August 2004

肝心なこと


どれほど苦しいかではなく、
どれほどの喜びを感じるかが
肝心なのです。

by エリカ・ジョング




  喜びやしあわせを感じるのって
  それぞれの思い込みにすぎないのでしょうか?
  けれども それが一生続くなら
  たとえ思い込みであっても
  ほんものではないかと思うのです

  もし生涯 
  魔法にかけられていたなら



    山々が見られる場所に住むのが夢

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「朝」

先日、朝日新聞に
イラクの少女・ヌハッド・サエッドさん(14)の詩が載っていました。





朝がやってくると
人々の心はとっても和みます
朝はとっても美しい
地平線はもっと美しく
鳥たちは木々でさえずり
魚たちが川の中で遊びまわっています
そして
わたしたちには
心地よい眠りとともに
美しい夢がある




この詩を読んで感動した
秋田の精霊女子短大付属高校ハンドベル部の顧問・熊谷先生に頼まれて
先生の知人が合唱曲をつくり、ハンドベル部が演奏、
秋田市立中通小学校合唱部が合唱しCDに収めたそうです。
「Caritas(友愛)」というタイトルがつけられたCDは
中東で活動するあるNGOを通じて
イラクの子どもたちのもとにも届けられるということです。


戦争の最中でも、美しい朝を迎え夢を見ることができるのは
少女だからでしょうか。
いいえ、この詩は、少女の心からの願いなのですね。

PC

数日前から夫のマックの調子が良くない。
時々使うわたしや子どもたちのせいでは、と疑っているらしい。

「仕事道具だから、ね」

夫の顔を窺う。
つまり、気をつけるように!ということね・・・。

子どもたちに伝える。

「父さんが、マックは使わないようにって」

わたしも、寝る前のメールチェックをマックでするのはやめにしよう。

「コンピューターがなくては生きられなくなっちゃったね」

夫が言う。
PCは夫の仕事に不可欠。その上、情報の多くをネットから得ている。

「生きていかれるよ。コミュニケーションが少なくなるだけで」

わたしは家族以外で話すのは仕事先の数名と
買い物の途中でたまにすれ違う人たちくらい。
他は、PCに向かって話している。
PCの向こう側の誰かに向かって話している。
自分自身に聴かせるために話している。




  田舎でもらってきた植物にようやく花が*どなたか名前を知りませんか
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久しぶりに夢のお話

「週末、用事ができちゃったの」

友だちに言う。

「私も。お兄ちゃんとコンサートに行くんだ」

友だちは英語の歌を歌っている。
耳にはイヤホン。

びっくり。歌も発音もとても上手。
知らなかった?、英語の歌、
こんなに上手く歌えるなんて。

「誰のコンサート?」

「○○の。知らないでしょ?
 CDあるから貸してあげる」

友だちの息子さんがそばで笑っている。
彼に訊く。

「いいの?」

「ええ」

スマートで優しくてかっこいい息子さん。

CDをまだ手にしていないのに、場面は変わる。


別の友だちが俯いて話している。

「病室に行ってね、『じゃあ、お母さん帰るから』
 と言ったら、娘、『うん』と言いながら泣くのよ」

ああ、お嬢さん、癌だったんだ。
自分が忘れていたことに気づき、罪悪感にとらわれる。



クローバー



そこで夢は覚めました。
お嬢さんの話をしていた友だちには実際は女の子はいず、
コンサートに行くと言っていた友だちは、
ポップスにも英語にもおそらく興味はないのです。

でも久しぶりにくっきりとした夢。
わたしの心の奥には何があるのでしょう。
(とてもはっきりしている気もするのですが)

