May 2006

男の子の親

五月の雨

                  小泉 周二


ひとりで走る電車の上に
前へならえのレールの上に
四角く並んだ田んぼの上に
五月の雨は
さわさわと

ぼくの大きなかさの上に
茶色の小さな犬の上に
コロコロと鳴る鈴の上に
五月の雨は
さわさわと
さわさわと



田植えの済んだ田んぼに雨が降る光景がとても好きだったのだなぁと今更のように思う。

それにしても、明日からもう6月だなんて・・・。


太陽


広報で知り合ったSさんがたまたま近くに住んでいることがわかり、一緒に帰る。

「え????! 男の子、3人いるんですか??
 ○○さんって、穏やかそうで、とてもそうは見えない
 教えてくださいよ?、男の子の育て方
 もう、男の子、大変で?」

そう言うSさんの長男はもう大学1年生(下は女の子)
高校に入ってからあまり勉強をせず、卒業後は専門学校だと本人も思い、
親もそれでいいと言っていたのに、3年になって突然大学に行きたいと言い出し、
なんとか「かすった」ところに入学したのだという。

そこまで育ったなら、親が「育てる」ことはもう何もない。
あとはできるだけ離れたところから見守っていればいいのだろう。
だけど、それが難しい。

別の話。

わたしの友だちは男の子がいる人が圧倒的に多く、男の子だけしかいない人も多い。
でも、いかにも男の子の親と見える人はほとんどいない。
けれども、話していると、なるほど男の子の親だ、と思ったりする。
例外はあるけれど、大抵さっぱりしている。
そして、家族(家庭)以外に何か(誰か)を探している。
仲のよい女きょうだいがいる場合はちょっと違うような気もするが。

広報で

広報で、末っ子の高校の部活の写真を撮りに行った。
水泳部、男子バスケット部、男子バレー部、剣道部、柔道部、陸上部。

帰ってきて早速撮った写真をPCに入れてみた。
60枚以上撮ったのに、これは、と思う写真が1枚もない。唖然とする。
花や風景を撮るのとは訳が違う。
動いている被写体を撮るのは、ほんとうに難しい。

ボツの写真を1枚。


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プールサイドの男の子に「寒くないの?」と訊いてみた。

「まだ、ちょっと・・」

そうだよね。でも、水に入ってしまえば、そんなこと、忘れてまうんだろうな。

マーガレット

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黒土の畑の片隅で

今を咲く


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振り仰げば

久しぶりの青空


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* 先日「タイプ別性格診断」をご紹介したら、awayさんがそれを受けて興味深い記事を書いてくださいました。
 「血液型人間学利用法」お読みくださいね・・・→「風の歌が聞こえますか」

* やちさんの置いていってくれた「人生バトン」も面白い・・→「ココロのポスト・別館」

主はわが巌


主はわが巌、わがとりで、わが救い主。

身を避けるわが岩、わが神。

わが盾、わが救いの角、わがやぐら。

ほめたたえられる方、この主を呼び求めると、

私は、敵から救われる。


(聖書:詩篇18篇より)



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六義園で

昨日写真を載せた旧古河庭園の池もそうだったが、六義園(りくぎえん)も亀の楽園だった。


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亀がノロマなんて嘘だ。
目的地に向かって歩きはじめたら、速い、速い!

そうか、「歩こう」と思うまでが長いのかな。
わたしと同じだ。心が決まったらまっしぐら(笑)


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水に入ろうかどうしようか躊躇っている。
いよいよ飛び込む、というとき、見ている人たちから声がかかった。
「よいしょ!」

亀が意を決するのを見守るほどやさしい人たちが
世の中にはたくさんいる。

みんな、誰かの応援をしたいのだ。
応援されたいのだ。


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* 面白いサイトを見つけました。

  タイプ別性格診断

 結構あたっている気がします。やったら、感想を教えてね。
 因みにわたしはINTP型でした。同じタイプの人、いるかしら?

