August 2006

PCライフ(2)

昨日の質問にたくさんのコメントありがとうございました。
ほんとうに人それぞれで、なるほど?と思いながら読ませてもらいました。
(みなさんも、読んでみてね)

今日は自分の質問に答える形で書いていきます。


***


前にも書いたが、わたしがブログをもっていることは、家族も知っている。
(けれど、いくつもっているかは知らない。知ったら呆れるだろう。
 わたしが「詩のようなもの」を書くことを夫は知っているが、
 彼は詩は読まない。興味もない、たぶん)

夫はブログをもっていないが、他の人のブログにたまに書き込みをする。
そのブログをわたしも覗くことはあるが、夫の書き込みは読まない。

長男はブログをもっている。ミクシィもしている(次男もしている)
でもお互いに訪問したりはしない。

他の家庭のことはよくわからないが、我が家は異常なほど仲良し家族だと思う。
誰も引きこもることのできない住宅事情もあって、くっつくようにして暮らしている。
(想像してみて。団地の3DKに大人がふたり、大学生がふたり、高校生がひとりいるのです、
 それに、わたし以外はみんな男でA型、あ、これは関係ない
 それぞれの本や荷物や洋服は本棚や机や箪笥に収まりきらずあちこちに山積み)

だがみんなPCの中に自分だけの世界をもっている。
だからお互いのプライバシーは大切にする、余計な干渉はしない。

わたし以外がネットでやりとりするのは大抵会ったことのある人。
わたしはほとんど会ったことのない人。
子どもたちに「大丈夫なの? 会ったことのない人を信用して?」と言われることもある。
大丈夫。でも、どうして大丈夫なのか説明はできない。
大丈夫だから大丈夫。リアルで会う友だちだって、信頼できるかは自分で決めるしかない。

ネットで会った人と親しくなると、住所を交換することもある。
だから時々手紙や葉書が届いたりする。

「いいねぇ、たくさん友だちがいて」と夫は言う。

いいでしょ。


昔から友だち夫婦だ。
似ているけれど、好きなことは結構違う。
本や音楽が好きなのは同じでも、読むものも聴くものも違う。
(「私の勧めたものは読まないんだね」とたまに夫が言うので
 彼の‘オススメ’を読むこともあるが、彼はわたしの‘オススメ’を絶対読まない 笑)

夫はテレビっ子だが、わたしはテレビには興味はない。
だから夫が家にいても一緒に何かをするということはあまりない。
そばで夫がテレビを観ていても、わたしは本を読んだり仕事をしたり。
我が家にノートパソコンが来てからそこにネットが加わった。

夫も帰ってくるとすぐメールチェックをするし
食事の後も何度もPCに向かって情報を仕入れたりメールを出したり仕事をしたりする。

時々夫は言う。

「PCのない生活なんて考えられないね」

けれどわたしは「そ?ぉ?」と思う。

わたしは、なくても平気。たぶん(そんなにPCに依存しているのによく言うよ? 笑)
でも、なかったら、わたしは狭い世界しか知らなかった。
わたしは、今のわたしではなかった。

わたしは集中しないとブログが書けないし、
ちょっとした文章を書くのにも信じられないような時間がかかる。
それに、投稿した後も何度も手を入れる。
だから、ブログを書くのは夫がそばにいない時と決めている。
わたしには一度にひとつのことしかできないのを夫はよくわかっているのだが
夫がいるのにコメントやメールのお返事に集中してしまうとき
夫の視線を感じて不味い!と思ったりすることもある。

自分を見つめ、他の人と繋がるための大事なネットの世界。
でも身近にいる大切な人のことを忘れては本末転倒だ。

(PCの向こう側の人と、心と心で繋がってしまうと
 リアルよりもネットの方が大事になってしまう危険性があるから
 よく注意しなくてはならないと思う←身に覚えあり)

このことを絶えず自分に言い聞かせて自分を省みながら、
PCやネットの向こうの人たちと付き合っていきたいと思う。

いつかバランスよく上手に付き合えるようになりますように・・・。

PCライフ

常々「みんなどうしているんだろう?」と疑問に思っていることを・・・。

ブログを書いている人にお聞きしたいのですが、

ブログを書いていることは家族(恋人)には内緒ですか。
(家族があなたのブログを読むことはありませんか)
ネットで知り合った友だちのことを家族に話したりはしませんか。
結婚している(恋人のいる)方は、
PCに夢中になっていると、あるいはPCに真剣に向き合っていると、
旦那さん(奥さん or 恋人)が焼きもちを焼いたりはしませんか。