友だちが歌っていた聞いたことのない曲はしばらく
頭の中に鳴り響いていました。

サンパラソル

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名前のとおり、

夏のお日さまの下で

元気に花を開きます。

昨年頃からでしょうか、

私の実家の周りで流行っています。

ツルがどんどん伸びて

次々花を咲かせます。

ピンクのほかに

白もあります。

勝ち負け


勝っておごらず、負けて腐らず。

by 長嶋茂雄



これは、特にスポーツの世界では
とてもとても難しいことだろうな、と思うのです。

結果をどう受け止め、その後どう生きるかで
その人は決まってくるのでしょう。

オリンピックのハイライトを見ながら思っています。
勝ち負けはいい、結果がどちらでも、
胸を張っていてほしい、
オリンピックに出場できただけで、
文句なく、あなたたちは、それぞれの国の精鋭なのだから。

オリンピックを楽しむゆとりのない自分は
どこか病んでいるのかも、と思いつつ・・・。
(ながらTV、私には無理なのです。
 観るか観ないか、
 嵌るか無関心か、
 all or nothing
  ・・・やっぱ、バランス、悪すぎ)

アジの南蛮漬け

長野県は山国なので、小さな頃、
あまり魚を食べたことがありません。
野菜は豊富にあったのですが、
わたしは好き嫌いのたくさんある子どもでした。

大人になってほとんどのものが食べられるようになったのは
とても不思議です。

でも、夫はとても好き嫌いの多い人なのです。
子どもが好きなものは大丈夫だし、
主食と僅かなおかずがあれば満足なので
困ることはありませんが、
わたしのレパートリーは一向に増えない、ということになります。

先日、あるお宅で南蛮漬けの作り方がよくわからず、
ききながらなんとか作ったのですが、
美味しくできた自信がありません。

悔しいので、家に帰ってからネットで調べてみました。
そしたらたくさんのページが見つかったのですが、
調味料がいろいろなのにびっくり。

その中から良さそうなのを選び、作ってみました。
案外美味しくできたので、書いておきますね。
(わたしは、手順をだいぶ省略して作りました)



クジラ
 

     【豆アジの南蛮漬け】



       [食 材]

  豆アジ         12匹
  新タマネギ       2個
  ニンジン        1/4本
  鷹のツメ        2?3本

       [南蛮だし]

  だし          2 カップ
  薄口醤油        1/3 カップ
  ミリン         大さじ 3
  酒           大さじ 3
  砂糖          大さじ 3
  酢           1 カップ

       [作り方]

? ぜいご・えら・腹を取り除く。

? 軽く小麦粉をまぶして、170℃の油で5?6分ほど揚げる。
  2分程して180℃で1分ほど二度揚げする。

? タマネギを薄切りにし、ニンジンはマッチ棒程度の千切りにする。

? 大きめのタッパウエアーに、タマネギとニンジンを敷き、揚げたてのアジを並べる。
  鷹のツメを散し、野菜を載せる。

? 分量の南蛮だしを熱して、全体がかぶる程度そそぐ。

? 完全に冷めるまでふたはせず、冷めたら冷蔵庫に。

* 3時間程度したら食べられるが翌日が美味しい。
  2日ほどは冷蔵庫で保存がきく。



    ピンボケですが・・・。

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そっと

「わたしの場所から」の‘少女と’に書いた女の子の
お姉ちゃん(高校一年生)が亡くなりました。

心臓が悪く、長くは生きられないだろうと言われていましたが、
7月末には、野球の合宿にもついていったのだそうです。

でも私が田舎に行く前に急変し、帰らぬ人になったのです。
告別式はなく、お通夜だけだったのですが、
養護学級の先生たちや友だちがたくさん来て
Aちゃんの好きだった歌をいっぱい歌い、温かいお別れ会だったそうです。

「良い式だったよ」

参加した夫は言います。


野球のお当番のとき、
Aちゃんの車椅子を押させてもらって話をしたこと、
私はずっと覚えていようと思います。
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秋風