旧古河庭園

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怒り

    あなたが怒りを抱くのは状況のせいではありません。
    あなたの状況に対する反応のせいなのです。
    あなたを怒らせるのは人のせいではありません。
    あなたのその人に対する反応のせいなのです。

            by コンクリン


そうはわかっていても、怒りを抑えられるわけではない。
けれども、怒りを人に撒き散らし怒りを連鎖させることは避けられるかも。           

優先順位

友だちから電話があった。

「歩ける?」
「ちょっと待ってくれれば」
「わかった」

旦那さんのお父さんを見送り、49日も終えて、
友だちはやっとひと息ついたのだ。

久しぶりだったから、目的はウォーキングよりしゃべることだった。
だが、さすがに途中で色とりどりの薔薇が咲き誇っている家を見つけたときは
足が止まる。「あちら側に渡って見ていこう」

「どの薔薇が好き?」

友だちが指差したのは、赤い薔薇だった。

「そう・・」

わたしは原種に近い方が好き。色は、白か薄桃色。
あ、つる薔薇も好き。
実家の畑にあったような、白くて小さな花を咲かせる。

心の中でつぶやく。


「あら、そろって買い物??」

スーパーのそばで知り合いに声をかけられた。
仕事の途中だろうか、忙しそうだ。

「ううん、ウォーキング」友だちが答える。

「いいねぇ」


知り合いの自転車が見えなくなってから
「なんだか、悪いね。彼女は仕事中で忙しそうなのに」とわたし。

「え?? いいのよ。あの人は好きで仕事してるんだから」


そうか、ウォーキングができる生活をしていても
彼女のように忙しく働いていなくても、何も引け目を感じる必要はないのか?



別の友だちと電話をしていた時、そのことを話す。
友だちが言う。

「そうだよ。優先順位が違うだけ。
 あなたはちゃんとご飯つくってるじゃない。
 わたしは、そうしなくちゃとは思っていない」

その友だちは目いっぱい働いている上に、
週に一度は、具合の悪いお母さんの様子を見に行っている。
長い間入院している高齢のお祖母ちゃんもいる。
だから、単に優先順位の問題でもないし、
わたしの料理なんて、量さえあればといういい加減なものだが、
そう言ってもらってちょっと納得する。

そうか、何をいちばんにしているのかは人それぞれなのだな、と。
わたしはフルタイムで働いている同性に引け目を感じたり
申し訳ないと思う必要はないのだ。
そんなふうに思ったら相手に失礼だし、自分に対しても、それこそ、申し訳ない。

でも、わたしがいちばんにしているものは何だろう?
わたしは、何を、どうしていきたいのだろう。


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植物園で

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珍しく夫が「植物園に行こう」と言うので自転車で出かけた。
夫は歩くのも自転車をこぐのも速い(コンパスの違い? 笑)

すぐ後ろを走るのは諦めてなるべく遅れないように一生懸命こいでいくのだが
少しずつ間があいていく。

道の右左を見て「あ」と思う。

「あ、涼しそうな神社」

「綺麗な花! なんだろう?」

「あの建物、いいなぁ」

「素敵。なんのお店かしら?」

けれども夫は目的地に向かってただひたすら走る。
信号のところで待っていてくれた夫に言ってみる。

「ねえ、周り見ながら走らない?」

「見てるよ」と夫。

「・・・」

(今度ひとりで来よう)


植物園で、「あっちに行ってみる。綺麗!」と小走りになったわたしに
夫が言う。「生き生きしてるね」

そう。東京はまったくわたしのいるべき場所ではない。
上京してからずっとわたしは場違いな所に住んでいる。
けれども、わたしは田舎暮らしの似合わない夫のそばにいることを選択したのだ。
彼のいる所がわたしの居場所。そう決めたのだ。

だからわたしは都会のオアシスを探しつづけている。

「ゼロ・トレランス」

さきさんから昨日TBとコメントをいただきました。

昨日の記事「文科省が生徒指導の強化を求める報告!!」をお読みください。

「ゼロ・トレランス」のことは知らなかったので、これから注目していこうと思います。


でも、子どもたちに必要なのは‘鞭’ではなく‘愛’なのでは?
先生方、子どもが好きですか? 生徒たちを愛しておられますか?

漢字バトン(4)

漢字バトンを受け取ってくださったハルヒさんが
「大切にしたい漢字は特にない」と書いているのを読んで
そうだよねぇと思った。
わたしの挙げた「大切にしたい漢字」は「大切にしたいもの」だった。

ほんとうは、「好きな漢字」を答えようと思ったときもちらっと思ったのだ。
「好きな漢字」は好きなものとも好きな言葉とも違うんじゃないか、と。
でも考えていたらややこしくなるから、好きなものを表す漢字や好きな言葉を挙げてしまった。
けれどもほんとうの意味で「好きな漢字」を答えるとしたら、先日挙げた中では
「光」と「笑」かも。
じっくり考えたらもっと出てきそうな気はするので、心に留めておくことにしよう。


思ったのだけど、好きな漢字と好きな言葉も同じじゃないのでは?
漢字にはいろいろな意味があるし、この言葉は好きだけど、
漢字より平仮名表記の方が好き、いや、わたしはカタカナの方が、というものもありそう。
(若い人はカタカナ表記が好き? それは何故?)