コメントお待ちしています。

「六ヶ所村ラプソディー」

「ヒバクシャ―世界の終わりに―」の鎌仲ひとみ監督が作成した映画「六ヶ所村ラプソディー」を観た。

使用済核燃料の再処理工場がある青森県六ヶ所村の人たちを取材して
丁寧につくられた映画。
反対・賛成双方の人々、そして実際に再処理工場で働く人たちも登場する。

再処理工場のことは聞いてはいた。
けれどもそれがどういう問題を孕んでいるのか、わたしはほとんど知らなかった、
映画を観て愕然とする。

処分工場のアクティブ試験(試運転)は3月末にすでに始まっている。
来年には稼動の予定。

ここまで来たら止めることはできない。
六ヶ所村の人たちも他の人たちもほとんどそう思っているのだろう。

けれどもそれで良いのか?
何も知らずに許してしまってほんとうに良いのか?

この記事を書こうと思って少し調べてみたら驚く事実がわかった。
処分工場ではすでに何件も放射能漏れの事故が起こっているということ。
その一つの記事がこちら。

六ヶ所再処理工場でプルトニウム体内被ばく事故

そしてごく最近、再処理工場敷地内の、ガラス固化体貯蔵建屋で
高いレベルの放射能が検出されたそうだ。

詳しく知りたい方はこちらをクリック。

工場内で問題がなかったとしても、一旦稼動すれば、
工場から毎日排出される放射能が、農地や海を汚染してゆく。

微量だから安全?
事故がなければ大した問題ではない?
遠くに住むわたしたちには関係ない?

では、汚染されていると知りながら
青森でとれた農産物や魚を食べ続けられるだろうか?



映画を観て、自分が原発についてあまりにも無知であることを知った。
知ることから、知ろうとすることから始めようと思う。


* 調べてわかったこと、少しずつ書いていきます。宜しくね。

『うつくしむくらし』(その2)

先日のつづきです(窪島誠一郎著『うつくしむくらし』より)

***


・・・平和運動の根元には、日々の暮らしにおいて、人それぞれのやり方で紡がれていく愛が必要だと思います。
平和とは、たった一人の人を愛し、一つのこと、一つのものに心を注ぎ、
名もない小さな花をうつくしむことです。
「うつくしむ」とは、かわいがり、大切にいとおしみ、ゆるすことです。
「慈(いつく)しむ」「愛(いつく)しむ」のもとになっている美しい和ことばです。
そこに、テレビが流す情報など必要ありません。
自分で見つけた、自分だけの美しいものを見、自分の手で求めていけばよいのです。
派手な身ぶりとともに大声で叫ぶ必要もありません。
自分の大切なものへ、そっと愛をささやけばよいのです。すべてはそこから始まります。
どんなに憎悪の感情が噴き出しても、その感情のたかぶりにまかせて花をつぶすことも、相手を殺すこともできない、
そういう優しい心がなければなりません。
他者と接していくときに、根源にすべての人をゆるす愛がなければ、真の平和は実現しません。

***


私たちは、自分が感動したこと、胸がふるえ、耳たぶが赤くなり、
涙がにじんだ記憶を他者に伝える生き物なのです。
そして、一人ひとりの感動の記憶がネックレスのようにつながったなかに、私たちは生きています。
「自分一人くらい、サボってもかまわないだろう」というわけにはいきません。
きらめくネックレスをかたちづくる真珠のような感動の記憶は、たった一つでも抜け落ちたら、バラバラになってしまいます。
この世に生を受けた人にはすべて、生きるうえでの責任があります。
その責任とは、感動の記憶を人に伝えていくことではないでしょうか。そんな気がしています。
なかには、「私にはピアノも弾けないし、絵も描けない。芸術とは縁がない」などと思う人もいるかもしれません。
しかし、すべての人間は生まれながらに、職業や生き方の違いに左右されることなく、
それぞれに一冊のスケッチブックや一台のピアノを持って生まれてきているとも思うのです。
そして日々の暮らしのなかで、うつくしんでいるものや人との間に生まれた感動を伝えるために、
だれかの真似ではない、自分にしか描けない絵を描き、自分にしか弾けない曲を奏でていくのだと思います。