悲しい事なんか何も無いはずなのに
言葉少なに 何故か切なくなって

黄昏の中に 閉じ込められたように
ビー玉の中で夏は過ぎてく

by 山崎まさよし



   開け放した窓から吹き込む
   秋風に目覚める
   都会の夏は好きではない
   けれど ちょっと心細くなる
   何かが終わってゆく
   



    映 す

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お祭り

団地のお祭りがありました。
決して広くはない公園に
自治会、近くの商店街、団地内のスーパー等の出店が並び、
盆踊りのやぐらが組まれています。

一年に一度のお祭りの賑わいの中で、
浴衣を着た女の子やおばさまたち、
楽しそうなちっちゃな子どもたちを見ると、
ああ、もうすぐ夏も終わり、という気持ちになります。
私にとってはひとつの区切りみたいな行事。

子どもが小さい頃は子ども会でおもちゃや駄菓子を売りました。
毎年毎年忙しい思いをしたけれど、
それをいちばんの楽しみにお祭りに来る子どもたちとのやりとりは
とても楽しかったのです。


子どもが大きくなってからは、「お祭りで会おうね」
毎年誰かに声をかけられ参加します。
そうすると、思いがけない人たちに会えたりもするのです。

今年も、友人の家に泊まりに来たという懐かしい友だちに会えました。
携帯のアドレスを教えてもらったので
これからは時々話せるかな、と思っています。
今年になって旦那さんを亡くした友だち、がんばっています。
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秋の気配

    あちこちに
   
   

野鳥


いつの日か、国境はなくなるだろう。
その時のパスポートは、心以外にない。

by タマラ・ロビンソン



今でも国境のない人はいるでしょう。
永遠に国境のなくならない人も。
問題は心、なのだから。



おとといぐらいから、
なんだかものすごく近くでギーィギーィという声がするなぁ
と思っていました。

昨夕、北側の部屋の窓の下で
ブラックベリーの枝に止まっている鳥を発見。
おそらく巣立ったばかりの子どもです。
夜もそこで眠っていました。
しばらく前にベランダに来ていたのと同一人物(?)でしょうか。

もしかして、しばらくここを本拠地にするつもり???
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『ぼくがイラクへ行った理由』

「自己責任」論に典型的でしたが、
 マスコミに流されている情報を鵜呑みにする人がとても多い。
 これは若い世代に限ったことではありませんが、
 マスコミの報道をそのまま受けとってしまうのです。
 ぼくは、自分の考えをしっかりもって、
 それを文章と体で表現していきたい。
 同世代の仲間にも、そうしてほしい。
 だから、ぼくはイラクに行ったのかもしれません。

「今回の事件で、高遠さんが拘束中に
 犯人グループに話しかけるのを見ていて、
 考え方が違う人でも対話によって少しずつ考えが変わっていくのが、
 よくわかりました。

「対話によって、少しずつですが、変わっていきます。
 彼ら(犯人たち)はいまは
 武器をとって戦うしか方法がないかもしれません。
 けれども、変わるチャンスはきっとあります。
 そして、そのチャンスは対話によってこそつくれるはずです。
 そうした対話のきっかけを、
 フリーライターとしても市民運動でも実践していきたいと思います。」



『ぼくがイラクへ行った理由』(今井紀明著・コモンズ刊)より



電車に乗って楽しみなのは本が読めること。
田舎への行き帰りをかけてようやく今井くんの本を読み終えた。

「人質のときより、帰国してからのほうがきつかった」

やはりそうだったのか、と思う。
高遠さんも、郡山さんも。

近いうちにイラクに行きたいと話していた郡山さん。
いまアンマンにいる高遠さん。
将来を見据えながら、留学先を検討している今井くん。

人質事件を通して私は素敵な人たちを知ることができた。
自分の勘を信じてよかったと思っている。

現状も未来も明るいことの方がずっと少ないように思えるけれど、
たぶん、それが人生なのだ。
そして、だからこそ、温かさも無垢な心も人に訴えかけてくるのだ。
だからといって、諦めていいというのではない。
私たちは諦めるために生まれたのではないのだから。