で、「言葉の花かご」「質問」を書きました。

あなたも考えてみませんか?


* やちさんがバトンを受け取ってくれました。やちさん、大好き(唐突? 笑)

let us dance

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風が流れる

光が踊る

影が踊る

アン ドゥー トゥワー

一緒に踊ろう

合唱コンクール

末っ子の高校の合唱コンクールがあった。
一年生は、一等のクラス以外は「・・・」という出来。
「冬は去りて」という課題曲がアカペラだったから、
全員がちゃんと音程をとることからして難しかったのだろう。
それに、入学してからまだ1か月半だ。
授業の始まる前や放課後に練習したといっても
バラバラの中学から来た子どもたちが短期間に二曲仕上げるのは
並大抵のことではなかったのだろう。

それに比べて、二年生、三年生は上手だった。
殊に三年生は、クラスが持ち上がりということもあって、甲乙つけがたい出来。
これでは審査員が大変だろう、と隣に座った人と話していたが、
最後のクラスの合唱を聴いて、「いや」と思った、「このクラスがいちばん!」と。

合唱の上手さからすれば、他にも同じくらい上手なクラスはあっただろう。
だが最後に歌ったクラスの合唱には魂がこもっていた。
感動せずにはいられない何かがあった。

案の定、そのクラスが「最優秀賞」を獲得した。


改めて思う。人の心を揺さぶるのは魂なのだ、歌でも絵でも文章でも。


帰ってきた末っ子に「打ち上げ、行かなかったの?」と訊くと
「『行かない』と言うと何か言われると思ったから、黙って帰ってきた」という返事。
「だって、カラオケだよ?。頭痛くなる」

まったく?・・・わたしに似て付き合いの悪い奴だ。
大人になれば、たぶん、少しは・・・兄ちゃんがそうだったように。

(説明しないとわからないかも? 一年で一番だったのは、末っ子のクラスだったのです
 写真は末っ子のクラスの女の子たち)



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チューリップ 漢字バトン(3) チューリップ


sanaeさん あすかさん ハルヒさん 刹那さんが答えてくださいました。

「ありがとうございます」

みなさんもご覧くださいね。

悲しみのもと

もし私があなたがたを悲しませているのなら、

私が悲しませているその人以外に、

だれが私を喜ばせてくれるでしょうか。


(聖書:「コリント人への手紙」より)


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ヒマラヤの青いケシ



チューリップ 面白いサイトを見つけました チューリップ


    共謀罪ブログ(暫定版)
                         
    教育基本法「改正」情報センター

漢字バトン(2)

早速記事にしてくださった方々、ありがとうございました。
それぞれの個性が出ていてとても興味深いので、みなさんも是非読んでみてね。


★ awayさん ★ あづみさん ★ ジャスパーさん ★ 寝太郎さん ★ ぴろなさん ★ sariさん ★


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街角の芸術

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「子供時代」

茨木のり子さんの詩です。

子供時代

どんなふうに泣いただろう
どんなふうに奇声を発し
どんなふうにしんねりむっつりしていたか

その人の子供時代に思いを馳せるのは
すでに
好意をもったしるし

目ばかりでかい子だったろうな
さぞやボヤンでありましたろう
かさごそ ごきぶり おじゃま虫か

ほほえみながら
もっといっぱい聴きたくなるのは
好意以上のものの兆しはじめた証

あの時もそうだった
鬚づらのむこうにわたしは視ていた
子供時代の蚊とんぼの顔を

かのときもそうだった
朦朧の媼(おうな)のとりとめなさにわたしは聴いていた
女童時代の甲高いお国なまりを



子供時代に興味をもつとき・・・そう言われてみれば・・・ですね。

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父親をいちばん身近で見て育った長男は 記念日を忘れない
なんだか申し訳ないな 母らしいことは何もしていないのに
わたしはあなたたちの子ども時代を楽しませてもらっただけで
あなたたちとこうして一緒にいられるだけでしあわせ
と思いながら ちょっと照れて 毎年花を受け取る