***


わたしには絵も描けないし楽器を奏でることもできない。
けれどもわたしにも絵がある、うたがある、感動する心がある。

ネットに居ることも、わたしが自分で引き受けた「責任」のひとつ。

人は呆れ笑うかもしれないけれど、実際、家族は呆れ果てているけれど(笑)
わたしは今、そう思っている。


ひまわり お知らせ ひまわり


文勝さんの小説「待つよ♪」をわたしのHPに載せました。
こちらからご覧になれます・・・「コトバギャラリー」

みなさんもぜひ彼の‘スケッチブック’を開いてみてください。

道・真理・いのち

イエスは彼に言われた。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
わたしを通してでなければ、
だれひとり父のもとに来ることはできません。

(聖書:ヨハネの福音書14章より)


795d4636.jpg



* わたしのPCの調子が悪く、一昨日・昨日とお休みしました。
 来てくださった方々、ごめんなさい。

『うつくしむくらし』

「信濃デッサン館」と「無言館」の館主・窪島誠一郎さんの著書『うつくしむくらし』(文屋文庫)を読んだ。

心に留まった言葉をご紹介する。

***


ありのままの自分を見つめ、自分の長所も短所も含めて受け入れることは、ときに苦しみを伴います。
しかし自分自身がぶつかる困難は自分の内から生まれているもので、歴史や社会のせいにできるものではありません。
自分がたどってきた歴史や、自分が生きている社会は、自分の外側にあるように見えて、
じつは自分のなかにあります。自分をかたちづくるすべてのことから逃げない気構えが、
やがては情熱の種火をともし、自分の生を輝かせるのです。


***


・・・無言館には、戦没画学生たちが内に秘めた情熱ゆえの静けさがあります。
人が人を静かに愛しつづけることによって、培い育んでいく平和への思いがあります。
彼らは私たちに、静かな情熱かであれと、情熱を秘めた静寂の尊さを語りかけてきます。
彼らの絵は、まさしく静寂の証なのです。
そこを飛び越してしまって、
デモ隊がどんなに情熱的なシュプレヒコールを挙げながら行進しても、
それは本来の平和希求と質を異にする危うい熱狂の色を帯びてしまうのではないでしょうか。
・・略・・
かく言う私は「九条の会」アピールを広げる美術の会(「九条美術の会」)の発起人にもなっています。
お声がかかれば出かけていって、集まった人々を前に平和について語ることもあります。
そうした活動自体を否定はしません。ただそこで大切なのは、静けさが束になることです。
一人ひとりの静かな情熱が集まって束になり、
それが結束として大きな松明になるという形がいちばんすばらしいと思っています。

***


「静けさが束になる」・・・なんて胸を打つ言葉! 鍵はここにあるかも。

五行歌人・航さん

五行歌のブログ「明日へ」を書き始めたは2年前。

その前から五行歌というものがあることは知っていた。
五行歌のHPやそのリンク先を時々訪ねてもいた。
だが自分に書けるとは思っていなかったし書いたこともなかった。

それなのに、いきなりブログをつくってしまった。
わたしには、何かの形にしたい想いがあったのだと思う。

ブログを始めて、あれこれ検索して見つけた人がいる。

岩崎航さん。

進行性の重度の筋疾患のために寝たきりの生活を送りながら五行歌を書いている青年だ。
去年経口栄養が困難になり手術を受けて胃瘻からの栄養に切り替えた、
そして今は24時間人工呼吸器のお世話になっているという。

