分の感情を自分で処理するだけで良いのだから。

巾着田にて(5)

みなさん、「巾着田にて」にお付き合いくださってありがとうございました。
最後にもう一度曼珠沙華の群生を(夫の写真です)

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「忙しいのに一緒に行ってくれてありがとう。また宜しくね。」

巾着田にて(4)

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巾着田にて(3)

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