思い出した 一回だけエプロンのことがあった
長男が田舎で浪人していた年
小包を開けたとき どうして涙が出たんだろう

思想は死なない

池田香代子さんの講演会に行った
いちばん感銘深かった言葉をひとつご紹介

「思想は一旦生まれると死なないのです」

何事も 芽生えるのは わたしたちのうちから
どんなに実現不可能と思っても どんなに荒唐無稽のような気がしても 
夢見ることを忘れてはならない


***


池田香代子さんは先日、「憲法9条改定の賛否を問う街頭シール投票」に参加したそうです。
これは4月29日から5月3日まで、全国33都道府県の72市・町・区で一斉に実施されたもので
結果は次のようなものだったそうです。

9条を変えることに 
賛成:3270(12%) 反対:21652(77%) わからない:3247(11%)  合計:28169


一般の調査よりも「反対」が多いのは、小学生や中学生も数に入っているからということです。
池田さんが実際に質問して「反対」と答えた小学生の男の子は言ったそうです。

「人を殺したくない」

その後で小さな声で

「殺されたくない」

またある女の子はこう言ったといいいます。

「憲法9条をもっている日本が好き」

池田さんが言っておられたように、国を愛する心は強制されるものではなく
自然に芽生えるものなのでしょう。

シール投票の詳しい報告はこちらに載っています。是非お読みください。

「憲法9条 変える?変えない?全国意見投票」

***


★ 以前マイぷれすに書いたわたしの記事です・・・→ 「世界がもし100人の村だったら」

★ 動画のサイトを見つけました・・・→ 「動画で見る100人の村」

★ こんなページも見つけました・・→ 「日本村100人の仲間たち」 ・・・笑えます。

漢字バトン

kiryさんから「漢字バトン」をいただきました(ありがとう)。やってみます。


太陽


Q1.好きな漢字は?

「光」「道」「朝」「真」「笑」「流」

Q2. 前の人が考えた漢字に対して自分の持つイメージは?

「煌」・・・宮殿
「鮮」・・・新緑
「彩」・・・万華鏡

Q3. 次の方に回す漢字3つ。

「喜」「厭」「夢」

Q4. 大切にしたい漢字。

「人」「心」「愛」「志」「和」

Q5. 漢字の事をどう思う?

日本語に欠かすことのできないもの。
バランスが大事。
上手く使える語彙豊かな人に憧れます。

Q6. あなたの好きな四字熟語は?

「唯一無二」「勇猛果敢」「心機一転」「単刀直入」
嫌いなのは「優柔不断」とか「責任転嫁」とか「連帯責任」とか(訊いてない?)

Q7. バトンをまわす7人とその人をイメージする漢字をあげてください。

時々ここに来てくださっていると思われる人で、
受け取ってくれるかも?と思う人の名前を挙げますね。
(気が進まなかったら無視してね)「イメージ」は色で。

ジャスパーさん(空)、ryoさん(水)、ジュンさん(赤)、sariさん(桃)、刹那さん(緑)、awayさん(紺)、
あづみさん(橙)、ハルヒさん(藍)、寝太郎さん(紫)、あすかさん(黄)、ぴろなさん(白)

太陽


受け取ってくれたらTBかコメントでお知らせください。
ひとりでもふたりでも受け取ってくれる人がいれば嬉しい。

主の御前に

地の深みは主の御手のうちにあり、
山々の頂も主のものである。
海は主のもの。主がそれを造られた。
陸地も主の御手が造られた。
来たれ。
私たちは伏し拝み、ひれ伏そう。
私たちを造られた方、主の御前に、ひざまずこう。
主は、私たちの神。
私たちは、その牧場の民、その御手の羊である。
きょう、もし御声を聞くなら、
メリバでのときのように、
荒野のマサでの日のように、
あなたがたの心をかたくなにしてはならない。

(聖書:詩篇95篇より)



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雨の日の一枚

「わたげタンポポ」

わたげタンポポ
                       まど みちお

ゆたかな たてがみに
おおわれた
ゆげのライオンが
ふかいねむりに おちている

1000の
子どものライオンに なって
とびちるまえの
1しゅんを

ああ みえる

ねむりのなかに
ゆめが・・・
ゆめのなかに
チョウチョウが・・・
チョウチョウのなかに
うふふふが・・・

せかいじゅうの
すべての いきものに
あたらしい たんじょうびを
くばってまわる
あの わらいんぼが


譜面


この間まで黄色だったタンポポがあちこちで綿毛になっています。
それを見るとついふーっと息を吹きかけてしまうのです。

綿毛たち、身軽でいいな。

***


チューリップ 寝太郎さんが昨日の記事にTBしてくださいました。こちらをご覧ください。
チューリップ 志葉玲さんのブログの記事「共謀罪が成立したらどうなるかシミュレーション」お読みください。
チューリップ 共謀罪に関心がある方は保坂展人さんのブログにも行ってみてください。