そんな環境をものともせず、航さんの五行歌は、どこまでも清々しく雄々しい。
そして周囲の人たちや生きていることへの感謝に溢れている。

航さんの五行歌に触れるたび、そのこころのあり様に打たれる。

こちらが航さんのブログです。航さんの五行歌、是非読んでみてください。
      ↓
  「航のSKY NOTE」


39622f16.jpg


航さんの初めての五行歌集『青の航』

現代版「雨ニモ負ケズ」

「雨ニモ負ケズ」の現代版を友人から教えてもらいました。


現代版「雨ニモ負ケズ」


雨にも当てず
風にも当てず
雪にも 夏の暑さにも当てず
意欲も体力もなく
いつもぶつぶつ不満を言っている。

毎日これといった目的を持たず
常に携帯電話を持ち歩き
朝からあくびをし
集会があれば貧血で倒れ
あらゆることを、
自分の為にだけ考え顧みず。

都市化の影の立派な部屋に住み
東に病人あれば医者が悪いと言い
西に疲れた母あれば養老院へ行けと言い
南に死にそうな人あれば寿命だと言い
北にケンカや訴訟があれば
遠くから眺めて係わらず
日照りのときは冷房をかけ
「勉強」を隠れ蓑にして
ほとんど何もせず
叱られもせず
手伝いもせず
恐いものは一切知らず。
・・・そういう現代っ子に誰がした。

(詠み人しらず)



笑うに笑えない内容ですよね?

検索したら、この「現代版」、いくつかヴァージョンがあるようです。
「詠み人しらず」ということですが、転載はしないでね。

親友

末っ子には親友がいるという。

その人はどこに住んでいる人? 高校の友だち?

あれこれ聞き出そうとするのだが、ヒントすら教えてくれない。

「でも、どうしてその人が親友だとわかるの?
 君は僕の親友だよな? とか言うの?」

末っ子が呆れた顔でわたしを見る。

「人づき合い、悪いんじゃないの?」

・・・君に言われたくない。



昔から疑問に思っている。

親友って、なんだろう? 
相手が親友だと、どうやってわかるのだろう。

親しい友だちがいないわけではない。
大切な友だちはたくさんいる(いた)
だが相手が自分のことをどう思っているか(いたか)、わたしにはわからない。
自分が想っているようには相手が想ってくれていないことに気づいて
寂しい気持ちになったことは結構ある、リアルでもネットでも。
逆に、相手にそういう気持ちにさせたことも、もしかしたらあるかも。


『アシュリー ?All about Ashley?』(アシュリー・ヘギ著・フジテレビ出版)にはこう書かれていた。


友だちっていうのは、お話をする相手。
助けが必要なときにそばにいてくれる相手。
つまり、笑顔にさせてくれる人ってことだと思う。


親友っていうのは・・・むずかしいわね。
うーん、よくわからないけど、
ほかの誰よりも一緒に過ごす時間が
長い相手のことかなぁ。
ちょっと違うかなぁ。
そうだ!
長い時間をかけてお互いのことを理解しあっている人。
きっと、そんな相手のことじゃないかしら。


う?ん・・・。

学校時代の友だちとか仕事の同僚とかは
その時期は親しくても、環境が変われば離れていく。
いま時々会って話す友だちもいつか。


お互いに文章を書くのが好きだったらずっと交流していけるのかもしれない。
今はネットもあるし。

だがそれもまだ未知数だ。

この歳になっても「未知数」がある。それもすごいことかも。




みなさん、みなさんには親友、いますか。
いる人は、相手が親友だとどうしてわかるのですか。

御手のわざを


私は昔の日々を思い出し、
あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、
あなたの御手のわざを静かに考えています。
あなたに向かって、私は手を差し伸べ、
私のたましいは、かわききった地のように、
あなたを慕います。

(聖書:詩篇143篇)


206e00c0.jpg


アンティチョーク
(ハーブの一種・ほんとは紫)

「ただいま」

1週間かけて田舎から帰ってきた、そんな感じ。

新幹線が開通してから故郷はとても近くなった。
だが、ここと田舎では別の空気と時間が流れている。

わたしは人生の半分以上を都会で過ごしてきた。
だが心は今も故郷にあるのかもしれない。

故郷とは、場所ではない。
そして故郷は過去にあるのではない。

自分の大切なものを汲むところ、それが故郷。


ちょうど10年前、夫の父が亡くなった。
事情があって母と同じお墓に入れなかった父のお墓を
わたしの田舎につくった。

7dc24eb3.jpg


この景色の見える場所に父のお墓はある。
そしてわたしたちもいつかここに帰る。

わたしはこれからもずっと
山々と空を恋い慕いながら都会に暮らすのかもしれない。
だが、いつか魂を離れてここに帰る。

帰る場所があるのは嬉しいことだ。

太陽



わたしの故郷の写真を見てくださったみなさん、ありがとうございました。
来週から普段どおりの(?)ブログに戻ります。これからもどうぞ宜しくね。

8月9日(空)