ひとりひとりが自分にできることを。

きらら


冒険とは、
人の外側で起きることじゃない。
人の内側で起きることだ。

by デビット・グレイソン



末っ子に向かって延々と日本の農業について語る父、
久しぶりに会った私たちに、
自分の発見した発芽玄米に寄せる熱い想いを語るTさん。

ふたりの目の中には‘きらら’がある。

‘きらら’が住んでいる人が、わたしは大好き。


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暗闇

田舎に行く前から
子ども部屋でコソコソ話していた次男と末っ子。
到着した日の夕方、「ちょっと行ってくる」と言う。

は、はーん、長男から聞いていたお店に野球のカードを売りに行くわけね。
ひとつのことを考えはじめたら、そのことしか頭になくなる次男である。

ふたりとも初めての道なので、地図を描いて説明する。
「わかった」と言って自転車でふたりで出かける。
が、1時間近く経ち、真っ暗になっても帰ってこない。
次男の携帯に電話する。
「迷ってた。でも、もうすぐ着くと思う」という返事。

帰ってきたのは、それから小1時間経ってから。カードは、結局、売れず仕舞。
(親同伴でないと売れないのだという。
 翌日、父の車で一緒に行ったが、数十枚のカードを売っても
 10円にしかならないと言われ、売るのを断念。
 「それだったら、昨晩、子どもたちが行った時に言ってよ?」)

私の実家がある盆地の道は、
初めて訪ねる人はみな迷子になると言われるほどわかりにくい。
だが、街灯はほとんどない。

「暗いのに、びっくりした」

良い体験したね、
東京では、自然の暗闇にはなかなか会えないもの。

それにしても、携帯があってよかった。
私はやっぱり持つ気にはなれないけれど。

「今の私と同じ歳でよく全く違う環境に飛び込む決心ができたね」

お勝手を手伝いながら母に言う。

「あの時は、うわーっと訳のわからない渦の中に飲み込まれるようだった」

私が上京し、男二人で暮していた父と弟。
その、たぶん侘しすぎる暮らしを目にした母は、
「自分で役に立つなら」と思ってしまったのだという。

当時サラリーマンをしていた父は母に約束した。
家のことだけしてくれればいいよ、と。
しかし父はそれをすぐに裏切った。
販売の仕事を辞め、専業農家に戻ったのだ。
(母に相談した上のことではあっただろうが)

田舎に生まれ育ったとはいえ、10代後半で上京した母にとっては、
農家の仕事や生活はもちろん、近所づきあいも親戚づきあいも、
わからないことだらけだっただろう。
おまけに、周りに知人は誰一人いない。
唯一頼るしかない父だって、結婚を決めるまでに数回会っただけ。


誰にでもできることではない、とたびたび考える。
私が安心して東京に残れたのも、母のおかげ。
そう思って、母にはいつも感謝してきた。

負けん気が強くしっかり者で神経の細かい母と、
のんびりしていて大雑把で働くのが趣味のような父。
ふたりは二十年以上かけて、ひとつの家庭をつくり上げてきた。
それは、もちろん、わたしの育ったのとはまったく別の家庭だが、
ふたりは、私や私の家族を迎える心のスペースも確保してくれている。


ふたりの、忙しくとも穏やかな暮らしが、少しでも長く続くようにと
私は心から願っている。

新盆

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この電車に乗って、田圃と山々を見ると、
「あぁ、帰ってきた」と思うのです。


実家の近所の遠い親戚が新盆だったので、
13日の夜、出かけていきました。
亡きおじちゃんの写真を見ながら黙祷。

20年以上会っていなかった人たちと再会。
「あっちゃんに会えて嬉しいよ」
と言ってくれたHさん(亡くなったおじちゃんの弟さん)と
弟が懇意にしていた、その息子さんのNちゃん。

Nちゃんの奥さんは
「さっぱりしていてとっても感じの良い人」
と母から聞いていたので、会うのが楽しみでした。
でも、その人は私の顔を見つめて言うのです。

「あの、おととい、電車に乗っていませんでしたか?」

なんと、私の乗ってきた電車にその人も乗っていて、
私はずっと見られていたのです。

「カメラを持って、楽しそうだったから」

「・・・(きゃ???!)」

私も小さな息子さんに優しく話しかけていたその人を
記憶していました。

別れ際にHさんは私と弟に言いました。

「まあ、死ぬまでは元気でいるよ」

バイオリニストだったHさんは腱鞘炎で
自分ではもうバイオリンは弾けないのです。


新たな出会いと再会と。

嬉しさにはいつも、いくらかの淋しさが同席しています。

花火?燃える?