誰に書くか

何を笑うかによって、
その人の人柄がわかる。

by マルセル・パニョル



「何を笑うかによって」・・・友だちって、笑いを分かち合うことができる人かも。


傘


「誰に書くか」ということを考えている。

2年前の5月ここで書き始めた時わたしは、HPに来てくださっている数人が読んでくださったら、
と思って書いていた。
最初ここはブログではなく他の人の日記と全くリンクすることのない独立した日記スペースだったから、
確かにそのような場所だったのだと思う。
けれども今ここを訪ねて来てくださっている方たちの多くはHPから来ておられるのではないのだろう。
(そうですよね?)

「誰に書くか」ということはわたしにとって「何を書くか」と同じくらい重要なことであるらしく、
最近それがよくわからなくなって、ちょっと途方に暮れている。

けれども、昨日のアクセス数の記録的な少なさを見て「ああ、伝わらなかった」と自分の文章力のなさを不甲斐なく思い、
ここに来てくださっている方々の求めているものはああいうものではないのだろうな、と考えながらも、
あれはわたしにとっては外せない、わたしの大事な部分に関わる問題だったのだ、と改めて思うのだ。

わたしは常に「なんて空っぽなわたしなのだろう」と思っているし、実際にそういう人間なのだが、
わたしには大切にしてきたものがある。それを丁寧に見つめ直していこう、
そして、ここに来てくださっている「あなた」に、それを届ける努力をしていこう。

そう。わたしはきっと誰かに「届けたい」のだ、
わたしが大切にしてきた(いる)ものを、わたしの心とたましいに響くものを、つまり、わたしの欠片を。
受け取ってくださるのが、たとえ黙って通り過ぎてゆくたったひとりの「あなた」であったとしても。



「ここから」また歩き始めます。どうぞよろしく。
(な?んて偉そうなことを書いても、書く内容は変わらないとは思いますが 笑)

『沈黙をやぶって』(3)

昨日の「神話と事実」のつづきです。

***


神話 「子ども時代に性的虐待を受けた人は大人になって加害者になる可能性が強い」

事実:拘禁された性暴行者ばかりを対象にしたリサーチの第一人者であるニコラス・グロスの
長年の研究によると、加害者の多くは子ども時代、性的虐待の被害者であったという。
しかし、これはその逆を意味しているわけではない、つまり性暴力を受けた者が加害者になる可能性が高いとは言えない。

神話 「性的虐待は貧しい家、黒人やインディアンの家庭により多く起こる」

事実:性的虐待と人種、あるいは階級(貧富の差)のあいだには何の関係もない。
ただ、公的な社会福祉に頼らざるを得ない貧しい家庭の虐待ケースは発見される可能性が高いと言うことはできる。

神話 「子どもは、性暴力を受けたと夢想したり、事実を誇張したり、嘘をつくことが多い」

事実:子どもが性的虐待について嘘をつくとしたらそれは次の場合である。
? 加害者を守るための嘘・・・たとえば性的虐待などなかったと嘘をついたり、
加害者は別の人だと言ったり、それは自分ではなく別の人に起こったことだと言ったりする。
? 誰か大人から嘘をつくように指示されている。

***


子ども時代に何らかの性的虐待を受けたことがある人が女性で3,4人にひとり、
男性でも6人にひとりはいるということを知ってわたしはとても驚きました。
そのことを誰にも話せず、生涯トラウマとしてひとりで抱えている人はどれだけいるのでしょうか。

トラウマから解放されるための、つまり癒されるための方法を著者は5つ紹介しています。
? 記憶に出会う ? 語れる人に出会う ? 内なる子どもに出会う ? 仲間と出会う ? 今を生きる自分に出会う