長崎の原爆の日、空の物語に目を奪われていた。

ff6aabc3.jpg


b40076f2.jpg


3ad91545.jpg


779934ec.jpg


ac64f7ad.jpg

8月9日(雨のち晴れ)

「雨降ってきたから、みんな起こして」

朝の5時過ぎ、階下から父の声がする。

爆睡している子どもたちに声をかける。
夫も目を覚ます。

(父が手伝ってほしいと言っていたのは子どもたちだけだけど
 寝てはいられないよね。ありがとう)


雨の中、わたし以外の全員でハウスのビニールの張替え作業。

35a79bfd.jpg


朝飯を食べ終わるころには雨は上がっていた。

台風が向かっているという予報だったから、雨の中、大急ぎで仕事をしたのに
結局雨が降ったのは早朝だけだった。


お墓に行った後、ぶらぶら帰る。

3c09d9d5.jpg


4fba2512.jpg


ee22f82f.jpg

8月8日(散策 2)

都会に来てから自然を味わうことを知った。
田舎にいた時には、自分がどんな贅沢に囲まれているかわからなかった。

0cf3711c.jpg


9fdae91a.jpg


f116e92f.jpg


「面白すぎる。ちょっとカメラ貸して」
末っ子が言う。彼の撮ったのはこれ。

3740ec10.jpg

8月8日(散策 1)

390a9c0d.jpg

実家の南側に見える山脈の山麓から


3a842fb5.jpg

空の綺麗な日だった

f2190c06.jpg


309cfe35.jpg

木々の向こう側に鏡が見えた

8月7日(fomily)

623b5b3f.jpg


e090cf87.jpg


いつ頃だっただろう、父から電話があった。

「おいだち、夏にみんなでこっちに来てくれない?
 いつ何があるかわからないから、集まっておこうと思ってな、
 おじいちゃんやお母さんの法事もしてないから。
 今だったら、おばちゃんたちもみんなそろってるしな」
 
父は今年77、母が亡くなってから33年。

お盆は混むからということで、8月7日に集まることになった。

「あつこ、一緒にいってくれやな」
と言われ、父と旅館の車に乗って叔母たちを迎えに行く。
ひとりの叔母が足が不自由なのだ。

伯母たちはみな大正生まれ。
ひとり以外はそう遠くないところに住んでいる。
だが、みんなが顔をそろえるのは実家の新築の時以来だ。

旅館の一室でテーブルを囲んだ。

父は弟に頼んで簡単な写真集を人数分つくっていた。
それ見ながら昔を思い起こし、話が弾む。

幼い頃父親と死別し、33歳で母親を見送った祖父。
生活苦のため、満州に渡ろうかと思った時期もあったという。
だが田畑と養蚕でなんとか食いつないできた。

祖母は亡くなる日、言ったそうだ、
「自分たちは貧しくともみんな一緒に暮らせて幸せ」と。

その祖父や祖母の想いを受け継いで農業ひと筋に頑張ってきた父。
それぞれに嫁いで苦労してきた叔母たち。

自分がこの家族から受け継いでいるもの、
受け継いでいかなければならないもののことを考える。


叔母たちだけ旅館に一泊した。

旅館で久しぶりにゆっくり話ができたのだろう、
嬉しそうに帰っていく叔母たちを見て、父も満足そうだった。


音符


* 2年前に書いた思い出です・・→「父」

* ぼこだっちさんがわたしのブログを紹介してくださいました。
  ありがとうございます。こちらを見てね・・→「ぼこだっちの裏の裏」y

キリストの平和が


キリストの平和が、

あなたがたの心を支配するようにしなさい。


(聖書:コロサイ人への手紙より)