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切り取られた一瞬

  


  

花火?散りかかる?

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 儚いからこそ

 花火です


 儚いからこそ

 留まるのです

夏休み?

昨日から次男と末っ子の野球の練習が休みに入りました。
約1週間、ようやくまるまる夏休みです。

野球部で江ノ島に行くという次男はいま食事中。
あとのふたりはまだ夢の中。

海水浴はおろか、海の近くに行ったこともない次男。

「溺れないようにね
 沖に行っちゃ駄目だよ」

注意しておいたけど、帰ってくるまで心配です(まだ出かけてもいないのに 笑)
冗談で「監視役に行ってくれない?」と長男に言ったら
「・・・みんなから馬鹿にされるよ」
「は?? なんで??」
次男と長男から呆れられてしまいました。


「浮き輪なかったっけ?
「サンダル、買ってくる」

2、3日前から次男はちょっとそわそわ。
いつものことですが
行事の前は静かに盛り上がっていく彼なのです。


ひまわり



ただいま夜の7:49。
次男は無事帰宅。食事を終えたところです。

「何がいちばん楽しかった?」

「漂流」

「え?」

訊いてみたら、漂流というのは、
足がぎりぎり着くところまで行って
浮き輪につかまって波に流されること、だとか。

「今度は綺麗な海に行きたい
 潜ってみたけど、何も見えなかった」そうです。


海・・・かぁ。




  ‘わたしの海’・・明日からちょっと田舎に行ってきます。

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いのち

栗原貞子さんの詩です。



生ましめんかな


こわれたビルディングの地下室の夜であった。
原子爆弾の負傷者達は
ローソク一本ない暗い地下室を
うずめていっぱいだった。
生ぐさい血の臭い、死臭、汗くさい人いきれ、うめき声。
その中から不思議な声がきこえて来た。
「赤ん坊が生まれる」と云うのだ。
この地獄の底のような地下室で今、若い女が
産気づいているのだ。
マッチ一本ないくらがりでどうしたらいいのだろう。
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と、「私が産婆です。私が生ませましょう」と云ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。
かくてくらがりの地獄の底で新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。
生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも


リボン



どんな時にも
いのちを産み出し、育もうとするのが女なのだと思う。


先日、NHKの番組で
戦争の記憶の継承ということが話題になっていた。
大江健三郎さんが出演しておられた。


敗戦から59年。
ようやく重たい口を開いて、
過去の戦争のことを語りはじめた方々がおられるという。

実際に見ていなくても、体験していなくても、
じっと聴くことで、じっと思いみることで、想像することで、
つまり祈ることで、
戦争の記憶を自分のものとして継承していくことは可能だと思う、
と大江さんは言っておられた。


私も、時々お会いするおばあちゃまたちから
戦争の体験談を聞くことがある。

あの戦争を生き抜いてきたということだけで
私はお年寄りを心から尊敬している。

私は秘訣が知りたいのだ。
愛する者たちを失いながら、
たくさんの戦死者や破壊された町々を見ながら、
何に望みを置き、何を信じて生きてきたのか、
彼らを生かしてきたものは何なのか。
(大江さんも、そんなことを言っておられた)