それぞれの「出会い」をひと言で説明することはできないし、危険なことでもあると思うので
興味のある方は是非この本を読んでください。

最後にわたしの心に響いてきた言葉を紹介します。

***


性暴力が他の暴力より深い心の傷を残すとしたら、その第一の理由はこの本人自身からの拒否にほかなりません。
私も共犯者だ、私が悪かったからあんな目にあったのだという思いこみは性暴力被害者に特有の意識です。
大人と子どもという物理的にも社会的にも圧倒的に不均衡な力関係の中で、子どもたちは抵抗できないことを知っています。
たとえ加害者が暴力的行為を取らなかったとしても、「おじさんのいう通りにするんだよ」という
その一言にどうして逆らえるでしょう。
小学校にもあがらない子どもたちはいったい自分が何をされているのかもわからないまま、犯されてしまうのです。
性暴力被害者たちをもっとも苦しめるのは肉体的苦痛よりこの自分の落ち度を責める自責感です。
この思いゆえに彼らは沈黙を守ろうとします。この思いゆえに彼らはセルフ・エスティーム(自分の尊厳)、
自分という存在を大切にすることに困難を感じがちです。自分自身からも嫌われた彼らは誰かから愛されたくて、
受け入れてもらいたくて、愛を渇望する彷徨をくり返すのです。
誰からも理解されなかった子どもを「あんたが悪かったんじゃない」と許し、いたわり、肯定し、
抱きしめてあげられるのは、本人以外にはいません。
内なる子どもは、まず大人になった自分から受け入れられることを何よりも必要としています。

***


子どもを暴力から守るために、「CAP」のセミナー等を利用するのも良いと思います。
「CAP」は森田ゆりさんが日本に紹介してできたNPO法人で、
「子どもたち自身が人権意識をしっかり持ち、暴力から自分を守るための知識や技能(スキル)を持つことを願って」
活動しています。
末っ子が小学校時代、わたしもCAPのセミナーに出席したことがあります(末っ子は授業の一環として参加しました)
HPはこちらです・・・→CAPセンター・JAPAN



* 4/13の記事『甦える魂』も是非読んでくださいね。

『沈黙をやぶって』(2)

本書の「パート? 沈黙をやぶって その後――心を癒す教本」に書かれていた「神話と事実」が興味深かったので
2回に分けてかいつまんでご紹介します。

これは森田ゆりさんがカリフォルニア州子どもへの暴力防止トレーニングセンターのパンフレットに載せたもので、
アメリカでもっとも評価を受けている調査結果に基づいているそうです。調査の対象はアメリカ人なので
そのまま日本の現状に当てはまるわけではないけれど、共通点は多いと思うと森田さんは言います。
(子どもへの性暴力に関する本が日本で出版されたのはこの本が初めてのようです。
 出版されたのは1992年。その後のことについてはいつか調べてみたいと思っています)

なおここで「性暴力」というのは、「同意の有無にかかわりなく(加害者が未成年であっても)、
18歳未満の子どもに対するあらゆる性行為(強姦、わいせつ行為、性器への接触、子どものポルノ写真、
映画、ビデオの撮影、子どもに売春行為をさせることなど)を意味しているということです。


***


神話 「子どもへの性暴力はめったに起こらない」

事実:子どもへの性暴力は一般に想像されているよりもはるかに多く起こっている。
今日までに発表されたいくつもの調査の積み重ねから、18歳になるまで女子の3人から4人に1人、
男子の6人に1人が何らかの性的行為の押しつけ、性的いやがらせ、性暴行を受けていることがわかっている。

神話 「子どもへの性的虐待は急増している」

事実:報告件数は増えているが、性的虐待が増えているわけではない。
子どもへの性的虐待はつねに起こっていたが、報告されることも語られることもなく
沈黙の内に潜在していたのである。

神話 「加害者の多くは見知らぬ男である」

事実:被害ケースの80パーセントの加害者は子どもの身内や知人である(成人女性に対する性暴力の場合も同じ)。
だから「知らないおじさんに気をつけなさい」と警告するだけでは子どもを性暴力から守ることはできない。

神話 「加害者にはホモセクシュアルが多い」

事実:ニュートン(1978年)およびゲブハルド(1965年)の調査によれば、
大多数の男子に対する性暴力加害者はヘテロセクシュアル(異性愛者)である。


***つづきます***

『沈黙をやぶって』(1)

森ゆり編著『沈黙をやぶって』(築地書店)を読みました。
内容についてはこちらをご覧ください。
(これは森ゆりさんの「はじめに」と「あとがき」の抜粋です)


読みながらわたしの過去も性暴力と無縁ではなかったことに気づかされていました。
あれは小学校6年の頃だったと思いますが、同級生で
わたしを追い掛け回しては胸を触ろうとする男子がいました。
わたしはそのたびに必死で逃げ回っていましたが、友だちはただ遊んでいると思ったのか
誰も助けてくれませんでした。
わたしはそれがどういうことなのかわからなかったのですが、とても嫌だったので
担任の先生に見てもらっていた日記にそのことを書きました。どう書いたかは覚えていませんが。