8531cbb5.jpg

8月6日(空)

e662223e.jpg

街は七夕祭り


日曜だったので、末っ子と教会に出かけた。
街の奥まったところにある、民家を板張りにしただけの、小さな教会、
牧師夫婦と子どもたちを除くと、出席者は20人程度だ。

終わってから末っ子に言う。

「あそこが、母さんが昔行ってた教会だよ」

「そうだと思った」

「どうして?」

「そんな気がした」

わたしが高校の頃は、いま駐車場になっているところにキリスト教書店があって、
その奥が会堂だった。
わたしが毎週通うようになったのは浪人時代。
その時はもうイギリス人の宣教師は帰られていたから、
日曜日だけ他の教会や神学校から牧師先生や神学生が説教に来られていた。
普段教会を守っていたのは書店に勤める年配の女性だった。
主なメンバーは20代後半の女性数名と、高校生の男の子とわたし。
家族みたいな小グループだった。

あれからいろいろあって、その当時集まっていた信徒はみなバラバラになった。
だから訪ねていっても、昔のわたしを知る人はひとりだけ。
わたしはほとんど浦島太郎だ。

けれども、やはりわたしの原点はあそこにある。

8276942a.jpg

広島の原爆の日 朝の空


758e8ae7.jpg

夕方の空

8月5日(帰郷)

昼前に故郷の駅に着いた。
駅を出た途端、太陽が照りつける。

「暑い! これじゃあ、東京と変わらない」
と末っ子。

街中は去年より小奇麗になっていた。新しいお店もできている。
高校時代によく通った本屋を覗いてから蕎麦屋へ。

76b46b77.jpg

蕎麦屋の入口で


38b99ca7.jpg

古い建物もあちこちに残っていて
そこここに‘歴史’を垣間見ることができる

b2763174.jpg


再び駅へ。電車に乗る。


3b4affcd.jpg

車窓から
この景色を見ると「ああ帰ってきた」と思うのだ

24e88c63.jpg


cdeaf819.jpg

実家の庭先で
花たちがお出迎え


c739d8bd.jpg

両親の可愛がっているチビ
翌日からは、人が増えたせいか
リビングにほとんど寄り付かなかった

みなさんへ

こちらのブログのタイトルを変更しました。

リンクしてくださっている方、お気に入りに入れてくださっている方、
お手数ですが、変更をお願いいたします。

86f5c070.jpg


夕方
田舎から帰ってきました。

「ただいま」

また宜しくね。

あの空の下へ


あの空の下へ

9d7258d5.jpg


この山々の見えるところへ

09535504.jpg


行ってきます。

またお会いしましょう。

賢治の里とお別れ

着いてすぐ降りだした雨は帰る直前までやまず残念でしたが、
雨で仕事が早めに終わったからと、ネットで知り合った友だちが
駅に駆けつけてくれました。だから、雨に感謝、なのでした。

忙しい中、わたしのために時間を割いてくれてありがとうございました。

3124b508.jpg


392be463.jpg


ec2adb65.jpg

新花巻の新幹線ホームから



でも、やっぱり岩手山が見たい。またいつか。

降り注ぐ雨の中で

d4a9f405.jpg


b8d933b0.jpg


5286fd2e.jpg


3e4d0faf.jpg


3ea676c2.jpg


2b1c8bc9.jpg


fab73359.jpg


花巻温泉のバラ・ハーブ園にて

賢治の花時計とか

b14b020e.jpg

花巻駅近くにある林風舎



3ca35001.jpg

賢治の設計した花時計
(花巻温泉バラ園内)



2b59ecb7.jpg

賢治記念館前で



736eb037.jpg

これも賢治の設計した花時計



30bbe42d.jpg

「注文の多い料理店」をモチーフにしたレストラン
混んでいてここでは食べられませんでした
残念

同心屋敷からイギリス海岸へ

7351ad51.jpg

「同心屋敷」



bccea490.jpg



6b5ea09c.jpg


「雨ニモマケズ」詩碑近くにある賢治の「下ノ畑」へ

297cde15.jpg



78b424ec.jpg

北上川

4d12e4f0.jpg


ここは渇水時には白亜紀の泥岩が露出しドーバー海峡に似ていることから
賢治が「イギリス海岸」と命名。
ダムができたため最近は水量が多く、こんな感じのことが多いそう。

渇水時の様子が見たい方はこちらを見てね。