悲惨な地上戦も潜り抜けてきた沖縄の女性が全国一長生き
というのも、とても不思議な話。
きっと何かがある。
いつか沖縄に行ってみなければ。




・・・書き始めると重たくなってしまうのが悪い癖。
でもこの詩はどうしても紹介したかったのです。

昨日は末っ子の野球のお当番で
朝から夕方までグランドにいました。

お当番は監督・コーチのお昼を用意していかなくてはならないのですが、
家事の苦手な私はいつもワンパターン。
でも、他のお母さんたちが作ったおかずを食べるのは楽しみなのです。

あるお母さんが、冷たい水を張った発泡スチロールに
トマトときゅうりと茎のついた生姜を入れてきてくれました。
水に浮かんだ野菜は、見ているだけで涼しそう。
もちろん、全部試食しました。


北海道出身の彼女ならではの一品、
この暑い夏にあなたも如何?

この頃

空ばかり見ています

自転車で走っていくと
場所場所で違う空が広がっていて
はっと驚いたりするのです。

でもたまには原っぱの木陰に寝転んで
建物に区切られない空のドラマを
ずっとずっと見ていたい。



   今日の空からのプレゼント

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手紙

高校時代、駅まで時々一緒に帰っていた友だちがいる。
とても大人しくて、いつも小さな声で話す友だち。

卒業してから頻繁に手紙のやり取りをしていた。

20年以上経って、彼女が言った。

「どうして私たち、一緒に帰っていたのかなぁ
 高校時代の自分は思い出したくないの
 毎日が嫌で仕方なかったから」

去年、10年ぶりに会ったとき
「同じようなものが好きだったんだね」と確認し合った。

さだまさしと手芸と花と・・・ふたりの共通点。


昨日、友だちから手紙が来た。
6月に病気がわかり、先月手術を受けた、と。

しばらく通院しなくてはならないが、経過は良好らしい。

ひさ?しぶりに手紙を書こうかな、と思っている。
以前、私の下手くそな幼い字を「好き」と言ってくれた、有り難い友だちなのだ。
今でも、どこか少女のような。



月


創造的な人間は、
あいまいさと付きあうのを楽しんでいる。

by エイブ・タネンバウム



創造的とは程遠い私だが、
あいまいだから良い、
わからないから面白い、
そう思っている。

「さとうきび畑の唄」



想像は知識より重要である。

by アルバート・アインシュタイン



中学のとき好きだった男の子が私に言ったことがある。

「もし殺さなければ殺されるというときになったら
 どうするだろう?」

私はそれに何と答えたのだろう。
それは忘れてしまったが、彼の問いはずっと心の中にあったような気がする。


「さとうきび畑の唄」の中の‘お父さん’は
戦争の最中にありながら、人を殺すことができなかった。
彼にとってそれは、自分を殺すことと同じだったのかもしれない。

「鬼畜米英」とか「非国民」という言葉がおそらく日常的だった時代に
「アメリカ人も同じ人間」と信じ、そう言い切った‘お父さん’。
平和な世界がきっと来るという希望を捨てず、
「生きていてほしい」「生きるのよ!」と言った‘お父さん’とお嫁さん。
それが‘お母さん’と4人の子どもたちの命を救ったのだろう。


それにしても、
戦争とはどういうものか想像する力を
すべての人がもてたなら。
どんな大儀があろうと、戦争は人殺しなのだから。



ごはん


10日ぶりに長男が帰ってきました。
田舎に行った後、母校の野球部の合宿に参加していたので
グランド焼けで真っ黒です。

世話焼きで、弟たちに(時には私にも)すぐちょっかいを出す、
どう見ても精神年齢の低い長男。

また煩く、もとい、賑やかになりました(笑)