その男子はそれを知って「これを消せ」と言ったのですが、わたしは首を横に振り
言うことを聞きませんでした。

わたしの書いたことに対して先生が何かコメントしてくれたかどうかということも
その男子に注意してくれたのかどうかということも覚えていませんが
(わたしは日記に書いただけで、そのことを誰にも話したことはありません)
その男子に追いかけられることは次第になくなっていったのかもしれません。

けれども、そのことを面白おかしく話していた同級生がいたことは、
中学になってから「小学校の頃、○君に胸を触られていたんだって?」
とある友だちに言われたことからわかりました。
(それに対してわたしは嫌な気持ちになっただけで、何も答えなかったと思います)

当時は今のように‘性’が公に語られることはなく、性教育も
体育の時間に女子だけ一室に集められて生理の説明(説明の中心は手当てのこと)を受けるといったものだったので
(今でも、きちんとした性教育をしている小学校は珍しいのではないかと思いますが)
わたしはその後も性のことをほとんど知らずに上京し大学生になりました。
セックスの知識もほとんどなく、結婚すれば子どもが自然に生まれるのだろうと思っているような19歳でした。
だから通学途中、満員電車の中で何度も痴漢に遭ったときも、それがどういうことなのか、
どうすればいいかわからなかったのです。
振り返ってみれば、とても恐ろしく腹立たしいことです。


性について、性暴力について、男と女の身体について、性と生の関係について、そして自分の身体と心を守ることについて
きちんとした知識や考えを持ち、それを子どもたちに伝えていくことが大切であること、
本を読みながら今更のように感じたのでした。


***つづきます***



共謀罪についてのニュース、お読みください。

チューリップ 「共謀罪ってなんだ?」より

チューリップ 共謀罪めぐりHPでバトル

人生に必要なもの

             人生に必要なのは勇気と想像力、
                  そして少しのお金だ。

                by チャールズ・チャップリン


なるほど。人生に、何が起こっても「勇気」を振り絞ることのできる力があれば
怖いものはないのかもしれない(でも、その力はどこから?)
「想像力」はそのために欠くことのできないもの。
絶望的な状況にあっても、「想像力」とユーモアさえあれば、何とか切り抜けられそう。
生きていくためには、必要最低限の「お金」も欲しい。
だけど、チャップリンの「少しのお金」はわたしにとっては「すごい金額」かも。


***


ゴールデンウィーク、毎日別々の時間に起き食べ出かける夫と長男・次男を送り出しながら、
わたしは淡々と(?)ほぼ普段どおりの毎日。
そんなわけで今年もゴールデンウィークはなんということもなくも過ぎてゆきました。
でも昨日は憧れのきくちゆみさんの講演会に行けたし、会場となっていた一橋大学にも
初めて入ることができたので(大好きな小宮山量平さんの母校!)、嬉しかったのでした。

「私の望み・信頼の的」

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神なる主よ。
あなたは若いころからの私の望み、
私の信頼の的です。
私は生まれたときから、
あなたにいだかれています。
あなたは私を母の胎から取り上げた方。
私はいつもあなたを賛美しています。
私は多くの人にとっては奇蹟と思われました。
あなたが、私の力強い避け所だからです。
私の口には一日中、あなたの賛美と、
あなたの光栄が満ちています。


(聖書:詩篇71篇より)

レトロ

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チューリップ イラク人女性のブログ「バグダード・バーニング」更新されています。

何を書くか

昨日書いたことと矛盾するようだけれど、ここにいま定期的に通って来てくださっている方で
「あつこさんは自分の友だち」と思ってくださっている方はごくわずかだと思う。
だからわたしのように、「あの人、元気かしら? どうしてるかしら?」
とわたしの様子を見に来られる方はいないのではないかと思う。
(このブログも他のブログもそういう内容ではないだろうし、
 それに、わたし、毎日書いてるし、いつも元気そうに見えるだろうし 笑)

じゃあ、わたしのブログを見に来る人はいったい何を求めて来ておられるのだろう?
わたしのブログを気に入って来てくださっているとしたら、いったいどこが好きなのかしら?