柱の印

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    ちょっとピンボケ



食卓のそばに線がたくさん入った柱があります。
子どもたちが自分の身長を測るためにつけているものです。

先日合宿から帰ってきた末っ子が
出かける前より大きくなった気がして
そう言うと、末っ子はその柱に直行。
ティッシュの箱を頭に載せて、前の印と比べてみました。

「伸びてるね、5ミリくらい」

末っ子はちょっと不満そうな顔。
そばにいた次男が柱に立つので、今度は次男の頭ティッシュの箱を。

「ん? めっちゃ伸びてる?
 こっちは父さんの(印)だから」と次男。

「あなたを越したよ」

夫はこちらをチラッと見て

「大きくなってやる!」




クジラ


もしも最初からもっと
良い仕事や環境に恵まれていたなら、
今日の私はなかったでしょう。

自分の置かれている状況に
不平不満の声をあげるばかりで、

その可能性に対して
心を閉じていると、
人生の本当の恵みを
見極めることはできないのです。


by 稲森和夫



「もしも私が才能と美貌とお金に恵まれていたら・・・」
などと勝手に置き換えて、納得しています(笑)

流れ

報道ステーションで
岡田民主党党首と古館さんのやりとりを見る。

あくまでも
「国際社会の中で日本だけ血や汗を流さずにいていいのだろうか?」
という提案だと言う岡田さん。

民主党が(ほとんどの党が)
改憲の立場をとっていることは選挙前から聞いていた。
だが、流れは速いのだと改めて感じる。
岡田さんの、何のためらいもない自信に満ちた態度に
暗澹たる気持ちになる。


だが、それでも人生は続いていく。
結局、今日を生きるしかないのだろう。
諦めずに、微笑みを失わずに。



太陽


名誉を奪われるままにする人間は、
人生も奪われるままにするだろう。

by ピエトロ・アレティノ


聴くこと・自分を保つこと



人間の生き方は、ひとによって、それぞれ、さまざま。
だが、合唱の美しい響きをつくりだすには、
他人のうたを聴かなければならない。
そして、他人はまた自分の声に
耳を傾けているのだということを
知らなければならない。

by 武満徹




「他人のうたを聴くこと」・・・肝に銘じなくてはならない言葉です。

先入観なく人に聴くことは不可能だけれど、
できれば今日初めて会った人に聴くように。





アイス



久しぶりに会った友だちと立ち話。
最近読んだ本のことをしゃべる。

「何故かね、読もうと思うと、こんな本ばかり」

「自分には問題ないのにね
 ・・・本が代わりなのかもね
 それで、ひきこもらないですんでいるのかもね」

「変な人が好き!」と言いながら、時折声をかけてくれる友だち(笑)

誰にも、自分自身を保つそれぞれの方法があるのかもしれない。


     実家で春撮影
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失敗なしのチーズケーキ

例年のことですが、7月が過ぎるとほっとひと息をつくのです。
季節の行事をほとんどしない我が家にとって、
誕生日はちょっと大きな節目なのですが、
7月に3つもあるからなのです。
長男(3日)、夫(13日)、末っ子(29日)。

適当に離れているので、一緒にというわけにもいきません。
夫以外の誕生日には外食と決まっているので、
私はケーキだけ用意します。

暑いのもあって、末っ子の誕生日はチーズケーキにしました。

「これ、作ったの?」と家族からも評判の良い
栗原はるみさんの超簡単なチーズケーキをご紹介しますね。



プレゼント


失敗なしのチーズケーキ


【材料】(直径21cmの丸型一個分)

  クラッカー  100g
  無塩バター  大さじ3
  生クリーム  1カップ
  卵  2個
  クリームチーズ  250g
  薄力粉  大さじ3
  グラニュー糖  1/2カップ
  レモン汁  大さじ1

? 型にワックスペーパーを敷く。
? クラッカーをボールに入れ、すりこぎで粗くつぶし、バターを入れて混ぜ合わせ、型に敷きつめる。
? その他の材料を全部ミキサーにかけ、型に流し入れ、170?180℃のオーブンで45?50分焼く。

* 敷くのは、クラッカーのほか、ビスケットやカステラでも。



私は砂糖はいつも控えて作っています。
バターは普通のを使っちゃってますが大丈夫です。
洋酒漬けの干しブドウを混ぜても美味しいと思います。

とっても簡単で冷して食べると今の季節にぴったり。
やってみてね。