何度も考えるが、よくわからない。
けれども、ある時からパッタリ来なくなってしまう方の気持ちはわかる(笑)
だが、わかっても、どうすることもできない。それがわたしの今の限界だから。


ネットに何をどう書くか考えていたら、ブログをいくつもつくることになってしまった。
そして、ネットで自分が何を見たいか読みたいか考えていたら、HPの中に
ネットで知り合った人たちの部屋がどんどんできていった、リンク先も増えていった。

わたしには書く力も撮る力も全く足りないけれど、わたしはネットで素敵な方々に会ってきたから、
わたしのサイトに来た人がお気に入りを見つけてくれたら、
わたしが誰かを誰かに紹介することができ、誰かと誰かのパイプ役になれたら、それだけでも嬉しい。


自分がHPやブログに何を書くか、何を表現するか、ということは結局、
自分がネットに何を求めているか、ということとイコールなのかもしれない。

たぶんわたしは自分がネットで見たり読んだりしたいものを
自分のHPやブログを通じて表現しているのだと思う。


求めているものは、待っているだけではやってこない。
永遠に待ち続けるわけにはいかない。
近づいてもらおうと思ったら、近づいていかなければ。
わたし、こんなキャラだし(笑)



「それで、いったい何が言いたいの?」

「わたしは、あなたが何が見たくてわたしのブログに来てくださっているかわからないのです。
 写真? 引用する言葉? 他愛のない我が家の話? わたしの頭や心の中のこと?
 (このブログを大きく分ければ、この3つにまとめられますよね)
 え? あなたにもわからない?・・・
 わたし、これからもこのまま、統一性のないブログをアップし続けようと思うのです。 
 あなたの声も聴きたいけど、わたしのところでは絶対無理はしないでね。
 わたしが声をかけても、お返ししなくちゃ、なんて思わないで良いのです。
 あなたの気の向くままにどうぞ気楽にお付き合いください。」


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‘ネット共同体’

夫の話に相槌を打ちながら「この間会った人がね・・・」としゃべり始めた。
少ししてから夫が言う。「な?んだ、実際に会った人のことかと思ったら・・・」

ネットで知り合った人のことを、リアルで会った知り合いと同じようにわたしが話すのが
夫には奇異に感じられたようだ。
HPもブログも持たない夫は、ネットで何かを発信したり見知らぬ人と会話したりすることがほとんどないから、だろうか。

TVをあまり観ない代わり(?)、わたしは毎日たくさんのサイトを見る。
朝巡回するサイト、昼巡回するサイト、たまに訪ねるサイト、
それから何かを検索して見るサイト。

平和関連のサイトとお気に入りの詩や写真のサイトのほかに定期的に巡回しているのは
「友だち」のサイトだ。「○○さん、どうしてるかな? 元気かな?」と訪ねていく。
そして「なるほど」「う?ん・・・」「そっか?」「ふふふ」と
頷いたり唸ったり首を傾げたり心配になったり微笑んだりしながら帰ってくる。
自然にかける言葉が出てきた時だけ言葉を残したりメールを出したりする。
自分が困った時は遠慮なく助けてもらう。

わたしは彼らが何をアップしていても構わない。
彼らがただネットの中に存在していてくれるだけで嬉しい。
(でも、たまにでもいいから、その人がそこに‘居る’しるしは欲しい)

ひとりひとりが自分自身のいのちを生きながら自分を書いていく。
それぞれは「友だち」の生き様を見守りながら、時々声をかける。
互いの間に温かいものが生まれ育ち、
それがひとりからふたりへ、ふたりから三人へと広がっていく。
一本の樹から林へ、そして森へ、緑が増えていく、
花が咲き、草が生い茂り、葉が落ち、土が豊かになり、
虫や生き物が集まってくる、鳥が囀る・・・。


これがわたしの「ネット共同体」のイメージ。ひとりで見ていては叶わない‘夢’
なのです。だから・・・ 

「この指 とまれ!」



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もう

大好きな藤の花の咲く季節

香りまで届けられなくて残念


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桜のように「まだか、まだか」と咲くのを待っている花はあまりないけれど
季節ごとに咲く花を見て「ああ、この花大好きだった?!」と思い出すのです。
ハナミズキも藤もそんな花のひとつ。

桜が散るころ思っていました。
1年中桜が咲いていなくて良かった、季節が変わるたび違う花に会えて良かった。

「また来年会おうね」

機嫌よく

すべての不運や、つまらぬ物事に対して、
上機嫌にふるまうことである。

上機嫌の波はあなたの周囲にひろがり、
あらゆる物事を、あなた自身をも、
軽やかにするだろう。

by アラン 



「上機嫌」は難しくても「中機嫌」くらいなら。「中機嫌」が難しいならせめて「笑顔でいる」。


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花たち

買い物の行き帰りに出会った花たち


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モッコウバラ


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風に揺れる八重桜


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柵から覗いていた可憐な花


太陽


ゴールデンウィーク、どのようにお過ごしですか。わたしは平常通り。今週もどうぞ宜しくね。